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86 やっぱりレティが好きだ!

王族が起きるにはまだ早く、早朝というには僅かに遅い頃、ジルサンダーはロマンの王城の上を旋回していた。


己の予想より少し遅くなったため、王宮内ではすでに使用人が動き出していたのだ。部屋へ降り立って人に戻ろうかと思ったが、下手をすれば朝の支度で出入りするものがあるかもしれない、とジルサンダーは考えて、様子を見つつ、風を捉えて気持ちよく翔んでいた。


朝空はすでに明るく周囲を白く照らし、刷毛で掃いたような薄雲が朝陽を浴びてオレンジに輝いていた。


その照り返しを受けながら、まるでレティの髪のようだ、と呟いたとき、ジルサンダーの眼にバルコニーに出てきて大きく伸びをする愛しの姿が映った。


朝陽を浴びて赤毛が太陽よりも煌めき、風を孕んでふわりと膨らんだ。眩しいのか、菫色の瞳は細められて、その麗しさを隠している。


あぁ、なんて綺麗なんだろう…


嘆息してジルサンダーはふらふらとレティのいるバルコニーの手摺に降り立っていた。


「あら、おはよう」


気付いたレティがにこやかに挨拶をする。ジルサンダーは差し出された掌に頭を刷り寄せた。ふわふわとした羽毛が心地いいのか、レティが声を上げて笑った。


「綺麗な子ね、朝の散歩かしら?」


柔らかな指でレティは優しく隼の頭を撫で、そのまま頬を滑らせて喉の下をゆっくりと擦った。それが気持ちいいのか、隼はうっとりと眼を細める。よく見れば見事な碧眼で、レティはあまりの美しさに蕩けるように隼に見惚れた。


「どこから来たの?」


問い掛けながら周囲を見回す。

そしてふふふ、と微笑む。


「これだけ森が大きいのだもの、どこでも住めるわよね」


ソフィテルの造った王城を囲む森。

季節がいいのか、木々は喜びに溢れて艶やかな緑に彩られている。


隼を指で愛でながらレティは内緒話でもするようにジルサンダーに近寄って囁き出した。


「ここはね、ソフィテル様が造った森なんだけど、本当はロマリア様と過ごすために造ったのよ、内緒なんだけど。ほら、あそこ!」


レティが指差した先は今は教会として扱われている古い建物がある。建物、というより残骸とでも言ったほうが正しいだろうか。

かつては壁もあり、屋根もあっただろう、それは今は柱が立ち並ぶだけの廃墟だ。

そのなかに燦然とソフィテル女神像が立っている。人々を護るように両手を広げ。


「あそこはね、ソフィテル様がロマリア様に強請って造って貰った離宮なの。ソフィテル様はいつかロマリア様が生きるのに飽きる日がくると思っていたのよ。だから二人で過ごす場所を用意していたの。100年経ってもロマリア様は国を進めていくことに夢中で、ソフィテル様は少し寂しかったのね、一人のときは離宮で過ごして、少しずつ木を植えていったの。癒しと浄化の力を注いで」


だからなのか、とジルサンダーは酷く腑に落ちた。動物保護を目的として森を造った広大なロマリアの庭園の木は死なない。病気もしない。庭師が定期的に世話はしているが、極端に手間が掛からないと聞いていた。

ソフィテルの力がまだ生きているからなのか、とその素晴らしさにジルサンダーはぶるる、と身体を震わせた。


「あら、寒い?」


レティがほわりと隼を両手で包んだ。

寒さに震えたわけではなかったが、その温かさにジルサンダーは心が満たされていくのがわかり、甘えるようにクルルと喉を鳴らした。


「そのうちね、この森に動物が住みだしたの。誰もが不思議がったわ。どうやって王城の城壁を越えてきてるんだろう、て。おまえなら翔んでくるでしょうけどね」


その謎に誰もが首を傾げていたが、ある日ソフィテルは目撃した。


「ソフィテル様が寂しがっているのがわかってたんでしょうね、少しでも彼女の癒しとなるように、てロマリア様が狩猟にお出掛けになる度にそっと連れ帰っては庭園に放していたのよ」


保護を目的としたのはこの頃からだった。

ロマリアが運ぶ獣たちをみていた騎士たちがそう判断して噂するようになったからだ。


「それからはソフィテル様は寂しくなくなったのよ。ロマリア様は忙しくてもソフィテル様を忘れたり蔑ろにしたりはしてない、て。ちゃんと愛してるんだ、てわかって、ソフィテル様はとても幸せを感じたの、とても素敵な夫婦よね」


「レティ様、お支度を」


室内からメアリースーの声がして、レティは弾かれたように振り向いた。そして元気に返事をする。


「もうさよなら、なのね、残念だわ」


もう一度指で隼の頭を撫でる。

そして頬を染めてレティは晴れやかに笑った。


「もうひとつ、内緒話、してもいいかしら?」


飛び立とうとしていたジルサンダーは留まり、彼女を振り返った。


「私ね、もう少しでこの国を出ちゃうの。育った国だし、やっぱり離れるのは苦しい」


ジルサンダーの胸に鋭い痛みが走る。


「でもね、それ以上に楽しみでもあるし、幸せでもあるのよ。だってとっても大好きな人と一緒だもの!」


今度はナタリースーに呼ばれたレティは手を振ってまたね、と呟いて部屋へと戻っていった。


その大好きな人のなかに両親と双子が含まれているとは想像もしないジルサンダーは彼女のストレートな言葉に撃ち抜かれて、暫し呆然としたあと、白眼を剥いてゆっくりとスローモーションで倒れるようにバルコニーから落下したが、地面激突前になんとか羽をバタつかせて難を逃れた、とにやにやと顔をだらしなく蕩けさせたジルサンダーからギルバートは聞いた。


早い話が惚気を聞かされたのである。


ギルバートがそんなレティとの微笑ましいやり取りよりもわざわざ夜中に翔んでまで知り得たコリンナの情報を聞きたい、と拳を握りしめていたのは秘密である。

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