77 それぞれの未来
「まったく状況が掴めないのだが?」
床に直接胡座をかいたまま、レオンは悪びれる様子もなく心配そうに窺って傍に立っていたジルサンダーに無愛想に言った。
その一言があまりにもレオンらしくて、ジルサンダーは思わずぶっと笑ってしまった。
「ここはおまえが察した通りザッハだよ、レティに会いたくて強行突破で押し掛けてきたんだぞ?」
ジルサンダーがにこやかに、かつ雑な説明をするとレオンはあからさまに顔を歪めた。
「なぜ私がそこの女を追っかけてマルガまで来る必要がある?」
そして首を傾げる。
「いや、確かに私は会いたくて堪らなかった、ような記憶、がなくもない…」
明後日の方向に視線を飛ばし、顎に手を当てて首を捻るが、はっきりした答えが出ないのか、レオンは苛立ったように乱暴に己の髪を掻き乱した。
「私は………最近どうも頭がぼんやりしてて………」
「いつものことじゃん」
小声で冷めた眼差しを送るアレクシスが呟くが、聞こえていても誰もあえて反応しない。
「そうだ、ローズに珈琲を淹れて貰って、ジルサンダー兄上の女に会って来い、と言われて、アレクシスの部屋まで………アッ!!!」
真ん丸く見開いた真っ赤な瞳でレティに見入ったレオンが王族らしくなく無作法にも震える指で彼女を差した。
「おまえ、おまえが、いて、とても綺麗で、この世のすべてを眼にすることがあっても貴女のような、女神には出会、え、ない?えええ??」
せっかくはっきりした頭がまた混乱したのか、両手で頭を抱え込むレオンにジルサンダーはふわりと笑って、弟の眼前にへたりこんでいたレティを掌で指し示した。
「今も彼女を見て、そう感じるか?」
それに応えるようにレオンがちらりとレティに視線を這わせたが、以前のような熱もなければねっとりと纏わりつくものでもなかったので、レティは悠然と立ち上がるとレオンに優美なカテーシーで一礼をしてみせた。
「まぁ、俺はこの世の美しいものすべて集めてもレティ一人の美しさには敵うまい、と思っているがな」
楽しげにまるで吟うように賛辞するジルサンダーにレオンは眉根を顰めた。
「この女がそこそこ可愛いのは認めるが、美しいとは思わないな」
「それを聞いて安心したよ」
素直なレオンに手を差しのべて、ジルサンダーは床に座り込んだ彼を立ち上がらせた。
「レオン兄上、ブルーデン公爵令嬢のことはどうですか?」
ジルサンダーが長兄らしく弟を受け入れる仕草を示したのが僅かに面白くないアレクシスが憮然として問い掛けた。
「ブルーデン……?」
「ローズマリア・ブルーデン公爵令嬢ですよ、ご執心だったでしょ?」
「あぁ、それも確かに記憶にあるが、そうだな、私はローズを愛していた、が、どうだろうか、愛してる、の、か?」
「いや、知らないし!」
己の心が何処にあるのかわからずに首を傾げるレオンに、アレクシスは怪訝そうな表情を浮かべてレティを見た。すると彼女はにこりと笑み、
「どうやら私の力が邪な想いから生まれたもの、すべてを浄化してしまったのかもしれません」
と、簡単に言った。
そのとき、レオンの侍従が息も荒く、開け放たれた玄関から転がるように入ってきて叫んだ。
「レオン様!大変でございます!レオニティが、拘束されました!!」
カザーロマルタがその絶叫に滂沱のごとく流していた涙を引っ込めた。そして影として追従させた近衛隊が捕えたのだな、と微かに微笑んだ。
驚愕の表情のまま、レオンに縋って侍従がどういうことでしょうか?!と泣きそうになっているが、当のレオンはきょとんとした顔で眼を眇めて己の侍従を見遣った。
「レオニティ?なんだそれ?」
「レオン様ッ?!」
「それは私のものなのか?」
「……えぇえ………!」
