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72 ローズマリアの思惑

ブルーデン公爵家の屋敷(タウンハウス)の応接間には造りの大きいソファが中央に置かれている。三人掛けのものと、一人用が合計で4つ。


三人掛けのが上座にあるので、当然アガロテッドはそこに悠々と腰かけている。そして本来ならその向かい側の一人用にローズマリアが座らなければならないのに、べったりとアガロテッドに寄り添うように座っていることにもっと早く気付くべきだった、と珍しくも珍客の来訪に動揺していた己にマリオデッラは苦笑した。


「ローズマリアの父として、ロマリア王国宰相として申し上げます」


そこまで言って、マリオデッラは一息、細く吐く。そして傲然と顔を上げて、真っ直ぐに人らしからぬ薄い瞳を見つめた。


「アガロテッド殿下がお望みであるなら、わたくしに否やはございません」


「お父様?!」


「そうか、これは有難い!」


ローズマリアからは悲鳴が、アガロテッドからは歓喜の声が上がった。


「殿下のおっしゃる通り、縁戚から養女をとればロマリア王家には問題ございません。そしてご存じの通り、婚約者であったジルサンダー殿下は他の女性と婚前旅行に出てる始末でございます。ジルサンダー殿下のお心を掴むために必死に頑張る健気な娘の姿に親として涙なくては見守れないと嘆いておるところでした。そこにアガロテッド殿下のような立派な紳士に求婚されて慶ばない親がおりましょうか」


「お父様、まだ約束の期限には1週間以上ございます!」


ローズマリアが目算が外れた焦りで声を荒げるが、マリオデッラは軽く微笑んで流した。


「アガロテッド殿下、どうぞローズマリアを幸せにしてやってくださいませ」


「頼まれずとも、してみせよう。任せておけ」


力強く了承したアガロテッドが愛おしげにローズマリアを抱き寄せると、怒りで紅潮した頬に唇を落とした。

思わぬほどのリップ音が響き、ローズマリアの身体が刻むように震えた。


「これで貴女は私のものだ、そう約束しただろう?ではすぐにでも帰国する。ローズを連れて帰るが問題ないな?」


「ございません」


即答するマリオデッラを睨むが、ローズマリアなどすでに父親の瞳には映っていない。困ればいい、と問題を意図的に起こしてきたツケがここにきて支払われているのだと気付き、ローズマリアは蒼白になる。


マリオデッラは本気で己を排除にかかったのだ!


レオンに媚薬を飲ませたから?

私軍を創れば王に近付くと唆したから?

カリーナにアーロンを巻き込んで犯罪を犯させることで目障りな女を排除したから?

まさか邪魔な父親を毒殺しようと調剤していたことがバレた?


すでに毒は仕込んである。

あとはそれをいつ服するのか、時間の問題だった。だからローズマリアは屋敷(タウンハウス)に帰らなかったのだ。疑われるのを避けるために。

そしてそれは服用してから死を招くまでに長い時間がかかる。

じわじわと内臓を溶かすように調剤したから、苦しまずに少しずつ体調が悪くなっていくだけ。


胃薬の丸薬にそっくりに作ったそれを自然にマリオデッラが疑うことなく飲むように、ローズマリアはわざと苛立たせるように様々を仕組んできた。

もうすでに飲んでいてもおかしくない。


もしかして素知らぬ顔でマリオデッラは過ごしていたが、ローズマリアの裏切りを知って、未だ飲んでいないのか?

