75 レオンに入国許可がでる
マルガ国主カザーロマルタの執務室で、神妙な顔をしたレティが未来の義父と対面していた。
カザーロマルタはデスクの椅子に座っていたが、レティはそのデスクを挟んで立っていた。女神を立たせたままにはできない、とカザーロマルタは強弁に主張したが、今ここにいるのは平民のレティだと言い切って現在に至っている。
座っていながらも、畏敬に背筋を伸ばし、緊張から普段流さない汗をダラダラと垂らしてカザーロマルタは恐縮していた。
「それで…その…レティ様、んんん!レティ、私に話とはなんだろう、ですか?」
挙動不審にも程がある。
「カジィ叔父様、先日のサロンでの話でレオン殿下が媚薬を飲まされたことがあったかと思うのですが」
ジルサンダー抜きで相談したいことがある、と執務室を訪ねて来られたときは、やはりマルガはイヤだ、ジルサンダーとも結婚したくない、とでも言われたらどうしようかと心臓を吐きそうになっていたカザーロマルタだったが、矛先がそちらではなかったことにあからさまに安堵した。
「あぁ、ジルがそんなことを言ってた、ですね」
この際、ヘンテコな話し方には目を瞑ろう、とレティは気にしないことする。気にしていたら、いつかきっと笑ってしまう。
大体女神最強信奉者なのだから、平民として接しろ、など元より無理難題を押し付けている感は否めない。
「ではカジィ叔父様にお願いがあります。レオン殿下へのマルガ入国をお許しください」
ぺこりと頭を下げてレティは言った。ガタタッ!と派手な音がしたと思えば、カザーロマルタが仰け反ったのか、椅子ごと後ろに引っくり返っていた。驚いたレティが慌てて駆け寄るが、腰を擦りながら大丈夫だ、です!と噛み気味に叫んで、立ち上がった。
「お怪我はありませんか?治しますよ?」
「ない、です!え、治してみてほしい気はする、ですけど、ない、です!」
「そうですか?」
「それよりレオンの入国許可、というのは………?」
頑なにレオンをレティに接触させたくないために強硬に入国拒否しているジルサンダーが知れば、どれほど憤激するだろう、とカザーロマルタの胸に暗雲が垂れ込める。
「はい、逃げてばかりではロマリアには帰れませんし、両親を迎えに行きたいですし、それに毒の類いなら私に消せると思うんです」
マルガに永住になりそうだから、望んでくれるなら移住しないか、という旨の手紙を送ったところ、アルフィから土地に執着はないがレティには固執する、との返事が早々とあり、なるべく早く迎えに行きたいとレティは願っていた。
これからアレクシスが政変を起こすつもりなのだから、安全に移動できるときにさせたいのだ。
「レオン殿下が媚薬のために私に恋着してるなら、その効果を消してしまえば、私に興味などなくなるはずです」
「確かに…」
「マルガリッテまで来なくてもいいんです。ロマリアに帰国しながらザッハで癒してしまえばそのまま帰れますし、なにより……」
レティは言葉を濁すか、ほんの一瞬迷ったが、覚悟を決めて息を吸った。
「それにレオニティを伴って越境させたほうがアレク殿下には好都合かと考えました」
レオンの入国許可をして、彼の私軍は拒否すればいい、その文言を少々ややこしくしておけば、脳筋は都合の良いところだけを抜粋して、軍を引き連れて越境してくるだろう。
カザーロマルタはなかなか甥の性格を見ているな、と感心した。
レティがレオンを判断するには時間としてかなり短いだろうに、アレクシスやジルサンダー、レイチェルから聞くレオンの為人でそう判断せざるを得なかったか?
