63 ソフィテルの記憶が鮮明です
レイチェルの宣言通り、ジルサンダーをはじめとするロマリア王国一行は連れてきた騎馬分隊をザッハに残して、昼過ぎにマルガリッテに向かって旅立った。
レイチェルは勇ましくも馬上の人となり、先頭を駆けている。
ギルバートはパーシバルの代わりになるためにアレクシスとともに馬車に乗り込んでいた。
レティはレイチェルから受け取った薄いパンで野菜と辛味のついた鶏肉を巻いたものをランチに、ジルサンダーと一緒に馬車のなかで食べていた。
「マルガは北の国だから辛い香辛料が使われるのかしら?」
聞けば冬になると紅茶にもスパイスとミルクをたっぷり入れて飲むのだそうで、レティはどんな味なんだろう、と飲んだ記憶のないドリンクを想像して楽しんでいた。
「寒いと辛いものが食べたくなるのだろうか?」
ジルサンダーもサンドイッチのようなものを齧りながら舌にピリリとくる刺激に顔を顰めた。
「でもリッテも辛いものが好きなんですよね。あそこは暑い国だから酸味と辛味の強い食べ物ばかりで、慣れるまで苦労しました」
思い出して可笑しかったのか、レティはふふふ、と微笑んだ。ジルサンダーは意外なことを耳にした、と呟く。
「リッテ国に行ったことがあるのかい?」
「はい、ロマリアが城壁を建てたときに土地と水と空気の浄化に一度、それから暫くしてからリッテ国にはじめての女王が誕生するから、と戴冠式に招待されて一度」
「…………その女王の名は?」
サンドイッチを齧ろうとして、やめたレティが明後日の方向に視線を投げて考え込んだ。そして唐突に思い出したかのように瞳を輝かせるとふわりと笑顔を浮かべた。
その燦然たる美しさにジルサンダーは思わずごくりと喉を鳴らす。
「ハーランド・リッテ女王陛下です」
「なるほど、それはソフィテルの記憶なんだね、レティ」
指摘されてレティははじめて気付いたかのように瞠目した。
ハーランド・リッテ女王。
リッテ国の最初で最後の、唯一の存在。
今から600年ほど前に統治した女王で、リッテ国三代目の統治者だった。
もともとが浮民の集まりだった集団を纏めあげたあと、技術職人として育て上げ、一大高度技術を有する無二の国に仕上げた女王がハーランドだった。
まさに伝説級の人物の名にジルサンダーは穏やかな顔ではいたが、内心では狼狽えていた。
レティのなかにはハーランドと交流した記憶があるのだ。女神として得た記憶が。
「本当ですね、つい私ったら、自分のことのように…」
俯くレティの髪をくしゃりと崩すように撫でて、ジルサンダーはなんでもないことのように微笑んでみせた。
「俺の前ではなんでも言ってくれ。気を抜くレティが可愛くて仕方ない。愛してるからな」
「でも…」
「ただし、俺と2人だけのときにしてくれ。レティが女神だとはまだ誰にも知られたくない」
今はまだジルサンダー絡みでの事件しか起きてないが、レティが女神だと知れば誰がどう動くのか、想像もつかない。あまりにもそれは危険すぎる。
だからこその箝口令なのだ。
「はい、気を付けます」
「じゃ、今は俺だけだからマルガの話もしてくれるか?」
「はい!」
レティは顔をぱっと輝かせるとマルガを造った話を嬉しそうに語りはじめた。
それはマルガリッテに向かう道中ずっと続いた。
まさにまるっと2日間続けて、である。
しかしそれはとても興味深い話でもあった。
「ではロマリア様は適当に土地を選んだわけてはないのだな?」
「はい、慎重にされてました。私にも何度も確認して、ちゃんと自力で歩けるように特産を探したんです」
例えばマルガには養蚕に必要な植物と観光に有利な美しい湖を。
リッテには技術開発に適した動力がある場所を。
コリンナはソフィテルが流したダイヤモンドをはじめとする宝石が埋まった土地を。
ドリューには海産物が豊富な海岸を。
ロマリアが認めた土地にふたりで赴き、壁を築き、人が住めるように浄化を施すことをソフィテルはとても楽しんでいた。なかなかふたりだけで過ごす時間が取れない立場になっていたので、こうしてふたりだけで旅に出る幸せを満喫していたのだ。
「だからロマリアが浮民が溢れてきたからまた国を造らなければ、と言う度に胸が高鳴ったんです、不謹慎だとは反省しつつ」
レティはぺろりと舌を出した。
「では一番感慨深かったのはどこだ?」
「コリンナです。あのときは宝石がメインになると言われて、様々な女神に頼んで泣いて貰ったんです。とても綺麗でした。空に煌びやかな女神たちが並んで、私に会えた悦びに一斉に涙を流したんです。エメラルド、サファイア、ルビー、トルマリン、オパール、もちろんダイヤモンドも、とにかく色んなカラーの宝石が降ってきて、まるで夢のようでした」
そのとき父神もこっそりと祝福の宝石を降らせていたことにソフィテルは気付き、感動のあまりボロボロに号泣したことも思い出す。
今のレティの瞳の色であるバイオレットだった。
そしてそのときに交わされた約定も同時に思い出した。毎年の女神降臨祭にコリンナ国主が感謝を捧げ、女神への深い信仰を示せば宝石の涙を降らせる、というソフィテルと姉神たちとの約束だ。
きっとどこの祭りよりも華やかで荘厳で美しいものだろう、とレティは一度でいいから観てみたいと思った。
「それは壮観だったろうね」
「はい!ジル様にも見ていただきたいです」
本当にレティは女神なのだとジルサンダーは改めて実感した。眼前で屈託なく笑う彼女をみれば、気品と美しさはあるものの、実に年相応の女の子である。
しかし彼女はこの世でもっもと稀有で貴重な存在でもある。
彼女の麗しい唇から紡がれる物語はどれも神話であり、事実でもあった。それがまたジルサンダーを不思議な気持ちにさせた。
まさに生ける奇跡とともにあるのだ、と。
ジルサンダーはあまりの貴さにレティの髪を一房撫でてからキスを落とした。




