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71 ローズマリアは求婚される

ローズマリアを部屋まで寄越せ、と執事に命じたはずなのに、ノックのあと入室してきたのは執事だけだった。

マリオデッラは苛立ちに眦を吊り上げたが、


「応接間でお嬢様はお待ちでございます」


という執事の言葉に苛立ちを超えて憤怒を覚えた。


「生意気なッ!この部屋に来させろ!!」


激情のまま怒鳴れば、身を竦めた執事は申し訳なさそうに


「お嬢様は客人と応接間にてお待ちなのです」


と恐る恐る言葉にした。


「客人?!」


眉根を顰めてマリオデッラが問えば、執事は有り得ない名前を口にした。


「アガロテッド・コリンナ第二王子殿下様だとお嬢様が…おっしゃっておりました」


「アガロテッド…コリンナ…第二王子…?」


ロマリア王国西側に位置するコリンナ国の正妃唯一の子であり、第二王子ながら王太子として18歳の成人の儀で立太子することが決まっているのがアガロテッド・コリンナである。

そして現在軍部のすべてを掌握しているとの噂も高い。怜悧な王子だと周辺各国には名高い人物でもある。


「なぜ殿下がローズといるんだ?!」


「わたくしにはわかりません」


それもそうだろう、と眼前で恐怖に震えている執事を残酷な気分で眺めながらマリオデッラは思った。優秀でないとは言わないが、総じてブルーデン公爵家屋敷(タウンハウス)の執事は無難の一言に尽きる。領地の執事は実によくできた人物で、だからこそ長期間主不在でも恙無く領地経営ができているのだ。


「すぐに行く、伝えておけ」


ロマリア王国で宰相という立場にあっても出迎える相手が財政難に喘ぐコリンナ国とはいえ、一国の次期王太子ならば失礼のないようにしなければならない。

アガロテッドがローズマリアと繋がっていたことなどどの情報源からも聞こえてこなかったことを思うと、かなり慎重に娘が動いていたのだと知ってカッと身体が怒りで熱くなった。


「我が娘ながら、誰に似たらこうも問題ばかりを拾い集めてくるのか!」


すべてが思惑通りにいかないジレンマにマリオデッラの怒りが天井知らずに募っていけば、無意識に胃の腑を押さえてしまう。


「お待たせして申し訳ありませんでした。ブルーデン公爵家が当主マリオデッラと申します。そこにいるローズマリアの父でございます」


どこの王子の前であろうと恥ずかしくない程度に正装姿で現れたマリオデッラは内心の怒りなどどこ吹く風と、実に穏やかな笑顔を浮かべて深く腰を折った。


「先触れもなく突然の訪問、すまないな」


まだ17歳のわりには落ち着いた低い声でゆったりと言ったのはアガロテッド・コリンナ。

浅黒い肌に短い色味の濃い金髪、一重の鋭い眼はなかなか御目にかかれない色素の薄いグレーだった。


あの眼が濁っていたら死体のようだ、とマリオデッラは思った。けれどアガロテッドの瞳は濁るどころか、澄みきって魚も住めないような透明度だったので、あまりにも人間らしくなく、マリオデッラはちらりと見ただけで視線を逸らした。


「お父様、こちらはコリンナ国の王太子殿下、アガロテッド・コリンナ様です」


ローズマリアの声が静かに落ちた。


「王太子?すでに立太子されたのですか?」


ならば敬礼の仕方も変わってくる、とマリオデッラは聞き返した。


「いや、来年か、しかし先日父王より正式に私が王太子となることの布令が出された」


では、間違いなく次期王なのだ、とマリオデッラは身の内が震えた。なんの目的でここにいるのかも、ローズマリアがなにを考えて連れてきたのかも不明だが、なにひとつミスは許されないことだけは理解した。


