79 帰国したら仲直りしてました?
今一つ己の置かれた状況を理解していないレオンと、マルガに入国するなり拘束され、突如理由もなく釈放されて首を捻るレオニティとアレクシスを連れてジルサンダーは叔父に一旦別れを告げた。
大門まで見送りに出たカザーロマルタは感極まってレティの手を取り、大仰に泣きながら跪いたので、ナッシュをはじめとする国境警備隊全員がその場に額づくハプニングもあり、なかなか賑やかな門出ではあった。
「恥ずかしくて死にそうです…」
顔から火が出そうでした、と呟くレティは確かに化粧でも失敗したのか、と勘繰るほどに可愛らしい頬が紅潮している。その様子を見ていたアレクシスがぷっと小さく吹き出した。
ジルサンダーはレオンとともにレティの乗る馬車を警護するように馬に騎乗して並走している。
女神の浄化がいっそ清々しいほどにレオンを無垢な男にしてしまったので、戸惑いを隠せないジルサンダーも今や弟として彼を好ましく思うようにはなっていた。
アレクシスとしてはそれが面白くなくはないが、あれほど拘っていたロマリア国王の指名をアレクシスが受けることが決まったと知っても動揺も嫉妬もなく、ただ
「アレクシスなら安心だな」
と朗らかに言ったレオンを悪くは捉えられなくなっていた。
さすがに自身のバーバラ·ドリューとの婚姻に関しては無言を貫いてはいたが。
不満があるわけではなく、ただひたすら理解できないのでコメントのしようがないだけだろう、とアレクシスもジルサンダーも考えていた。
「レティ、そろそろ着く」
馬車に揺られて丸一日以上。
臀部が痛いな、と身体をずらしたときにジルサンダーから声が掛かった。思わず嬉しさに顔に喜色を浮かべてしまう。それでもあと少しは我慢だ、とアレクシスからフカフカのクッションを譲って貰った。それは悪い、と断ると
「じゃ、僕の膝に乗る?」
と恐ろしい交換条件を出されたので、レティは顔を真っ赤に染めて有り難くクッションを使わせて貰うことにした。
レオニティによる凱旋行進のような華々しさで王都に戻った一行は真っ直ぐに王城へと進んでいく。すでに先触れがあったらしくミケーレをはじめとする三大公爵とパーシバルが城の玄関ホールに勢揃いしていた。
ミケーレの先導で玉座の間に向かえば、そこには珍しい光景があった。玉座に向かって立ち並ぶ重臣たちが集められた様子は特別平素の朝議と変わりないが、その彼らが畏敬を込めて向いている玉座に異変があった。
さすがのレオンでさえ、驚きに口が閉じない。
ジルサンダーは一瞬呆気に取られたが、すぐに気を取り直すと片膝を付いて敬愛を示した。アレクシスもそれに従い、弟から袖を引かれたレオンが慌てて跪いた。
「許可も得ない突然のマルガ訪問、お許しください。両陛下!」
「よいよい、どうせレイチェルが我儘を言ったのであろう?」
いつになく上機嫌なマリオットが雰囲気も和やかに言って、艶かしく隣にとろりと蕩けた眼差しを送る。
「元気だったかしら?」
その視線に己のを刹那に絡めて、挨拶をしたジルサンダーに声をかけたのは滅多に後宮から出てこないはずの王妃ダリアだった。
「はっ!叔父夫婦はお元気で、滞在中、大変よくしてくださいました」
「そうか、では礼の手紙ひとつ、書かねばならぬな」
ほんわかと笑みを浮かべてマリオットはそっとダリアの手を握る。その手に手を重ねて、ダリアも幸せそうにはにかんだ。
眼前で繰り広げられる両親の些細な触れ合いに、猛烈な違和感を覚えつつ、ジルサンダーは一礼を返した。
なにが起これば14年も避けてきた相手とこれほどの甘い空気を生め出せるのか、ジルサンダーだけでなく、アレクシスも心中で首を捻る。
「ダリアから連絡があったと思うが、おまえたちの行く先を考えるべきタイミングだとふたりで話し合ったのだ」
またふわりと甘い瞳を絡ませ合う。
「ジルがレティ嬢を娶るほどに大人になったのだ、と思えば、まだ年若いアレクもあっという間に成人を迎えてしまうだろう、今のうちにおまえたちの幸せな未来を願うのも親の務めとダリアと決めたのだ」
妄想全開で妻の乳房に夢中になって相談内容などロクに聞いてなかったマリオットだが、建前はダリアと話し合って決定したことにはなっている。
「ジルは花嫁を自ら決めたが、レオンに意志を確認するつもりはない。バーバラ·ドリュー王女殿下との婚姻に反対はさせない。それだけマルガに私軍を引き連れて行ったのはロマリア国王として看過できない行動であったと理解してほしい」
幽閉も投獄も処刑もしない代わりに意に添わない婚姻であっても大人しく従え、と言外に伝えていた。
マリオットはレオンの気性の荒さに反論を覚悟していたが、
「父上のご配慮、まさに痛み入ります。不肖な私ですが、ドリュー国が受け入れてくださるなら謹んでお受け致します」
と意外なほど素直かつ謙虚な言葉が返ってきて、反論対策の台詞しか頭になかったので、二の句が告げなくなった。
「バーバラ様は虚弱な方ですが、大変見識高く、知的な美人さんだと聞いてます。きっと貴方の真っ直ぐな性格と情熱は彼女の救いとなるでしょう、しっかり励みなさい」
きゅっと黙ってしまったマリオットの手を握り返してからダリアは慈しみの眼差しでレオンを温かく包んだ。
「はい、必ずやロマリアとドリュー両国のために尽力致します!」
「まぁ、頼もしいことね」
ころころと笑って、ダリアはマリオットを見た。視線が絡まり、軽く頷いてみせる。
「私は第三王子アレクシスをロマリア王国次期国王として指名したいと考えている。5日後の建国祭に布令を出すつもりだが、異論のあるものは?」
レオンの激変からダリアの気遣いによって気を取り直したマリオットが眼前に跪く息子たちだけでなく、その背後に居並ぶ重臣たちにも向けて言った。3人の王子たちは無言のまま一斉に頭を下げたが、ロマリア王国に忠心を捧げる重臣たちは互いに視線を合わせては彷徨わせた。三大公爵は眉ひとつ動かすことなく、正面を向いて立っていたが、ミケーレが突然胸に拳を当て、一礼をその場で行うと
「異論などございません。アレクシス殿下の有能さと才気溢れる様は日々の政務でよく存じております。陛下にはよくぞ選んでくださった、と御礼申し上げたいくらいです」
と、低いがよく通る声で静かに応えた。そして傲然と顔をアレクシスに向ける。
「マリオット国王陛下万歳!ダリア王妃陛下万歳!アレクシス王子殿下万々歳!」
ミケーレの万歳の声にピナールとマリオデッラも唱和しはじめる。
「マリオット国王陛下万歳!ダリア王妃陛下万歳!アレクシス王子殿下万々歳!」
次第にそれは集められた重臣たちにも広まっていき、玉座の間は途端にロマリア王家を讃える響きで空間が埋められていった。広い空間を漂い、天井から降るように注がれる賛辞に頭を下げたままのアレクシスの頬が興奮と感動で紅く染め上げられていく。
ジルサンダーとレオンは横目で慶びに僅かに震えている、常には謙虚な己の弟を窺い、微笑ましそうに相好を崩した。
このとき誰の胸にも誇らしげな気持ちが宿り、万歳の声だけでなく、幸福感に彩られた感情が玉座の間に充ち満ちていた。




