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7 ジルサンダー、救国の女神を見つける

キリのいいところまで、と思ったらかなり長くなってしまいました。すみません。飽きずにお付き合いくださると、嬉しいです。

いつも読んでくださってありがとうございます。励みになります。

通いはじめて、これで何日になるのだろう。


ジルサンダーの侍従はアルフィのパンの前の行列に並びながらふと日数を数えた。記憶が確かならもうすでに14日目ではないか、と気付き、乾いた笑いを溢した。

アルフィのパンは相変わらずの繁盛ぶりで、数日前はほんの少し来るのが遅れただけで、目の前で完売の札を掛けられてしまった。

城で待っていたジルサンダーに買えなかったと報告したとき、決して居丈高にはしない主の、悄然と肩を落とした姿をみて侍従の心は申し訳なさで一杯になった。


以来、なにを於いても侍従は13:45にはアルフィのパンに並ぶことにしている。


今日はジルサンダーも一緒に城下へ来ていた。前回のときに待っていたカフェで、期待に満ちた瞳を輝かせながらも、どこか無愛想に不貞腐れた態度で、足を投げ出して珈琲を飲んでいた。

主の姿にちらりと視線を送った侍従は店内でキビキビと立ち働く女性に注意を惹かれた。パンをとても大切そうに扱いながらも、店外で待たせている客のために手早く並べている動きに侍従は感心した。

見ているだけで気持ちがいい。

彼女から爽やかな風が吹いてくるような心持ちにすらなる。


思わず微笑み、侍従は綺麗に並べられていくパンに愛おしげな眼差しを送った。


ジルサンダーは己のために行列に並ぶ侍従を眺めながら、今朝のことを考えていた。

朝から執務室に籠り、今のこの時間を捻出するためにブルーデン卿から与えられた書類の処置にうんうんと唸っていたとき、弟である第二王子レオンが珍しく訪れたのだ。


取次のあと、部屋のなかをじっくりと観察するように入ってきた弟の姿を眼にして、ジルサンダーは鋭い光を発した瞳を隠すように眼を細めた。


「どうした、朝から、珍しいな」


どうにも答えの出ない難問を突き付けたような書類からやっと解放された気分で立ち上がると、ジルサンダーはデスク前に置かれたソファセットにレオンを(いざな)った。兄の手に導かれて、彼は素直にソファに座る。しかし警戒しているのか、弟の手は腰に携えた細身ながらによく斬れる剣に添えられたままだ。


俺の、なにを畏れることがあるのだろう…


ジルサンダーは思う。

神の加護のない兄を警戒することが理解できなかった。王位を継ぐ気概はあるが、ジルサンダーは己が継ぐことはない、とも考えていた。王となるのはレオンだろう、と。そして末弟のアレクシスが弟を支え、己は剣ひとつをもって騎士にでもなればいい、と。

ジルサンダーがそう考えるのも訳がある。


レオンには神の加護があった。

決して強いものではなかったが、彼は風を自在に扱う力を持っている。ジルサンダーにはないものだった。

そしてアレクシスも特殊な能力を有していた。

果てしてそれが役に立つのかジルサンダーにはわからなかったが、彼は昔から動物と会話することができたのだ。


幼い頃は庭園に訪れる野鳥や鹿などと愉しげに会話に興じているアレクシスが羨ましくて仕方なかったが、大人に近付いてみると、いいなぁ、とは単純に思うものの、妬ましさは消えていた。


アレクシスは今でも自室の窓越しに野鳥と話をしていて、ときどきジルサンダーに秘密を教えてくれる。


どこぞの伯爵が人妻とあらぬ仲にある、だとか、王都で話題の店がある、など、下らないことから、重要な機密を含むようなものまで、様々な情報を耳打ちされ、ジルサンダーは苦笑する。


