56 地下にいたのは女神の神像でした
マルガ国の追っかけ訪問を匂わせたレオンと別れた公爵家当主ふたりはパーシバルを伴って国王陛下のもとへ向かった。
レオンも指摘していたが、この時間に起きていることは滅多にない王を謁見の間まで引きずり出して寝惚けているうちに言質を取ってしまえ!というのが長年宮中という濁った川を泳いできたふたりが立てた姑息な作戦だった。
マリオットの侍従に謁見を申し入れ、事はジルサンダーの所在にも関わると言えば断られることもなく、未だ脳内がぐっすり熟睡したままのマリオットの脇を支えるようにして侍従は王を玉座に座らせた。
ミケーレは騎士としての最敬礼を、ピナールは神祇官として額づく礼をして、玉座前に控えていた。
「らくにするがよい」
寝起きで掠れ、呂律の不確かな声がして、共同戦線を張っているふたりは気付かれないほど素早く視線を交わすと、澄ました顔を上げた。
「朝早くに申し訳ないが、陛下にお知らせすべきことがあり、罷り越した。急ぎゆえ、挨拶は省かせていただきたい」
相変わらずの言葉遣いでミケーレが言えば、マリオットは鷹揚に頷いて欠伸を洩らした。
「昨夜にマルガ国のレイチェル様から書状があり、ジルサンダー殿下が奇跡にも意中の女性を見出だしたと聞き、是非とも会いたいのでマルガまで訪問してほしい、と願われ、ジルサンダー殿下はレティ様とともに現在、ザッハ地区にて滞在しているとの報せがあった」
「ほう、そうか」
案の定、マリオットは聞いているフリだけで内容は理解できていない。
ミケーレはにやりと笑むと、ピナールに次の言葉を譲る。
「先日、陛下のご恩情により当家のカリーナとデイグリーン公爵家のアーロン殿との婚約無効を取り下げましたが、カリーナの意志によりやはり無効とさせていただきたく、お願い奉ります」
「そうか、わかった。アーロンはそれでいいと?」
ほぼ棒読みで話すマリオットにミケーレは恭しく頭を下げた。
「アーロンも承知せざるを得ないでしょうな」
「ならばよい」
あふりとまた欠伸が出た。
半分瞼の閉じた王は早くこの謁見を終わらせて女が温めているベッドにもう一度潜り込みたいとしか考えてないだろう、とミケーレは蔑んで奥底から沸く憤怒に口許を歪めた。
「それに伴い、カリーナを修道院に入れるつもりでございますので、許可をいただきたく存じます」
「しゅうどういんに?」
「はい、アーロン殿の真心を裏切るような行為に、わたくしは怒りを覚えたのです。婚約を無効にするなら修道院に行けと申しましたら、カリーナもそれでよい、と」
捕らえられたカリーナはミケーレの厳しい詮議により嫌がらせのすべてを認めた。そして己の欲のためにアーロンを利用したことも、その後アーロンを捨てるつもりだったことまで白状したため、ピナールは廃籍と修道院の二択を迫った。
カリーナは貴族だけが入ることのできる比較的緩い修道院であるなら、と同意したのだ。
「うらぎりとは、ふていをはたらいたわけでもあるまい?」
「アーロン殿があるにもかかわらず、他の男に心を寄せてしまったのです。裏切り以外に有り得ません。淑女としてあるまじき行為でございます」
「あいかわらずだな、ブラッディこうしゃくは…」
若い身空で気の毒なことを、と呟いたマリオットを無視してピナールはさらに続けた。
「よってブラッディ公爵家を継ぐものとしてダルマン伯爵家次男カルタロッサを養子として、当家嫡男に望みます」
「ダルマン?ブラッディこうしゃくのいもうとのとつぎさきか」
元々アーロンとの婚約が為される前に、カリーナの婚姻が結ばれなかったときはピナールの実妹の嫁ぎ先であるダルマン伯爵家から婿をとる話が出ていた。次男のカルタロッサはカリーナより年下だが、人柄も能力も申し分がなかったので、ピナールとしては乗り気な案件だったのだ。
「左様でございます」
「ブラッディこうしゃくけにあとがないのはこまるしな、それでかまわないだろう」
「有り難き幸せでございます」
