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52 マルガ国ザッハに向かいます

少し早い時間の晩餐が食堂の長いテーブルを埋め尽くすように置かれたとき、王妃専属執事が恭しく銀盆を捧げて入室してきた。


今夜は私の好きなチキンの香草焼きだから、面倒なことでないといいが。


なによりも至福のときである食事タイムに邪魔が入るのを善しとしない王妃は温かいうちに食べたいと願う艶やかな光を纏って己を誘うチキンに物欲しそうな視線を遣ってから、恨みがましく執事の捧げた盆に乗っている破られた2枚の紙を睨み付けた。


「なにか?みての通りこれから食事なのだが?」


威厳を放ち、冷たく突き放したように言いながら、気を抜けば流れ出る涎を無意識にズズズと啜る王妃に執事は深く腰を折って礼をした。


「ロマリア王国第一王子ジルサンダー殿下からの書状のようにございます」


淀みなく告げられた内容にさすがの食いしん坊の王妃(レイチェル)も手にしていたカラトリーをテーブルに戻し、執事に手紙を寄越すように掌を振ってみせた。


「真偽のほどはまだ未確認ですが…」


受け取ったレイチェルが破られた手紙を合わせてから、


「ジルからだな、間違いなく」


と呟き、書かれた短い文章を眼だけを動かして読んだあと、アハハハ、と大きく声をあげて笑った。


「なんと、なんと、なんと!あの堅物ジルが恋をしたぞ!」


「それは喜ばしいことでございます」


愉しそうなレイチェルとは対照的に執事は無表情のまま、人払いをした。手紙がレイチェルの甥とはいえ、ロマリア王国第一王子からのもので間違いないのならば、不用意に使用人に聞かれるのは得策ではない。


「それが良くもなさそうだな、どうやら我が国のザッハにて、ジルの恋人が囚われてるようだ」


「左様でございますか」


飄々と受け答えしながら、執事の脳はフル回転を始める。ならば火急の手紙は兵を連れて入国したい、という内容か?はたまたその女性を助け出せという要望か?

どちらにしろ、面倒な手続きを踏まなければならない、と胸のうちで執事は嘆息した。

なによりこの事態を愉しむだろう、と眼前のレイチェルに対して諦めの気持ちが強くなる。


「なかなか扇情的な手紙だな。こちらが照れてしまうよ」


言葉とは裏腹にレイチェルの碧眼が喜色に潤み、輝きを増す。


あぁ、やはり愉しまれている…


執事は本人にしかわからないほど微かに肩を落とした。そんな執事の内心などお構い無しにレイチェルは立ち上がると、


「私の近衛部隊だけでいい、騎馬隊だな、すぐに出動要請をかけてくれ。行き先はザッハの旧ラーナ邸だ。それから陛下にジルが妃候補を連れて遊びに来ることを伝えてくれよ、もちろん護衛のための騎士を伴うことも、ちゃんとな」


と弾んだ声で指示を飛ばした。


なるほど、救出のための入国希望だけでなく、協力要請もあったのか、とさらに肩を落として執事は力なく首肯すると、王妃の(めい)を伝えるべく、食堂をあとにした。


「食事はあとだ!客人を迎えに行ってくるからな!」


大声で給仕のものたちが控える隣室に向かって怒鳴るとレイチェルは先頭立って陣頭指揮を取るため着替えに自室に戻っていった。


その頃、国境付近で叔母からの入国許可を待っていたジルサンダーたちはすっかり陽の落ちた地平線をざわつく心を宥めながら睨み付けていた。


「叔母上からはまだか?!」


苛立ちも露なジルサンダーの恫喝に慣れた様子のギルバートが馬に水を与えながらのんびりと


「今頃、ジル様の手紙をご覧になった頃でしょう」


と推察した。その余裕溢れる態度にジルサンダーは舌打ちを洩らす。リチャードは僅かな騎士を連れて周囲の警戒を怠らずに警邏している。アレクシスは遣いに出した鳥たちが戻るのを今かいまかととっぷりと暗くなった空を見上げて馬上で待っていた。


そのとき夜にもかかわらず、軽やかな鳥の鳴き声が微かに馬の嘶きだけが響く草原に木霊した。


「あ、帰ってきた」


囁いたアレクシスの言葉に、ジルサンダーが弾かれたように顔を漆黒の空に向けた。月もない空は真の闇で、瞬く星すら我が身を恥じるように儚かった。


そこに小さな小さな影がふたつ。


真っ直ぐにアレクシスに向かって飛んできているのが見えた。


「こっちだよ、お疲れさまだね!」


耳に心地よい口笛がアレクシスの唇から流れて、誘導されたように2羽の鳥が彼の肩にふわりと留まった。足には手紙が巻き付いている。


「なんて書いてある?」


「えっと、ガードルートからだね」


レイチェルの執事の名が出て、ジルサンダーは幾分か、安堵する。あの遣り手の執事が事を把握しているのなら起きる問題は最小で済むだろう、と妙な安心感に包まれた。


「叔母さまはすでにザッハに出立してて、表向きはにいさまの出迎えだって。それでにいさまは妃候補を叔母さまに紹介するためにマルガ訪問てことにするみたい、あっ…」


「なんだ?」


読んでいたアレクシスの小さな驚嘆の声にジルサンダーはびくりと肩を震わせた。


「え、いや、なんか、レイチェル叔母さまがこれもなにかの縁だから、てレティ嬢の後ろ楯になってもいい、て」


「はぁ?」


「ただし交換条件だって、それは無事に救い出せたらジルにいさまと相談したい、だけしか書いてないけど」


「はぁあ?!」


「レイチェル叔母さまは相変わらずだなぁ!」


頭の回転の早さ、行動力、機転の良さ、度量の深さに豪胆な胆力、全てに於いて優れた執政者に相応しい資質を持つ叔母にアレクシスは感嘆して朗らかに笑った。


今は亡き(第一王子)とよく似ていたために、マリオットの策略によりまだ年若いうちにマルガ国に嫁がされたレイチェルは母国を大切に思いながらマルガ国を発展させることに尽力した。

歴代のマルガの国主と比べると穏やかで温かい人柄の夫をよく支え、国力を底上げし、国土のどこかで常に起きていた内乱を抑えてマルガを平和で風光明媚な観光地として造り変えただけに、レイチェルの発言権は強い。


「さっさとレティ様を助けに行かないと、レイチェル叔母さまに手柄全部取られちゃうね」


どうやら明敏な叔母はなにかの交渉を視野に入れて動いているらしい、と目算したジルサンダーはアレクシスの言葉を受けて、すぐさまリチャードを呼び寄せ、騎馬隊を動かした。


交渉になるなら不利なスタートを切るには相手が悪い。レイチェル相手なら最低でも同位置でのスタートをしなければ、できれば2歩ほど先んじていたい、とジルサンダーは焦った。


叔母上に勝つのは難しい、だからこそ有利に先をいかなくては!


「目指すはザッハ!進め!!!」


ジルサンダーの焦りを含んだ号令は騎馬隊全体を急かすには実に効果的だった。

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