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81 マリオデッラの思惑

とっぷりと日が暮れてから戻った私室はカーテンが開け放たれていても暗く、ギルバートが先立って室内へと足を踏み入れて灯りを灯さなかったら一歩先へも進めないほどだったが、物の位置を把握しているジルサンダーは室内が明るく照らされる前には目的のソファにどさりと身を預けるようにして座っていた。

ダンスレッスンにすっかり参った身体は意志を総動員しても指一本も動かせないほどの疲労感に包まれていた。


帰国から3日間、レディ·ロジェールのレッスンは絶え間なく休みなく至極激烈に実施されており、ジルサンダーと同様に踊るレティも今頃は風呂でマッサージでもされながらうとうと至福の夢心地だろうか、と考えて、ふわりと笑んだ。


「お疲れでしょう、すぐに食事のご用意を致します」


「いらん、食べられるわけないだろう?いまなにかを口に入れたら吐く」


ぶっきら棒に言ってジルサンダーは水を飲んだ。味のあるものなど、口にしたくもなかった。

疲れすぎて胃が引っくり返りそうなのに、食べ物を受け付けるはずもない。


「レティ様も随分と上達されて、あれなら夜会も安心です」


ギルバートの感想にジルサンダーはにやりと顔を歪めた。ゆったりとソファに身を沈めて、もう一口水を含んだあと、ジルサンダーはギルバートに影を呼ぶように頼んだ。

ブルーデン家に張り付けてある影だけを。


「承知しました」


下がっていくギルバートを眼だけで見送りながら、ジルサンダーの頭は急速に回転を始める。

ローズマリアという手駒を失い、レオンという傀儡も失ったはずのマリオデッラが大人しいことにジルサンダーはどうにも違和感が拭えない。ましてや己の都合のいい令嬢をアレクシスに押し付けるかと思いきや、マリオットの言が本当ならば次期王妃はアレクシスが選出し、その令嬢をブルーデン公爵家の養女と迎えることで決着している。


ブルーデン公爵家から王妃が輩出されるのは間違いのないことだが、それでマリオデッラが甘い蜜を堪能できるのか、と言えば決してそうではないだろう。

むしろ発言権は弱まるのではないか。


おそらくアレクシスが選んだ女性は聡明で公明正大なタイプだろう。そしてアレクシスをどこまでも立てて支えてくれるだろう。そんな女性がマリオデッラの言いなりになるわけがない。アレクシスもブルーデン公爵の発言力が強くならないように、己の政治がきっちりと隅々まで行き渡るように王妃としたあとも管理していくことだろう。決して好き勝手にはさせないだけの気骨ある態度で愛していくだろう。


ならばなぜ…?


あれほど大人しく無抵抗にすべてを受け入れたのだろうか…


ジルサンダーは首を捻った。あまりにも胡散臭い。裏がないとは信じられない。なにかを企んでいて然るべきではないか、とどこまでもマリオデッラを警戒してしまう。


ジルサンダーは胡乱げな闇を宿した碧眼を、唐突に感じられた気配に向けた。


「来たのか?」


「お呼びでしょうか?」


姿はなくとも声だけははっきりと響く、が、部屋から漏れるほどの明瞭さもない。絶妙な滑舌に声音だ。

まさに鍛えられた喉だろう。


蒼の腹黒(マリオデッラ)でわかったことを話せ」


「蒼の貴婦人が宝石の殿下(アガロテッド)に求婚された際にロマリア王国を望まれました。宝石の殿下はそれを承諾し、蒼の貴婦人を母国へと連れ帰りました。蒼の当主はその後、養女獲得に知恵を絞ったようですが、ここ最近体調が思わしくなく、立っているのもやっとの状況に随分と投げやりなご様子です」


影の報告を聞きながらジルサンダーは帰国後すぐに会ったマリオデッラの顔色がかなりどす黒かったことを思い出していた。血色が悪い、などまだ血の気のある状態だと考えてしまうほどに土気色だった彼が腹を庇うように背を微かに曲げていた姿までが瞼の裏に浮かんできて、立っているのもやっとだという影の言葉に深く同意した。

いつもは人を圧倒させようと無理にでも胸を張って威嚇するような男なのに。


それほど体調が悪ければ悪巧みを実行するだけの気力も湧くまい、とジルサンダーはブルーデン公爵家を潰すのか、アレクシスに都合のいい清濁あわせ持つ男をブルーデン公爵家に迎え入れさせるのか、と頭をフル回転させはじめて、己がロマリアの王子ではなくなることを思い出し、自嘲の笑みを洩らした。


それを考えるのはアレクシスであって己ではない。


だが、懸念すべきことは他にもある。


「ロマリアを欲して承諾した、というのはどう捉える?」


影の報告をともに聞いていたギルバートにジルサンダーは問い掛ける。


「そのままの意味ではないですか?」


ギルバートのあっさりした返しにジルサンダーは低く唸った。それは想定内の返事であったし、そうでなければいいと願ったものでもあった。


「ならばアレクに伝えねば…」


「問題はいつか、ということです」


淡々と言葉を続けるギルバートをちらりとねめつけて、ジルサンダーはため息をついた。


「コリンナはすでに攻めいるだけの支度は整えている、とレイチェル叔母上は仰っていた。となると毒婦に惚れた弱みですぐにでも向かって来ると予測したとしても大袈裟ではないだろう」


「左様ですね」


「ロマリアが最も無防備で、コリンナの勝率が高いと考えられるのは……」


そのタイミングはひとつしか思い浮かばない。そしてそれが正しかったとしたらロマリアの準備はまったく調わずに応戦しなくてはならなくなる。


「できれば国境付近で開戦したいところだが……」


呟いたジルサンダーにギルバートが囁いた。


「アレクシス殿下にお伝えするのもいいですが、その場にミケーレ·デイグリーン公爵様とレオン殿下のご同席を願われると宜しいかと」


国王軍を動かすより、常に戦支度を欠かさない国境警備軍をも指揮下に置くミケーレと、すぐにでも身軽に動くレオニティを迎え撃たせたほうが対処できる、とギルバートは暗に示唆した。


「そうだな、ギルバート。では3()()にすぐにでも会えるか、打診しておいてくれ」


できればこのまま軽く湯浴みでもして眠ってしまいたいジルサンダーは肩を落としてソファにさらに沈み込んだ。


「お忙しい2()()ですので、すぐには会えないでしょうから、ジル様はどうぞそのままお休みくださいませ」


ソファに横になった主の身体にブランケットをそっと掛けたギルバートの予想は残念ながら大外れだった。


ふわふわと夢に堕ちた直後、ミケーレの荒々しい訪問をジルサンダーは受けていた。

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