78 ロマリア一行は帰国する
女神の浄化によって思惑の絡んでいた兄弟がそれぞれの進むべき道を見出だしたのだと、ダリアからの餞を読んで理解した。
ジルサンダーにはレティと送るマルガでの未来を。
レオンにはロマリアから離れた、重責の少ない新たなる未来を。
アレクシスには最も本人の資質に合った全うすべき未来を。
「急ぎ、ロマリアに帰国する!」
ジルサンダーは宣言した。
カザーロマルタも深く頷き、己の近衛騎士にレオニティの釈放を指示した。それにともない国境警備隊に即時大門の開放を伝令する。
「建国祭ですか?」
声に緊張感を孕ませてアレクシスが兄に聞く。
「おそらくドリューのバーバラ王女殿下も、コリンナのアガロテッド王太子殿下もそのときにロマリアに来られるはずだ、婚姻による両国の安定を示すために。このまま俺はマルガで過ごそうかと思ったが、マルガも出席を求められるだろう、そこに俺がいないわけにはいかない、帰らねば!」
肯定したジルサンダーが強い意志を込めた瞳を輝かせた。
慌ただしく帰国の準備がマルガはザッハで調えられていく2日前、ロマリア王国では王妃ダリアの懇願により実に何年ぶりかで、国王夫妻が夫婦の私室にて向かい合っていた。
会いたくて会いたくて会いたかった愛する人を前に、震える胸を押さえながらマリオットは優雅に紅茶を飲むダリアにうっとりと見惚れていた。
が、王族として表には出さない訓練の賜物なのか、彼の表情はまったく堅い。
それがダリアには怖くて不安で、彼女もまた公爵令嬢として育てられてきた矜持をもって無表情だが、それでもなお少しでも彼に魅力的に映るように神経を最大限まで使っていた。
「で、ダリア、身体はどうだろうか?」
掠れた渋い声が戸惑いがちにダリアに向けられ、彼女はその内容と声音に思わずこてんと首を傾げてしまった。あまりにもダリアにとって不思議な第一声だったのだ。
「風邪ひとつひいておりません、元気ですわ」
誰かから体調を崩したと吹き込まれたのだろうか?
後宮に引きこもっているのが体調不良だと思われているのだろうか?
「陛下もお変わりなく、お元気そうで安心致しましたわ」
やや目の下に隈はあるものの、血色のいい顔色にダリアはほわりと微笑んだ。
会ってしまえばわりと普通に話せるものだ、と安堵した気持ちになり、急に気楽な気分になった。その気分のまま、緊張に糺していた姿勢をゆったりと弛めてダリアは椅子の背に己を凭れさせる。
コルセットをきつめに着付けてある彼女の豊満な乳房がその僅かな衝撃に柔らかく揺れ、浅い呼吸に合わせて艶かしく上下する。
マリオットは無表情に頬を赤らめて食い入るように一点を凝視した。
「んんん、元気ならいい。それで話とは?」
空咳を溢して、自然に視線を逸らしたつもりのマリオットは落ち着け!と己に強く言い聞かせて紅茶のカップを手に取った。しかし興奮に震えて無作法にもかなり激しく水面が揺れた。
溢さなかっただけ奇跡だろうか。
本当なら向い合わせでなく隣に座りたい、いや己の膝の上に乗せてこの両腕で絡めとって逃がさない。
あの乳房に顔を埋めて、あの世にでも昇天してしまいたい。あの唇を貪り尽くし、今すぐにでもダリアのドレスのなかに潜り込み、彼女の中へ荒れる己を深く深く沈めてしまいたい!
妄想に火が着きそうになり、マリオットは慌てて頭を振った。
その様子を勘違いしたのか、気遣わしげにダリアが眉を下げ、
「ダメだったでしょうか?」
と不安げに呟いた。
あぁ、この爽やかな朝を報せる鳥の囀りのような愛らしい声を乱して喘がせてみせたい!
その欲望に応えるがごとくにマリオットの下半身が熱く疼きはじめて、ハッと我に返った。
これだからダリアに会ってはならないのだ、とつくづく己の不幸を呪う。なぜ枯れてくれないのか、と視線を落としてすっかりと滾って屹立している自身を憎々しげに睨み付けた。
「陛下は賛成ではないのですね…」
険しい表情で黙って俯くマリオットにダリアは悄然と項垂れてしまった。その姿を目の当たりにして、マリオットは内心で大いに慌てた。
あまりにも久々のダリアに妄想力が暴走していて話の欠片すら耳に入っていなかった。
「その、ダリア、貴女の願いはすべて叶えたいと思うが、私にも思うところがあって、な」
なんとか話を聞き出すために曖昧な言葉で誘導したマリオットは、項垂れたまま吐息を洩らしたダリアにまた胸を高鳴らせた。
「いえ、陛下にも当然お考えがあって然るべきで…」
「名を!」
ダリアの言葉に被せるように懇願したマリオットを弾かれたように見た。真っ直ぐに、ただ直向きに。
「名を、呼んでは貰えないか?」
貴女の、天上の音楽を奏でるかの、最上の美しい声で…
心で訴えれば、ダリアは少し照れたように微笑んだ。
「マリオット様…?」
「名を、名だけを…」
「マリオット…」
あぁ、そのまま愛してると囁いてくれ!
それだけで私は今この場で貴女に刺されても生きていける!
妄想力全開でマリオットは感激にうち震えた。
「ダリア、なんでも貴女の言う通りで構わない。貴女の決めたことに間違いなどあるはずもないのだから」
低い、けれども底なしに甘い声音でマリオットは囁いた。ダリアは瞠目したが、すぐに嬉しそうに破顔した。
「では、ジルはマルガに養子に、レオンはドリューの王配に、アレクが次期国王の指名を受ける、ということで宜しいのね!」
「………は?」
「良かったわ!レイチェルも喜ぶし、一人娘のバーバラ王女殿下を心配していたサライ王妃も安心するし、アレクの溢れる才気も生かせるし、本当に嬉しいわ!」
喜色満面に単純そのものではしゃぐダリアに、許可を出した内容に驚きつつも、マリオットは近年にない幸福感に包まれた。ほわほわといつもとは違う温かさに胸が優しく高鳴っていた。
なんでもいいか、ダリアが喜ぶなら、とマリオットも満更でなく微笑みを返す。
「ローズマリア嬢がコリンナの王太子殿下の求婚を受けたときはうちの王妃はどうなるのかと思ったけれど、それもマリオデッラ·ブルーデン公爵が養子を迎えると言っていたし、どこも丸く収まりそうね」
同意を得るように首を傾げたダリアの美しさにマリオットは鼻血を吹くかと片手で鼻を押さえて天を仰いだ。
なんと、貴く美しいのだ!
声を全力に叫びたいが、その欲求に負ければこの場でダリアを押し倒してしまう危険性にマリオットは必死に耐える。
「マリオット?どうかしまして?」
天井に何かあるのかと、ダリアまで上を仰ぎ見て、その可愛らしさにマリオットはさらに悶絶するが、彼女は気付くこともなく、可笑しな人、と言って軽やかに笑った。
あぁ、女神がいたとして、これほどの試練をお与えになるとは…!
マリオットはこの夜、何年ぶりかの独り寝を堪能した。適当な女を抱くより、会ったばかりのダリアを思って枕を抱く方が何倍も彼に素晴らしい夢を運んできてくれたからだろう。
実に多幸感に溺れ、爽快感に溢れた朝を迎えたことは間違いがない。
ロマリア王国建国祭まで残り一週間と少し。




