58 子犬になってみました。可愛すぎます。
甘めの回です。
苦手な方は飛ばしてください。
やっとレティが目覚めました。それだけです。
レティは周囲がふんわりと明るくなった気がした。その途端、吐き気を催す頭痛に襲われた。
激しい痛みに唐突にアーロンがナイフを振り上げた記憶が鮮やかに蘇る。このまま刺されて死んじゃうのかな、と思った瞬間、アーロンはくるりとレティを回して背中を露にすると両手を戒めていた縄をぶつりと裁った。
ようやく解放された手には痺れが残って上手くは動かせなかったが、それでもレティは開放感に思わず頬が綻んだ。
「もう拘束はしないが、場所は移動してほしい」
後悔の滲む低い声が背後から響き、レティはアーロンに支えられて地下まで移動した。
そこでハムとチーズを挟んだだけの素朴なサンドイッチと香りの少ない紅茶を出され、口にしたあと、また暗闇に突き落とされた感覚に陥った。
あぁ、意識を失って、今は………
レティは記憶を探りながら現状を把握のため眼を開けようと努力したがまだ完全に意識が戻らないのか、己の身体なのにまったく思い通りにならなかった。
そう思えば身体も動かない。
腕に巻き付く硬い感触を察知して、レティはまた拘束されてしまったのかと、ガッカリした。
どこに寝かされているのか、背中にも硬い感触があり、しかも妙に温かい。身動きすると、ぐっと拘束が締まり、レティは息苦しさに荒く息を吐いた。
すると耳許に柔らかなものがふわりと当たり、すぐに優しい風が耳朶を擽った。
「レティ?」
甘い囁きが己の名を呼ぶ。
それはずっとレティが聞きたいと望んでいた声と同じで、胸がほのほのと高まるのがわかった。
「ん、ジル、様…」
掠れた声が甘ったるく己の口から溢れ、レティは恥ずかしさに頬をほんのりと染めた。すると頬にも柔らかなものが触れては離れ、さらに髪を漉く優しい指も感じた。
夢なのかしら?
「ジル、様?」
「レティ、とても心配したよ。もう俺から離れないでくれ、君がいないと俺は生きた心地がしない。本当に愛してるんだ」
身体に巻き付くものがさらに強く己を縛るが、レティはもうそれを縛めだとは思えなかった。気付けば甘く懐かしい香りが全身を包んでいる。
「ジル様、助けてくれたんですね。嬉しいです」
「誰にも触れさせたくないし、誰にも渡さないと俺は決めたからね、どこに行こうと俺はレティを取り戻す」
「ありがとうございます」
「欲しいのは礼じゃないよ」
レティはやっと眼を開けることができた。眼前にジルサンダーの端正な顔があり、ぼやけた視界であることをレティは感謝した。
直視したら眩さで眼が潰れそう、と心のなかで呟いた。
「ジル様、私も好きです、愛しています」
全神経を頬に集中して、なんとかレティは微笑んでみせた。ジルサンダーは破顔して、腕のなかにすっぽりと収まっているレティの額にキスを落とした。
「良かった、このまま目を覚まさなければお伽噺のように王子のキスしか手立てはないか、と考えていたところだよ」
冗談めかした軽い口調で言ったジルサンダーにレティは菫色の瞳に力を込めて囁いた。
「ではもう一度、眠ります」
「え?」
「眠れば王子のキスで起こしてくださるんですよね?」
「え?レティ、いいの?」
真顔になって、ジルサンダーは僅かに身を引いた。レティはその胸に顔を擦り寄せて、ゆっくりと目を閉じた。
「レティ…」
途端に甘く響くジルサンダーの声に、レティの背中にぞくりと快感が走る。
ジルサンダーの指が顎に添えられるのがわかり、レティの心が激しく脈打った。心臓が壊れてしまいそうだ。
彼の親指が唇をそっと撫でたあと、温かく柔らかいものがほんの一瞬だけ触れた。
そしてまた触れる。
何度が淡い触れ合いが繰り返され、最後にぺろりとジルサンダーがレティの唇を舐めた。
なんて幸せな気分なんだろう…
レティが胸を震わせたそのとき、ジルサンダーが短い悲鳴を上げた。