アレクシスが野鳥に命じれば、どんな凄腕の諜報員も形無しだ、と。


そんなアレクシスが昨夜、神妙な面持ちで自室を訪ね、たった一言、囁いていった。


「ジルにいさま、レオンには気を付けてくださいませ。ブルーデン卿と良からぬことを企んでるやもしれません」


普段の子供らしい鈴の音のような声音からは想像できないほど低く警告を発してアレクシスは下がった。

ジルサンダーも詳しくは問わなかった。

己に王位を狙う気がなければ、大したことにはなるまい、とたかを括っていたのもあるが、ブルーデン卿が関わっていることに首を突っ込むとロクでもない面倒事に巻き込まれると、懸念したからだった。


その疑惑の中心人物が、朝から己の執務室にいた。


「なにか相談か?」


無言で座ったままの弟に来訪の目的を促したが、レオンは眼前のテーブルとドアのところに立っている侍女に傲慢な視線を投げただけ。


そして不満も露に


「客人に茶のひとつも出さないとは兄上も礼儀がなってないな」


と文句を口にした。

ジルサンダーは侍女を見てから軽く頷き、もてなしの用意をするよう、無言で頼んでから、レオンに向かって口許だけを歪めたような笑顔をみせた。


「すまない、この時間に茶を嗜む習慣がなかった。すぐに用意しよう」


「お気遣いなく。私は兄上と茶を楽しむつもりで来たわけではないので」


あっさりと拒否をして、レオンはにやりと顔を崩した。そしてやっと畏れることはない、と気を緩めたのか、ゆったりと背凭れに身体を預けて、尊大な態度で脚を組んだ。剣から離した腕はソファの背凭れに肘を置いて広げられている。


「なら、なにをしに来た?」


この態度なら単刀直入でも失礼にはならないだろう、と内心の苛立ちを抑えてジルサンダーが声音は柔らかく聞いた。


「最近、兄上の侍従が頻繁に街に下りると聞いた」


「ギルバートのことか?」


「そうだ、いつでも兄上に引っ付いてる、あの男だよ。それが昼下がりになるとひとりで城下に通ってるらしいじゃないか」


侍女がレオン所望の紅茶を持って入室したので、テーブルに茶菓子やカップなどが並べられる様を見守ったまま、ふたりは言葉を交わさなかった。無言の空間に微かな茶器の音だけが広がる。


一礼のあと、ジルサンダーの人払いによって、執務室には兄弟ふたりだけが残された。


「最近、王都の下町にあるパン屋のデニッシュとかいうパンにハマっていてな。ギルバートにはそれを買いに行って貰ってるんだ。並ばないと買えないから、俺が行くわけにもいくまい?」