「お初に御目にかかれましたこと、恐悦至極にございます」


「堅苦しい挨拶はよしてくれ、今日は貴殿に許しを得に来たのだから」


「はて、わたくしが殿下に差し出せるものなど、なにかございますでしょうか?」


「なるほど、噂通りに話が早い」


アガロテッドはくつくつと笑いを洩らすと、隣に座るローズマリアの手を取った。

鋭く吊り上がる一重の眼が刹那に緩み、甘い色香を醸し出した。


「ローズとの婚姻を許していただきたい」


実に不愉快そうに顔を歪める娘と、その手を取ってとろんと蕩けているアガロテッドに何度も視線を往復させたマリオデッラは、頭が真っ白になった。


「テッド殿下、わたくしはこの国の王妃となることが産まれた瞬間から決まっております」


「知っている。が、ブルーデン公爵令嬢であればいいのだろう?縁戚の娘でも養子にすればよい。娘がなければそのようにして嫁がせると聞いている」


やはりアガロテッドの瞳は柔らかく溶けたまま、ローズマリアの手を包み込み、そっとその甲に口付けを落とす。


「ブルーデン公爵令嬢であればいいのはロマリア王家、私はローズ、貴女がいいのだ。誰でも、ではない」


「ならば、わたくしはロマリア王国第一王子ジルサンダー殿下をお慕いしておりますので、わたくしこそ王族なら誰でもいいわけではないのですよ」


冷たくあしらうローズマリアを喜色を浮かべた顔で眺めたアガロテッドは彼女の腰に手を回した。


「堪らないよ、ローズ。貴女はなんて魅力的なんだろう。ジルサンダーが平民の女に焦れ込んで貴女から逃れるためにマルガ国に亡命したとの噂を聞いたよ」


「マルガ国の王妃はロマリア王国国王陛下の実妹で、ジルサンダー殿下の叔母でもあります。会いたいと仰せで、殿下は会いに行ったまでで、亡命ではありませんわ。ましてやわたくしから逃げるなど笑止千万な下世話な噂など真に受けては令名な御名に傷が付きます。お気をつけあそばせませ」


些かムッとした表情を露にローズマリアが言えば、背筋をぞくりとさせて、アガロテッドはさらに瞳を蕩けさせた。


「本当に貴女は素晴らしい。私をこれほどまで歓喜させるのは貴女だけだ」


「わたくしはテッド殿下に売る媚びを持ち合わせてないだけです」


嫌悪を込めてローズマリアがアガロテッドを睨み付ければまたぶるりと身体を震わせて


「いいよ、堪らないよ、その蛞蝓(ナメクジ)でも見るような眼が堪らない!」


と興奮気味に囁いた。


真正の、生粋の変態だ、とローズマリアはもう何度も感じた思考を無理矢理に奥深くに押し込める。蛞蝓よりも気持ち悪い、むしろ吸血蛭ではないか、とも思うが、口には出さない。言えば、悦ばせてしまうだけだ、とローズマリアはすでに学んでいた。


そのやりとりの間に正気を取り戻したマリオデッラがこほん、と空咳ひとつ溢したことで、父親の存在をすっかり念頭から外していたことに気付いたローズマリアは勝機を見出だした気分になった。

もともとマリオデッラに断って貰おうと連れてきたのに。ロマリア王国の王妃にすることに執着しているマリオデッラなら落ち目のコリンナとの婚姻など簡単に断るだろう、というのがローズマリアの魂胆だった。


「アガロテッド殿下のお気持ちは承知致しました。それで失礼ながらいくつかお聞きしたいことがこざいますが、宜しいでしょうか?」


慇懃に聞けば、アガロテッドは鷹揚に頷いた。


「では娘とはどこでお知り合いに?」


マリオデッラの質問にさも可笑しいというようにアガロテッドは破顔した。それからやはりとろんと熱に浮かされた瞳をローズマリアに向ける。


「ロマリア王国第二王子が私軍を組織し、内乱の兆しがあると報せを受けて、私は単身で情報を得ようと商人に化けて入国したんだ」


そんなにあっさりと潜入したと宰相に語っていいものか、とやや呆れた思いで怜悧と噂のアガロテッドを見遣った。


「王家御用達の商会のおかげで王城で噂の私軍を調べていたらローズに見付かってしまってね」


声など掛けなければ良かった、と後悔先に立たずのローズマリアが嘆息した。身なりのいい商人が軍人の足裁きでレオンの訓練所を窺っていれば、普通は不審とみなして声をかけるだろう、と過去の己を擁護する。


「これほど美しい女性には会ったことがない。またそのときのローズの瞳!私は完璧に参ってしまったんだ」


蔑むように眼を眇めただけなのだが、アガロテッドのツボにどストライクで嵌まってしまった不幸をローズマリアは心で嘆くしかない。


「ローズなら私を愛して甘い瞳でみることはないだろう、と確信したらどうしても欲しくなった。もうロマリアが内乱を起こそうが、戦を仕掛けようが、どうでもいいとさえ、思ったよ。貴女に逢うために私はここに来たんだ、と」


まさにこれは運命だ!


それが訓練所でローズマリアがなにをしているのか、アガロテッドにはじめて声を掛けたときに還ってきた言葉である。


「それから毎日ローズを口説いているんだが、なかなか手強くてね」


話す内容からは想像できないほど、素晴らしい笑顔を湛えてアガロテッドはマリオデッラを見た。


「父が許すなら、とやっと今日、譲歩して貰えたから失礼かとは思ったが早々にこうして来たわけだ」


「なるほど、ではローズは殿下からの求婚に承諾したわけではないのですね?」


「そうだが、貴殿が許せば仕方ない、という言質は取った」


さも嬉しそうに言うアガロテッドに、マリオデッラは頷いた。


おそらくローズマリアは父が断ると思っているのだと確信して、マリオデッラはにやりと笑った。これはまたとない好機なのかもしれない。


頭のなかで様々な可能性を弾き出してマリオデッラは恭しくアガロテッドに頭を下げた。


「左様なことなれば…」


下げた視界にローズマリアがドレスを両の拳で握り締めるのが入ったマリオデッラのなかで苛虐的な黒い感情がふいに湧き出した。


「アガロテッド殿下、ローズマリアの父として、ロマリア王国宰相として申し上げます」


静謐とした応接間の、空気が瞬時に凍った気がした。

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