「わかった、りました。すぐにでも文書を作らせよう、ますね」
「宜しくお願い致します」
深々と腰を折って、崇敬する女神は執務室を去った。
ここは南門国境警備隊が護るマルガ国の南端。
二重に重ねられた城壁の、内側にある第2南門前。
第1南門は開け放たれ、レオン率いる騎馬隊総勢50人のレオニティがずらりと隊列を組んで並んでいた。
城門のうえから見てもなかなかの壮観な景色だが、第2南門前で角突き合わせて睨み合う男ふたりから発せられる怒気に周囲は騒然としていた。
「わたしを誰だと思っている?!ロマリア王国第二王子レオン・ロマリアだ!叔父上に挨拶に来てるだけだろうが!即刻通せ!!」
「いかなる方であろうとも国主の入国許可なしにお通しすることはできかねます」
「だから!その!カザーロマルタが私の叔父だと言っている!!」
「だとしても御璽ある許可証がなければお通しできません」
「おっまえっ!!」
もうこの小競り合いが5日も続いている。
待機場所として簡易のテントが張られ、食事もマルガの兵士たちが提供しているが、レオンサイドは入国させないのだから当然だ、と云わんばかりの横柄な態度を崩さないし、マルガの兵士たちは許可証がないにもかかわらず居座ってる奴らの世話をなぜしなくてはならないのだ?と不満を募らせていた。
南門国境警備隊隊長のナッシュが表面上だけでも冷静に落ち着いて対処しているおかげで開戦しないだけで、かなり一触即発の雰囲気だった。
その険悪なムードのなか、パカパカと軽い蹄の音が響き、ふわりと場の空気が和らいだ。
「待たせてすまなかったね、久し振りじゃないか、レオン」
「カザーロマルタ陛下!!」
背中から突如聞こえてきた穏やかな声に振り返ったナッシュがマルガリッテの城にいるはずの国主に気付き、慌てて片膝を付いて頭を深く下げた。
「ナッシュもご苦労様、遅くなって悪かったね」
「……!勿体無いお言葉ッ!!」
名前を覚えて貰っていただけでも感動に打ち震えるのに労いの言葉までが添えられて、ナッシュはこのまま天に召されるかと思った。
まさに地獄から天国である。
「カザーロマルタ叔父上!いつまで足留めをされるのかと思いましたよ!」
レオンに微笑みかけながら、カザーロマルタは馬から降りた。そして護衛として傍にある騎士から紙を受け取った。一枚を門前のレオンに、そして残りをナッシュに渡した。
「お待ちかねの許可証だよ、うちの文官は優秀だけど私に似てのんびりでね」
暢気な態度でへらへらと笑うカザーロマルタを無視して、レオンは受け取った紙を一瞥する。そしてすぐに己の侍従に渡した。許可証は丁寧に畳まれて、侍従のポーチへと仕舞われる。
同じようにナッシュは渡された許可証を一読して、僅かに瞠目したが、チラリと窺ったカザーロマルタが鋭く眼を眇めた視線を寄越したので、ほんの微かに頷いてみせた。
「遅くなった詫びに私が来たのだから機嫌を直しておくれ」
阿るカザーロマルタにレオンは乗ってきた馬にひらりと跨がった。
「レイチェル叔母上は?」
「両陛下は家を留守にはできないからね、マルガリッテで留守番だよ」
「そうですか」
「とにかく先にレオンだけでもお入り」
カザーロマルタに促されたレオンはナッシュをひと睨みしてから厭らしくにやりと笑って、門を通過した。
すぐに追従してレオニティが通ろうとしたとき、ナッシュの合図で、門兵が手にしていた長い国旗を両側から交差させて留めた。
鼻先を掠めるように閉じられた国旗に驚いた馬が嘶き、レオニティの軍人たちの鎧がガシャリと重々しい音を立てた。
それを聞き付けたレオンが振り向き、通過させないように交差した国旗を睨み付けて怒鳴った。
「どういうことだ!」
「許可証を……」