この状況を楽しむようにカザーロマルタがほわりと微笑んだ。邪な想いから生まれたものが甥からなくなったのならば、案外レオンはいい弟ではないのか、などと考える。
レオンが捻じ曲がったのはジルサンダーへの劣等感からだ。けれどそれすらもなくなればただの脳筋。実直真っ直ぐ猪突猛進。
素直ないい子なんだ、と甥を可愛がる叔父としてにんまりとしてしまう。
「レオンが連れてきた私軍だよ、レオニティという名のね。入国許可証に騎馬武具武器の持ち込みがあればマルガ国侵略目的の進軍と見做して拘束する旨、通達しておいたはずだけどね、それが実行されたんだね、うちの騎士たちは優秀だから」
カザーロマルタの言葉を受けて侍従が急いで己のポーチから仕舞っておいた許可証を取り出して、震える手で広げて読む。
そして愕然と肩を落とした。
「これは国家間では由々しき事態だよね」
あくまでも口調は呑気だが、カザーロマルタの瞳は決して侮れない光を宿している。侍従が恐れに小さく慄いた。
「私の私軍?そんなもの、ない………こともないのか?あれ?あるのか?」
レオンがこてんと首を傾げた。その顔に浮かぶのは戸惑いですらなく、ただただ不思議に思う表情だった。
「ロマリア王国第三王子アレクシス殿下に早馬にて急ぎ書状を持参致しました!」
そこへ更なる闖入者が現れる。
パーシバルから送られてきた書状を手にしたアレクシスの影がロマリア王国近衛騎士の姿で登場した。名を呼ばれたアレクシスが弾かれたように騎士に駆け寄った。
「どうしたの?パーシバルになにかあったの?」
囁くように交わし合う声に、ジルサンダーは眉根を寄せた。現状、ロマリアの三王子すべてが国を留守にしている異常事態に、何者かが善からぬことを為そうとするなら千載一遇のチャンスだろう、と懸念していたからだ。
「ジルにいさま!」
手渡されたばかりの書状をジルサンダーに見せたアレクシスの瞳が驚愕と歓喜に彩られていて、ジルサンダーは深い興味をもって書状を素早く一読した。
それから相変わらず状況を飲み込めていないレオンを気忙しげに見遣る。
カザーロマルタがその様子をのんびりと眺めていたが、痺れを切らしたフリをしてジルサンダーをせっついた。
「レオン、ブルーデン公爵令嬢のことはまだ好きだろうか?」
低く問われた内容にレオンは素直に考える素振りをみせた。そして軽く首を振る。
「いや、もう、それもわからない」
「そうか、では構わないかな。ブルーデン公爵令嬢はコリンナ国王太子アガロテッド·コリンナ殿下の求婚を受け入れ、近日中にコリンナへと移住するそうだ」
「なんと!」
声をあげたのはカザーロマルタ。
一番の厄介案件だったローズマリアがロマリアから居なくなる。これでアレクシスはマリオデッラ·ブルーデン公爵とやり合わずともローズマリアを娶らなくて済む。レオンを臣籍降下させる必要もなくなる。
「それからこれは母上の希望だそうだが…」
「母上の?」
眉を顰めたレオンにジルサンダーは思慮深げに柔らかな光を瞳に湛えて静かに書状を読んだ。
「此度のロマリア王国の意図しない進軍の免責はレオンにある。よってロマリア王国第二王子の廃籍が国王により決定したことを報せる。ジルサンダーが王位継承権を放棄したこともあり、これによって第三王子アレクシスが次期ロマリア国王に指名されると建国祭において布令が出される。なおレオンはドリュー国の次期女王であるバーバラ·ドリュー王女の王配として婚姻を結ぶことが決定した」
「僕が、次期、王……?」
覚悟していたはずなのに労せずに指名されたアレクシスが愕然と呟き、
「私がドリューの?」
唐突に浮上した己の婚姻話に戸惑うレオンの間の抜けた声がマルガの誇る別荘の玄関ホールに吸い込まれるように小さく木霊した。




