キッズルームメモリー:コトブキ視点
――ああ、サイアク。また赤信号。
道を急いでいたアタシは、そんな風にぼやいた。やがて、目の前の信号が青に変わる。一歩、踏み出そうとした瞬間に、すぐ横を少女が駆け出して行った。
ドン――。重い音と共に少女の体が跳ねる。浮き上がった小さな体が地面に衝突すると、グチャグチャに、曲がってはいけない方向に、手足が曲がっていた。頭部からはだくだくと赤い血が流れ出ている。
どう見ても、無事とは言い難い、その姿。まだ未来ある小さな命は、一瞬で弾けるように消えた。
その情景を知ったアタシは――
◇
目を開けた時、いやにファンシーな色彩の天井が視界に飛び込んできた。アタシの趣味ではない。つまりこれは知らない部屋。
ふと人の気配がして起き上がりつつ横をみれば、体格のいい短髪の男がこちらの様子を伺っていた。二十代後半から三十代あたり――いや、若作りしている雰囲気があるし、もう少し歳の可能性もある。まあ、それはどうでもいい。いかにも挙動不審なのにアタシの方を警戒している様子が気に入らない。どう見ても怪しいのはそちらだろう。それに、生理的な嫌悪感、そんなものをこの男に感じる。
「……なに、あんた」
「いや……あの、自分、怪しい者ではないっす……多分……」
「どこがよ。そんな挙動不審で。ていうかここどこ。誘拐?」
「知らないっす自分も……!」
挙動不審な上にろくに何も知らない。全く、話にならない。
「はあ……じゃあそれも?」
役に立たないそれは捨て置いて、アタシは未だ眠る二人の方を指さした。
「え、ええ……自分は皆さんの事何も知らないし、多分このお二人もそうじゃないかと……」
「……めんどうな事になったわね……アタシも暇じゃないってのに」
――暇じゃない? 自分で発した言葉に疑問が浮かぶ。そもそも、アタシは何をしていた人間だったのか。それが思い出せないのに。寝起きだからと言っても、自分のことが思い出せないなんて事があるのか。ありえない。
ならこれは、この状況は――。
「……り、ダメ、待って……」
か細い、弱々しく絞り出すような呻きが、もう一人の男の方から聞こえた。長い前髪で見えにくいが、眉間に深い皺を刻んでいるのが分かる。悪夢から解放してやろうかと考えたが、それを実行する前に青年は飛び起きた。そして額に掛かっていたメガネを眼の前まで降ろし、部屋の中を見回し始めた。
「……子供部屋……?」
「あんた大丈夫?うなされてたけど」
「……大丈夫。……昔の、記憶を見ていたの」
アタシが声をかけると、青年は悪夢の内容がフラッシュバックしたのか、一瞬表情を曇らせた。
「――ぅ」
それから今度は、少女の方から声が聞こえた。目を覚まして、身体を起こした少女の顔を認識した瞬間、ドクン――と、唐突に、不自然に、心臓が激しく鼓動した。
殺したい。――否、この少女が、死ぬ瞬間を見たい。なぜかは分からない。けれど衝動的なその感情が全身を駆け巡る。指先が震える。
「ねえねえ、ここどこ? 君たち誰? 何か知ってる?」
「……知らないわ。私もどうしてここに居るのか……」
そんな青年と少女の会話で、ハッと冷静さを取り戻す。アタシは、今何を考えて――。
そこで青年が女性的な言葉遣いをするのを知ったが、それは今さして重要なことでもない。最後の頼みの綱であった少女もまた、ここに居る状況が把握できていないらしい。何も知らない四人の人間が、何故ここにいるのか。誘拐だと言うのならそろそろ犯人に出てきてほしいものだが。そんな事を考えていたら、それに応えるように、壁側に取り付けられているスピーカーから、ノイズ混じりの声が聞こえた。
『おはようございます。みなさまお目覚めですね。ご気分はいかがでしょうか?ご自分の名前がわかりますか』
