80 レティとの再会
「メアリー!ナタリー!無事で会えて嬉しい!!」
王城の玄関ホールで三大公爵に迎えられたあと、レティはギルバートの先導で王城で与えられた私室まで戻ってきていた。部屋の前には帰国の報せを受けた双子が今か今かと待ちわび、うろうろと彷徨っていて、ドアを護る騎士から苦笑を頂戴していた。
その姿が視界に入ったレティは歓喜のあまりはしたなくも廊下を駆け出し、双子に抱き付いたところである。
マルガ滞在中に手紙を貰って無事を確認していたが、やはり実際に会えば感触を伴って実感が湧いてくる。レティは菫の花咲く瞳を涙でいっぱいにした。
「レティ様、泣かれては……」
マルガでレティが女神だと明かした話は彼女本人からの手紙の返事でわかってはいたが、ここロマリアでは誰も口にはしていない。
どのタイミングで公表すべきなのかはジルサンダーに一任されているため、ここでレティの流した涙がバイオレットサファイアに変わる様を見られては一大事だと、やんわりと戒めたメアリースーがレティを包み込むように抱いた。
「ごめんなさい、嬉しくて!」
「はい、それはわたくし共も同じでございます」
「いえ!それ以上です!!レティ様に何事かあれば、わたくしはこの世を滅ぼしてからあとを追うつもりでしたから!!」
力強く物騒な発言をして、ナタリースーがくしゃりと顔を歪めた。するとボタボタと音を立てて滂沱の涙を流し始める。
「みっともない!ナタリー、慎みなさい」
「いいのよ、メアリー、おかげで私の涙は引っ込んだもの」
笑い含みでレティが言えば、メアリースーも破顔する。ギルバートはそんな3人を微笑ましげに見守っていたが、ナタリースーにお茶の準備を促しながら、メアリースーにはレティの旅の疲れを癒すための湯浴みの催促もした。
双子は己が侍女であることを急に自覚したように眼を見開くと、きびきびと動き出した。
湯浴みを済ませ、簡単なドレスを纏い、軽く結い上げた赤毛を揺らしてレティはあふりと欠伸をひとつ洩らした。
眼前のテーブルにはナタリースーが用意した軽食と紅茶があり、くぅぅと小さく鳴いた腹の虫のためにもレティは寝る前になにか食べようと、ハムとチーズのシンプルなサンドイッチに手を伸ばした。
「マルガのサンドイッチはボリュームが凄くてね、スパイスが効いていて、どれも辛いの」
ぼんやりと半分瞼を閉じながら、レティは一口サンドイッチを齧った。僅かな胡椒の刺激が物足りなく感じて、カザーロマルタが作ってくれた猪肉のスパイス煮込みが恋しくなった。
「でもね、やみつきになりそうなのよ」
ジルサンダーがマルガの子になることが決定したからにはレティはロマリアとお別れをしなくてはならない。そうなれば甲斐甲斐しく己を世話してくれる大好きな双子ともお別れなのか、と哀しみに飲まれそうになる。
「マルガはロマリアの北で寒く冬が厳しい国ですからね、身体を温めるスパイスは欠かせないでしょうね」
メアリースーがせっかく結い上げたレティの赤毛を優しく指を使って解いていく。眠そうな主の様子に軽食を食べて貰ったらベッドまで連れていこうと画策しているのだろう、とレティは思って、大人しく髪が肩に流れるのを感じていた。
「そうね、冬だけ飲むスパイスミルクティが今から楽しみだわ」
「わたくしもです」
赤毛をオイルを含ませた掌で漉きながら首肯したメアリースーの言葉にレティの脳をぼんやりとさせていた眠気が一気に吹き飛ばされた。
「えっ?!」
「どうされました?」
突然上がったレティの声に、髪が指に絡まって痛かっただろうか、と懸念したメアリースーが窺うように覗き込んだ。
「もしかしてマルガに一緒に来てくれるの?」
おずおずと聞くレティの顔を覗き込んだまま、珍しくメアリースーはきょとんとした。
「そのつもりでしたが、ご迷惑ですか?」
そこへ出来立てで湯気の立つパンケーキを持ってきたナタリースーが部屋の空気が固まっていることに首を傾げながらメアリースーを見た。