そして今度はピナールがちらりとミケーレを窺う。それを受けてミケーレが傲然と立ち上がると
「陛下、我が息子アーロンを辺境部隊にて修行させようと思う。カリーナ嬢との婚姻がなければあれはただの騎士でしかない。我が公爵家次期当主はリチャードゆえ、アーロンのためにも底力をつけさせたいと親として願っている」
「へんきょうか、いちぶたいをまかせるのか?」
「一騎士として是非とも身分に構わず叩き上げて貰いたい」
「それはまたきびしいことよ、しかしデイグリーンこうしゃくがのぞむのならしかたない」
「アーロンも陛下に感謝するでしょう」
ミケーレが深く腰を折ると、マリオットは嬉しそうに破顔した。
「ほかには?」
「もうお伝えすべきことはございませんが、今回の会談の内容を書いた書状がございます。できればこちらに陛下のサインをお願い致します」
ピナールが用意した書状を恭しく捧げ持った。
カリーナを修道院に入れること
カルタロッサ・ダルマン伯爵令息をブラッディ公爵家次期当主とすること
アーロン・デイグリーン公爵令息を辺境部隊に組み入れること
そして言葉にはしなかったが、アーロンを廃籍した上で辺境に送ることが追記されていた。
侍従が受け取りながらちらりと内容を窺って、一瞬、瞠目したが、何事もなかったようにマリオットに渡した。
マリオットは中身を精査することなく、さも面倒そうにサインをしてから、もう一度大きな欠伸をした。
「ではもどる」
玉座から転げ落ちそうになりながら立つと、マリオットは寝室へと戻っていった。
震撼とした謁見の間に残されたふたりは侍従を従えたマリオットの足音が聞こえなくなるまで緊張していたが、ふいに肩から力を抜いた。
「まずはひとつ、これで終わったな」
ミケーレのセリフがピナールの身体に染み込んで、その場に崩折れた。
二大公爵家は救われたのだ。
ピナールが安堵のために腰を抜かし、ミケーレが彼を支えて王城をあとにした頃、リチャードは逸るジルサンダーを押し止めて地下へと降りる階段を独りで歩いていた。
足音を忍ばせていけば、影の調べた通り降りたところの右側に緊張感もなく立った衛兵がいた。リチャードは迷いなく男の蟀谷に剣の柄を振るうと音もなく倒した。念のため、と猿轡を噛まして男を抱えて近くの部屋へと放り込む。
地下には部屋が4つ。
左右に2つずつあり、奥の右部屋のドアの隙間から光が洩れている。また素早く階段を上がり、今度はジルサンダーを伴ってリチャードは降りた。
無言で奥の部屋を指差せば、ジルサンダーはやはり言葉もなく目線だけで頷いてみせた。
地下に近寄らせないため上に騎士たちを見張りに立て、降りてきたのはふたりだけ。
そっと灯りの洩れるドアに張り付き、なかの様子を窺ったが、気配はあれど物音ひとつしなかった。
ふたりは視線を絡ませ、同時にドアから離れると、交わす眼差しだけを合図に息の合った前蹴りを喰らわせた。
バリバリと激しい音を立てて扉が内側に倒れれば、なかにはすべてを諦めた顔をしたアーロンが呆然と立っていた。
その傍には粗末なベッドがひとつあり、美しく姿勢を整えられたレティが土気色の顔で死んだように横たわっている。
「レティ!!」
ジルサンダーの叫びも虚しく、呼び掛けられたレティは瞼ひとつ痙攣させることもなく、まるで呼吸すらしていないようだった。
「貴様!!」
食い縛った歯の間から絞り出すようにアーロンに唸り、ジルサンダーは睨み付ける。アーロンは腰に差した剣を手に取ることもなく、ただ空虚な瞳を侵入者に向けているだけ。
「殿下!アーロンは私に任せてレティ様を!!」
兄であるリチャードがアーロンを庇うようにジルサンダーの前に身体を捩じ込んだ。そして構えた剣を弟の首筋にぴたりと当てる。
その剣先が僅かに震えているのは兄としての心の弱さなのだろうか。
「レティ!」
頼むから生きていてくれ!!
ジルサンダーは張り裂けそうな苦しみを抱いたまま、まさに女神の神像に化したレティに駆け寄った。