驚いたレティが眼を開けば、目の前には真っ白な子犬が一匹。
小さな顔と比較すると大きな耳の先だけが茶色で、短めの毛はふわふわと柔らかそう。尻尾を盛大に振っているせいで、パタパタとベッドに打ち付けて音が鳴っていた。円らな真っ黒な瞳は涙を湛えたように潤い、開いた口から覗く舌が健康的に桃色に染まっている。ときおり外の気配が気になるのか、首を傾げる様がとても愛らしい。
ベッドの上にはレティとその子犬だけ。
今まで己に愛を囁き、キスをしていたはずのジルサンダーはいない。
「会いたいあまりの幻覚?」
周囲を見回したレティの下からくつくつと笑う音がして、何気なく下を向けば、レティの膝に座っている子犬が笑っていた。
「ええ?!」
驚いて抱き上げれば、子犬は気持ち良さそうに眼を細めた。その様子が可愛くて、思わず頬擦りすればぺろりと鼻を舐められた。
「こんなときに覚醒するとはな」
紛れもなく眼前の子犬からジルサンダーの声がする。レティは首を傾げてしげしげと子犬をみた。
「まさか覚醒の条件がキスとは、考えもしなかったな。それにしてもまるで子犬のようだ、と思っただけでこうなるとは、なかなか扱いにくそうな能力だ」
「ジル様なんですか?」
「いかにも。レティから女神の加護を受けたときに能力を授かったんだ。どんな生き物にでもなれる能力だと」
「元には戻れるんですか?」
ふむ、と考え込んだ子犬の姿がとても可愛くて、レティは刹那、戻らないでほしい、と思わず願ってしまう。
「やってみようか、なんとなくわかる気がする」
言った瞬間に空気に熔けるように姿が揺れて、靄が次第にジルサンダーの形に纏まっていく。それがどんどん濃くはっきりとしていき、気付けばジルサンダーになっていた。
「すごい………」
「なんとかなるもんだな」
両手を広げ、ジルサンダーは己の身体を見下ろした。レティは好奇心に負けたようにジルサンダーの胸に手を当てた。硬く温かい感触が掌に蘇り、先程までの行為が急に思い出されて、恥ずかしさに身を離した。
「今更、そんなに距離を取られると俺はレティを離せなくなりそうだけど?」
「そんな!」
「お腹も空いただろうから、食事にでも、と思ったけどもう少しここで一緒に寝ようか?」
レティの腰に手を添えると、ぐいっと抱き寄せた。背中を艶かしく撫で擦れば、走る快感にレティは思わず仰け反ってしまう。それを逃さず、ジルサンダーはレティの唇を捕らえた。唇を塞がれたレティの身体が突き上げる愉悦に跳ね、ジルサンダーの手がレティの髪を持ち上げるようにかきあげると、その感触に甘やかな吐息が洩れた。その隙をつくようにジルサンダーの舌がレティの唇を抉じ開けて彼女のそれに絡み付いた。
舌が絡まり、歯を撫でられ、唇を舐められ、ときおり咬まれる。次から次へと降るような刺激にレティの心臓が喉元までせりあがる。酸欠でなのか、興奮でなのか、レティの眼前にチカチカと星が飛んだ。
くったりと力が抜けた彼女の身体を片手で支えながら、ジルサンダーのもう片手は無意識にドレスの紐を緩めはじめた。もう少しではらりと白い乳房が溢れそうになったとき、
「そこまでにしてくださいよ、ジル様!いくらなんでもはしたない!」
と、いつものごとくギルバートの制止が入った。
限度なく沸き上がる欲情の濁流にのまれていたジルサンダーがはっと我に返り、腕のなかで霰もない姿になりつつあったレティに視線を落とし、驚いてギルバートから見えないように強く抱き締めた。
「いろんな意味でレティ様が気の毒です」
理性がブッ飛んだ!とジルサンダーは自制心の無さに項垂れ、ギルバートのあとから入ってきたマルガの王妃付きの侍女にレティを任せると、すごすごと愛しの女神を残して辞した。
レティは激しい愛を受けて、また意識を手放していた。
いつも読んでくださり、本当に嬉しく思います。まだまだ続きますが、飽きずにお付き合いください。宜しくお願いします!
ありがとうございます。