「マルガに行くつもりだったわよね?」
姉から問われたナタリースーが驚愕と衝撃に眼を丸くした。
「えっ!連れて行っていただけないんですか?!」
唾も飛ばさんばかりにレティに詰め寄るナタリースーの後頭部を見事なスナップを効かせて叩き抜くと、メアリースーはほっこりと眼を細めて主を見つめた。
「わたくし共は離れる気など毛頭ございませんでしたが、レティ様は置いて行くおつもりだったのですか?」
茶目っ気たっぷりな意地悪を口にされて、レティは安堵感から堪えきれずに声をあげて泣いた。
床に涼やかな音を立てて転がるバイオレットサファイアをナタリースーは拾い集め、メアリースーは泣かせた責任を取ってとても愉しそうに主を慰める、という謎の光景が出現した頃、玉座の間ではマリオットがジルサンダーの今後を重臣たちに話し始めていた。
「畏れながらジルサンダー殿下は…?」
恐る恐るマリオットに聞いたのはブルーデン公爵管轄の文官のひとりだった。まだ官位が高位ではないため、彼の胸に輝く証は銅だ。
「ジルサンダーは子のないマルガ国主夫妻のところへ養子に出す。レイチェルが望むから仕方なかろう?」
マリオットの返事に広々とした広間にざわめきが走る。
「よい国主となるだろう、ジルならば。レイチェルもなかなかいい眼をしておる。それにともない、ジルは予てより公言しておったレティ嬢と婚姻を結ぶ。婚約者にはローズマリア·ブルーデン公爵令嬢も候補としていたが、先日コリンナ国のアガロテッド·コリンナ王太子殿下の求婚を受けてすでにロマリアを立っておる。そうだな、マリオデッラ?」
重臣の前に立つマリオデッラ·ブルーデンに驚きに満ちた視線が幾数と突き刺さるなか、彼は恭しく礼を取った。
「左様にございます。アレクシス殿下の王妃候補はまた折を見て殿下と相談したく存じます。どうぞ我がブルーデン家の養女に迎えさせていただきたく…」
「マリオデッラもそう申しておる。アレクは自分の花嫁をしっかりと選ぶがよい」
「は!有り難き幸せにございます。ブルーデン公爵にも感謝申し上げる」
ブルーデン公爵家から次期王妃が輩出されるのは既定路線なので、どこからも異論はなく、むしろ耳鳴りを意識してしまうほどに緊張した静かな空気に包まれていた。
「ジルの選んだ花嫁も見目よし、教養よし、の申し分のない子だと教育係から報告がある。充分に国主の妻としてやれるだろう、な?」
マリオットが機嫌よく、隣に座るダリアに向けて誇らしげな笑顔を見せれば、ダリアはそれを微笑ましく受け取って、
「そうですね、ただレディ·ロジェールだけはレティちゃんのダンスはまだ披露できない代物だと言ってましたけど」
と可笑しそうに笑った。ジルサンダーは下げていた頭を上げてダリアを見つめると、無表情に小さく頷いた。
「建国祭最終日の夜会までには仕上げるよう、ともに頑張りたいと思います」
「それがいいわね、ジルの独占欲のせいでレティちゃんは練習不足のようだから」
「反省しますが、それほど愛してるとご理解ください」
冷徹王子、女嫌い、もしくは女性アレルギーか?と噂され続けてきたジルサンダーの独占欲の強さと嫉妬深さが曝け出されて、また重臣たちの間に激震が走ったようにざわめいた。
「ではこれで私からの通達は以上だ!今夜は王子たちの帰国を祝って宴を催す。それまでおまえたちは旅の泥を落として休むがよい、他のものたちは仕事に戻れ!」
マリオットの言葉に素直に散会する重臣たちを見送って、ジルサンダーは国王夫妻の前から辞した。
マリオデッラ·ブルーデンがなにを企んでいるのか、知るために放っていた影を部屋に呼ぼうと考えながら……
レオンは疲れを滲ませた表情を浮かべて、ジルサンダーに追従するように下がり、次期国王に指名されたアレクシスはマリオットに手招きされるままに陛下の私室へとともに向かっていった。