「許可証ならおまえの手元にあるだろう!よく見ろッ!馬鹿か?!私とレオニティに対する入国許可は成されてるんだ!早く通せッ!!」
「………承知致しました」
渋々従ったナッシュに、カザーロマルタは実に満足げな黒い微笑みを贈った。
「まったく、叔父上はあのような無能をなぜこんな要職に就けるんですか!」
「そうかい?ナッシュは職務に実に忠実ないい部下だけどね」
これだから叔父上は甘いんだ、と首を振り振り、レオンはレオニティに入るように掌で指示した。
「さすがは脳筋だね」
低く囁くカザーロマルタの声は強く吹いた風に飛ばされて、誰の耳にも届かなかった。
重厚な鎧を着けたレオニティすべてが門を通過したあと、ナッシュは第2南門を完全封鎖すると宣言した。さらに商人、貿易商、旅人など手形のはっきりしたものに関しては西及び東に設置してある門、通称潜り戸から出入りさせるように指示を出した。
潜り戸とはまさにそのままのものだ。マルガの城壁には南門しか大門はないが、大門から3キロほど両端に離れた場所に人一人が潜れる程度の小さな門がある。それが通称潜り戸だ。
緊急の場合や大門が閉まったあとに入国するものたちへの配慮に配置された門なのである。
「あと乗合馬車を5台ほど城門内に待機!警備隊から騎馬隊小隊をふたつに分けて警護させろ!」
「はっ!」
城門内とは第1南門のある外側の城壁と第2南門のある内側の城壁に挟まれた幅500メートルほどの空間を指す。
「待機場所としてのテントも幾つか追加で建てておけ!」
「はっ!」
それだけを指示すると、ナッシュは第2南門を潜った。振り返って、肩まで上げた掌を真っ直ぐに下ろしてみせる。すると大門が僅かな軋みをみせながら閉まっていく。
次にナッシュは手を大きく振り上げた。城門上でその合図を確認した警備隊の一人が大きな滑車に咬まされた鎖を回し始めた。
すると閉じられつつある門の内側に堅牢な鉄格子がゆるゆると降りてきた。最後にドズン、と音を響かせて南門は完全に閉じられた。
「隊長、本当にこれで宜しいので?」
横で控えていた副隊長が窺うように小声で聞いてきたこで、ナッシュは手にしていた2枚の許可証を見せた。
「あ、これはこれは!」
一読して眉を上げた副隊長にナッシュは無表情のまま
「戦支度を整えておけ、いつ開戦か、わからん」
とだけ呟いた。副隊長はにやりと笑むと、きびきびと部下たちに指示を与えに去っていった。
ナッシュは許可証の最後の文章と、付随したメモ書きを思い起こして瞳に炎を宿らせた。
この3日間で幾度となく沸騰しかけては抑え込んだ怒りを発散できる喜びに口が歪むのを止められなかった。
ロマリア王国第二王子レオン・ロマリア殿下及び侍従の入国を許可する。私軍として帯同してきたレオニティも入国を許可する。
なお騎馬、武具及び武器を携えての入国が認められた場合、マルガ国侵略目的の進軍と見做す。
南門国境警備隊隊長ナッシュ殿へ
レオニティを進軍と見做した場合、直ちに門を閉じよ。その後は戦時と同等に対処するように。
カザーロマルタ
「陛下、門は命に変えても護ります」
ナッシュはすでに遠くに去ったカザーロマルタの背中に向けて誓った。
そしてその軽装を思い浮かべる。
己の主は暗愚ではない。なにかの罠を張ったのだ、と理解した。
カザーロマルタは飾り剣すら腰に差さずに登場した。その後ろに追従する近衛騎士たちも正装の騎士服に、腰には役にも立ちそうにない細身の飾り剣だけを差していた。胸当ても肩当ても楯もなし。
つまり完全に敵意なし、と示したのだ。
ザッハはまだシーズンオフで人が少ない。
カザーロマルタ直々にやってきて、大門を戦時と同等レベルで閉門したのだ。
なかなか面白いことになるんじゃねぇの?
沸き上がる軍人魂に、ナッシュは黒く微笑んだ。