だから国外追放のようなことをするのか、とローズマリアは疑った。


「式は成人の儀のあとになるが、すぐにでも婚姻は結んでしまおう、構わないな?」


「異論はございません、殿下の御随意に」


「ではローズ、行こうか」


彼女の腕を取って立ち上がらせようとしたアガロテッドの手を乱暴に振り払うとローズマリアは震える声でマリオデッラに縋って囁いた。


「解毒剤はわたくししか持っておりませんよ?」


マリオデッラは娘の言葉の意図がわからず、眼を眇めた。それを見て、ローズマリアは己の失言を知った。


「なんの解毒剤だ?」


同じように囁き返すマリオデッラにローズマリアは首を振った。


「レ、レオン殿下の………」


媚薬の解毒剤ということにしておこう、と視線を僅かに彷徨わせたあとローズマリアは口にする。


「今さら彼がどうなろうと構わない。おまえも得意があるだろうが、当主しか知り得ないものもあるのだ」


マリオデッラの想定外の言葉にローズマリアは瞠目した。もう父親に切るカードがない。これは己の能力に奢った(むく)いなのか?ローズマリアの焦燥感は募るばかりだが、事態を改善する策が浮かばない。

こうしてる間にもアガロテッドは己の侍従とブルーデン公爵家のメイドに指示してローズマリアの荷物を纏めている。


こんなはずではなかった。

ローズマリアは綿密に事を進めていたつもりだった。突発的な事象が起こりすぎて、正直どう回収しようかと悩む夜もあったが、最終目的にブレはなかった。


ジルサンダーを己のものにすること。


そのためにレティを貶めようと画策もした。意のままに操るために薬を盛るつもりだったが、それもジルサンダーの防御が高くて難しかったから、不名誉な汚名を着せようと考えた。


ローズマリアの望む形はレオンを即位させること。

その妃にブルーデン公爵家の養女としてレティを嫁がせること。王妃として不名誉な汚名があったとしても、そんなものはブルーデンの名のもとにいくらでも美しい純愛物語にしてみせる、と思っていた。

たとえ男に拐かされてもレティはレオンを想って指一本と触れさせなかった、と。


最もその手間はいらなくなったが…

ジルサンダーが素早く動いていまったせいで、不名誉どころか、レティはマルガのレイチェルが認めるジルサンダーの想い人の認識を強めてしまっていたから。


諸々の下準備が完了したらジルサンダーをブルーデン公爵家次期当主として華々しく迎え入れる。当然それはローズマリアの夫として、だ。


レオンが次期国王として指名されればジルサンダーを狙う令嬢たちが遠慮なく名乗りを挙げるだろうと、ローズマリアは牽制のためにカリーナを見せしめに貶めた。レオンがレティに溺れるように媚薬も飲ませた。

アーロンがマルガ国までレティを連れていくとは想定外だったし、奴隷として売ってしまうほどカリーナがレティを怨んでいるとも思わなかったため、現状に至ってしまったが、大筋は変わらない。

ジルサンダーもレティもいずれはロマリア王国に帰ってくるのだから。


戻ればジルサンダーに媚薬を飲ませ、己に惚れ込ませればいい。平民の女などレオンが王になるとわかればすぐにも鞍替えすはずだ。


なにもかもが上手く収まる。


そのためにはマリオデッラが邪魔だった。

さっさと父親には退場して貰い、ジルサンダーに当主になって貰わねばローズマリアは身動きが取りにくいのだ。


マリオデッラに逝って貰ったあと、当主代理としてマリオットにレオンを指名するように進言し、ジルサンダーを臣籍降下させればいい。

あとはレオンにレティを娶らせれば、完璧だったのに。


ジルサンダーが帰国する前にまさか己がロマリアを去り、コリンナの王太子と婚姻を結ぶとこになるとは。

これならレオンと婚約していたほうがまだ逃げようがあったのに。


しかも己を娶ろうとしているのは怜悧と評判のアガロテッド・コリンナ第二王子だ。

蔑まれることに快感を得るタイプの変態。


どれほど嫌な顔をしようと、拒否しようと、顰めれば顰めるほど歓喜に頬を染めるような男だ。


けれどすでにローズマリアに逃げ場はない。

己の思惑が泡と散り、幼き頃から大切に胸に抱いてきた愛が終わりを迎えたのだと、ローズマリアはやっと悟った。


策士策に溺れる、とは上手い言葉だ、と最後に彼女は自嘲した。


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