機械か何かで声色を変えている、気味の悪い声だけれど、話し方自体は丁寧で上品さすら感じる。それが逆に異様さを引き立ててもいる。
「僕は一番ヶ瀬九だよ!」
「……私は七五三木漁」
少女と青年が立て続けに名乗り、やはり知らない名前だな、とアタシと彼らが無関係な人間だと再確認する。
「なんでこんな何も分からない状況でそんな素直に自己紹介できるんすか……」
男は相変わらずおどおどとしていて、周囲を警戒する雰囲気を崩さない。
「まあ、分からないからこそお互いの名前くらいは知っとくべきじゃない? アタシは四月一日寿。よろしく」
「そういうもんっすかね……自分は五百旗頭元っす……」
あの男にも名乗らせるよう、アタシも二人に続いて流れを作る。男は渋々ながらも存外単純に乗ってきた。
イオキベ、ハジメ。そんな名前は知らない。知らないはずなのに。頭の何処かに引っかかりを感じた。
「それで? スピーカーの向こうのあなたは何者? アタシ達はどうしてここにいるの」
「貴方たちがここにいるのは、とある実験のため、とだけ伝えておきましょう。つまりここがどこか……も、自ずとご理解頂けるでしょう」
「この子供部屋が実験室ってこと?」
「この部屋を含む建物全体が研究施設って事でもあるんじゃない?」
「なんで自分たちが……実験なんて……なんなんすか……実験て……」
「なんの実験かは教えられません。いえ、そうですね……実験、と言ってしまうと皆様少々緊張されてしまうでしょうから、これはゲームという事にしましょう。私の事もゲームマスター、GMとお呼びください」
ゲーム。GM。それじゃあアタシは、アタシ達は、そんな訳の分からないものの為にオモチャにされてるようなもの。気に入らない。
「ゲーム? ふざけてるわね」
「いいえ。大真面目ですよ」
アタシが語気に怒りを込めたつもりでも、GMは気にも留めないように、穏やかに答えた。
「……ルールはこうしましょう。これから皆様はここで2日間過ごしてもらいます。その間にこの実験の目的を理解し、私の質問に答えられれば実験は中止せざるを得なくなります。しかしそうでなければ……2日後、4人のうち2人にお亡くなりになって頂きます」
その一連の説明は、余りにも淡々としていた。人の命など、動物実験で消費するのと変わらぬという風に。
なんですって……? そんな動揺が、口から溢れた。
「ちょっと、勝手なこと言わないでくれる? そんなこと認めない。第一ここに監禁してる時点でも犯罪よ」
アサリがそう気丈にGMに詰める。彼の立ち居振る舞いには、どこか芯の強さがあるのを感じた。
「……ああ。一つ、お伝えしておきますね。ここでおきた事件事故には警察は干渉しません。なにをするのも……殺したい相手がいれば殺してしまっても、お咎めはありませんよ」
その言葉は、GMが何をしても許されるという立場の誇示。そして殺人衝動を持つ者への挑発。
「な、なんすかそれ……警察とズブズブって事っすか……」
「殺したい相手って……私達お互いの事何も知らないのに」
そう。アタシは知らない。ここにいる誰のことも。ハジメに感じる嫌悪感も。
「そうですね……とは言っても皆様の記憶のうち、実験に支障を与えそうな部分は、一時的に消していますから、ご自分が何者かも完全に理解してはいないでしょう」
そう。何も知らない、自分の事すら。イチジクの死を見たい気持ちが何なのか。
「そこで、一日一度、皆様の記憶を観賞して頂きましょう。隣の部屋に専用の機械がありますから、ご順番に一つ選んでご覧ください。その他の時間はご自由にすごして頂いて構いません。それでは、私はモニタリングに戻ります。ご質問があればお呼びください。では」
分からない。そのはず、なのに――。