82 叔父と甥たち
「離せ!ミケーレ!これはあまりにも横暴だぞ!!」
首根っこを掴まれたレオンがミケーレにぶら下げられた状態で足をバタバタと暴れさせるが、いかにレオンが鍛えているとはいえ、現役将軍の腕力には勝てない。
まるでじゃれる子猫をいなすようにミケーレはこともなくレオンをぶら下げたまま、ちろりと視線だけを向ける。
「ほう、横暴など小難しい言葉をご存知か!」
呵呵と大口で笑い、相変わらずの状態でミケーレはジルサンダーの私室のドアをノックした。本来なら扉の両端にいる騎士も、今はミケーレの前に最敬礼で片膝を付いてしまっている。
「おまえッ!私を馬鹿にし過ぎではないか?!」
「なにを仰る、未来の同盟国ドリューの王配を敬いこそすれ、馬鹿にするなど、そんな失礼なことを私ができようか!」
「いま、現在、進行形で、してるだろうッ!」
ぶらぶらと己の腕に両手でしがみつくように抵抗しながら首根っこを掴まれているレオンを眇めたミケーレはふと無表情になった。それが奇妙なほどに迫力のある顔で、散々怒鳴っていたレオンの唇が真一文字に引き結ばれる。
「ふむ、そんなつもりはなかったが…」
意外な言葉を呟き、ミケーレはにかっと笑ってみせた。そして腕を振ってレオンの身体を首を中心にくるりと一回転させると、己の腕に横抱きにした。
それはレオンがうおっ!と一言叫びを上げる程度の僅かな時間。
「では、これなら満足だろうか?」
ミケーレがなにを言っているのか、レオンが理解をする前にジルサンダーの部屋のドアがするりとギルバートによって開けられ、ブッ!と吹き出した侍従が顔を背けて肩を揺らしながら掌で中へ入るように勧めた姿を目撃して、はじめて己の乙女な状況にレオンは一気に赤面した。
「くそ、この、馬鹿ミケーレ!下ろせ!離せ!」
「暴れては怪我をする。すぐにソファまで連れていくから我慢してくれ」
「ブフッ!」
「ここでいい!早く下ろせ!!」
「まったく我儘はダリアに似たな」
ミケーレが文句を溢しながらもレオンをそっと床に下ろす。レオンはすぐに姿勢を糺して立つと、服の皺を気にするようにあちこちを引っ張って伸ばした。
武人として将軍職にあるミケーレはダリアの実兄であり、やはり武を貴ぶ甥のレオンとは通じるものがあるのか、2人の関係はなかなか気安い。
軽妙な掛け合いにはならないが、少なくとも臣下と王子の間柄ではない。
仲の良い叔父と甥だった。
「アレクはまだか?」
「もう暫く、と。陛下の引き継ぎに少々苦労されているとのことです」
ミケーレの問いにギルバートはテーブルに珈琲カップを並べながら答え、レオンをソファに促した。
「ジルは?」
「連日のレディ·ロジェールのレッスンで死んでおります」
なるほど、とミケーレは腕を組む。
若かりし頃、武人にダンスなど無用の長物!と端から足蹴にして避けてきたミケーレにダンスを踊らせるために勝負をけしかけてきた彼の人を思い浮かべた。
体術のみ、剣なし、時間制限なし、スリーダウンでノックアウトのガチ勝負をレディ·ロジェールはミケーレに煌びやかなデイグリーン家のホールで申し込んできた。しなやかな筋肉を纏っている肢体であることはミケーレの眼にも明らかだったが、所詮はダンス教師で武人として鍛えてきた己の優るところではない、とミケーレは鼻で笑って勝負を受けた。
「よかろう、おまえが勝てば俺は踊ってみせよう。俺が勝ったなら、二度と俺に踊らせようとするなよ?」
将軍職に就く前の、まだ己を俺と呼ぶミケーレは相手の強さがどこにあるのかを理解していなかったのだと、振り返ってみてわかる。
筋肉量ではない。
技術ももちろん大切だが、それだけでは強くあれない。
バランスだったのだ。
己の中心がどこにあり、いかに冷静に判断できるのか、足先、指先、頭頂部まで神経が事細かに走り、意識でき、かつそれを自在に使いこなせてこそ、真の強さになる。
力業のみで圧したミケーレはひらりと躱しただけのレディ·ロジェールに3回、転がされた。
何が起こったのか、理解を脳が拒否するなか、一度目は床に頬を押し付け、二度目には壁にキスをして、倒れた。三度目こそ、と勢いつけて襲いかかれば、いつのまにやら俯せに押し倒されて腕を拘束されていた。
傍で見ていたダリアが眼を輝かせて盛大に拍手をしており、ミケーレはダリア相手にそれこそ足腰が立たなくなるほどの猛レッスンを受ける羽目になっていた。
まったく踊らされた!とミケーレが後悔してもあとの祭りだった。
しかしおかげでミケーレのダンスはかなりの腕前になり、彼と踊るとより美しくみえると社交界で話題となった。彼が結婚するまで令嬢がミケーレの前に列を為したと未だに伝説のように語り継がれている。
「あれのレッスンならば起きるのも辛いだろう」
思わず実感込めて呟けば、ギルバートは珍しくにこりと微笑んで、ジルサンダーを呼んでくる、と寝室に入っていった。
ジルサンダーが支度を整えて居間に来る直前にアレクシスが訪れ、3人は仲良く用意された珈琲と軽食を摘まんでいた。なかなか微笑ましい光景である。
「すまない、待たせてしまった」
ジルサンダーが焦った様子で入ってきて、ミケーレに礼を取る。
「ミケーレ叔父上、呼び出した挙げ句遅れて申し訳ありません」
「かまわんよ、あれのレッスンのハードさは身に染みて知っておるからな、ちゃんと休めたか?」
鷹揚に笑ったミケーレにジルサンダーも甥としてほわりとはにかんだ。
「はい、おかげで少しは元気になりました」
「なら良かった。ではさっさと我々を呼び出した理由を聞こうか」
まったくせっかちな叔父らしい、と苦笑してジルサンダーは集まった面子にゆっくりと視線を送った。
そして重厚な低音で切り出した。
「建国祭にコリンナが攻めてくると思われます」
レオンは口に入れかけたサンドイッチを落とし、アレクシスは口が開いたままだと意識がないのか、含んだ珈琲がダラダラと垂れた。
どちらも見開きすぎて眼が痛そうだ、とジルサンダーはどうでもいいことを心配した。
ただミケーレだけは、すでに口に放り込んでいたチーズをゆっくりと咀嚼しながら、腕を組んでソファに身を沈めた。
誰もが次の言葉を待って、恐ろしいほどの静寂のなか、息を飲んだ。