何かしらの策略を練るために王都に侍従を送り込んでいると勘繰られるのはかなわない。痛くもない腹を探られるのは御免だ、とジルサンダーは事実を話した。

もっともそれを真っ正直にレオンが信じると思うほど、ジルサンダーの頭は目出度くはできていないが。


案の定、レオンは疑い深く、その血塗られた紅い瞳を揺らして、兄を睨み付けた。


「今日は俺も行こうと思っててな。そのための時間を作るために朝から書類と格闘してるわけだ」


言外に時間の無駄だから出ていけ、と伝えるが、レオンは動かない。思わずため息が漏れそうになって、ジルサンダーは空咳で誤魔化した。


「興味があるなら、おまえの分も買ってくるが?」


無言のままのレオンに畳み掛けるようにして


「なんなら、おまえも一緒に行くか?」


と誘いを掛けて、やっとレオンは立ち上がった。


「そんな腑抜けたものなど、私はいらない」


「そうか、残念だ。とても旨いのだが。ではアレクシスの土産にでもするよ」


首を振って答えれば、レオンは忌々しそうに顔を歪めて出て行った。ホッと肩が落ちて、無意識に力が入っていたのだと、ジルサンダーは自覚した。


今朝の記憶に埋没していた主のもとに、アレクシスと、ついでのようにレオンの分も購入してきたギルバートが戻ってきた。

手には袋が3つ。


「ジル様、いかがされました?」


侍従の問いかけに我に返ったジルサンダーは差し出された袋を受け取ると、すぐになかのパンを千切って食べ始めた。


「旨いな」


毎日のように食べているのに、飽きるどころか、またすぐにでも食べたくなる。

むしろ明日まで食べられないかと思うだけで、ジルサンダーは切なくて胸が痛くなるほどだった。

恋い焦がれるとはこういうことか、とパン相手に真剣に思う。あっという間にひとつ食べ終え、袋のなかに溢れたカスを指で摘まんで名残惜しそうに口にした。


「レオン殿下の分も召し上がりますか?」


主の様子を窺っていたギルバートがもうひとつの袋を掲げてみせたが、ジルサンダーは首を振って断った。あらぬ疑いを持たれないためにも弟に土産を持っていくのは必要なことではないか、と考えたからだ。


言葉とは裏腹にじとりと弟たちの土産を睨んだ主の前に突然黒猫が屋根から落ちてきた。どうやら屋根で昼寝を楽しんでいたところ、別の猫に驚いて足を踏み外したようだった。見上げればカフェの屋根から別の猫が顔だけを覗かせている。


ギルバートが抱き抱えようと手を伸ばしたとき、黒猫は見事な跳躍力をみせて、通りに逃げ出した。

そのとき、偶然にも通りがかった荷物を運んでいた台車に轢かれてしまった。


猫を轢いたことにも気付かずに走り去る台車の轍にぐったりと横たわった黒猫を眼にして、ギルバートが小さく悲鳴を上げた。


たかが猫だ、と頭では思っても、やはり命あるものが目の前で無惨な姿を晒しているのはジルサンダーでも耐えられない。ギルバートが黒猫の方へ一歩足を踏み出したとき、同様にジルサンダーも無意識に立ち上がっていた。


「ジュリア!」


完売の札が掛けられたアルフィのパンの店のドアが開くなり、女性が叫びながら駆け出してきた。躊躇うことなく往来に膝をつくと、血だらけの猫を抱き上げた彼女の薄いタンザナイト色の瞳から大きな粒の涙が零れて黒猫の毛皮に吸い込まれていく。


「大丈夫よ、大丈夫。痛いの、痛いの、お空に飛んでけ、女神さま、ありがとう」


猫を抱いたまま、身体を前後に揺らしながら彼女は子供をあやすようにおまじないの呪文を唱える。

その姿が痛ましくて、ギルバートは眼を背けた。

直視に耐えられない。

先程まで気持ちいいほどに快闊に働いていた彼女の、真逆の憐れな様子に心が張り裂けそうに叫んでいた。


「おい、ギルバート」


主の声に、背けていた視線をジルサンダーに向けた侍従は茫然とした彼の様子に僅かにたじろいだ。ジルサンダーが食い入るように見つめている先には猫を抱えた彼女がいるだけ。


「あ…」


ジルサンダーは小さく溢して、震える指で彼女を指した。


不思議に思って、眼を向けたギルバートの瞳に黒猫を隠すように抱えたまま、店の裏手に去っていく華奢な背中が映った。


「追います」


主の考えをいち早く感じ取って応えたギルバートにジルサンダーは俺も行く、と小声で伝えた。ふたりはすぐに足音を立てないで滑るように彼女のあとを追った。


店の裏手が見渡せる路地と店の間に身を潜ませて覗き見ようとしたジルサンダーの耳に


「にゃぁ」


とご機嫌な猫の声が聞こえてきた。

ジルサンダーの肩がぴくりと動く。ギルバートがそっと主の代わりに覗けば、そこには驚くことに先程まで瀕死だった黒猫が元気一杯に跳ねている姿があった。

感嘆の声が漏れそうになって、ギルバートは自分の口を思わず両手で押さえた。

その様子を眼にしたジルサンダーもこっそりと覗き、やはり眼を見開いて黒猫が楽しそうに己を助けた女性にジャレついているのを目撃した。


「救国の女神…」


呟いた第一王子の声はギルバートの耳に痛いほど響き渡った。


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