50 双子は逃げ出す
レティが怪しい馬車のなかで頭痛を抱えて目覚めた頃、王城の掃除用具入れのなかで、やはりこちらも頭痛と首筋の痛みに顔を顰めながら双子が意識を取り戻していた。
「ナタリー、いる?」
まっ暗闇のなか、メアリースーが首を片手で押さえながら片割れの名を呼べば、すぐ横でごそりと布の塊が動いた。
「メアリー?ここ、どこなの?」
掠れた声で答えるナタリースーもやはり首を押さえている。一撃でふたりとも落とされるとはなんたる不覚!とメアリースーは唇を咬んだ。
密着しないではいられないほどの狭い空間にふたりしかないことにようやく気付いたナタリースーがレティの名を絶叫した。
「レティ様はっ?!」
「やられたわね、拐われたんだわ」
まさかここまでの大胆なことを為すとは、あの程度の低い嫌がらせから一気に飛躍しすぎではないか、とメアリースーは舌打ちを洩らした。
「とにかく出るわよ」
狭いながらも多少は身動きのできる空間だったので、メアリースーは闇雲に周囲の壁らしきものに蹴りを入れはじめた。
といっても立つこともできないので、座り込んだ臀部を支点に繰り出す蹴りは差程の威力を発さない。苛立ちに唸りが溢れた。
がんがんと激しく響く音とともに、突然閉じ込められていた空間に光が射したかと思えば、メアリースーの蹴りに堪えられなくなったドアが南京錠ごと吹き飛ばされていた。
「うぅ!相変わらずの馬鹿力!」
ナタリースーが小さく囁き、唐突に開いた空間から這うように外に転がり出た。続いて、優雅にスカートを翻してメアリースーが出てくる。
「こんな不衛生なところに閉じ込めるなんて!」
メアリースーの憤怒の声が静かに響き渡り、ナタリースーは掃除用具入れに閉じ込められていたのだと、やっと気付いた。
「まずはジルサンダー殿下のところへ行くわよ!」
スカートをたくし上げるとメアリースーは普段のおっとりとした仕草からは考えられないほどのスピードで走り出した。あっという間に小さくなっていく後ろ姿に、にやりと笑んでから、ナタリースーも同じように駆け出していく。
まるで風のようだな、と双子を探して見つけたばかりの影が呟いて、すぐにふたりのあとを追いはじめた。
双子がジルサンダーの執務室に乗り込んだとき、そこにはギルバートだけでなく、デイグリーン公爵令息のリチャードまでが難しい顔をして額を寄せあって相談をしているところだった。
「メアリー!ナタリー!」
ギルバートが驚いて双子に駆け寄ったが、ふたりともそれを華麗にスルーして、ジルサンダー前に跪いた。
「レティ様が拐われました」
ふたりの声が掠れた様子まで揃って、執務室に響いた。
「やはりか、行方がわからないとは聞いていたが、まさか誘拐とはな」
やはり姿のないことは把握していたのか、とメアリースーは納得した。それだけ執務室に流れる空気が尋常ではなかったのだ。
「なにがあった?」
「お茶会が中止になり、ダンスレッスンをするから、と殿下から言伝で、迎えに来た騎士に従ったのですが、その騎士によってわたくし共は閉じ込められておりました」
「おまえたちが?」
さも意外そうに聞いたのは彼女たちの実力を正確に把握しているギルバートだ。その辺を警護している騎士10人程度なら赤子の手を捻るくらいに簡単に倒してしまう双子を相手にたったひとりの騎士が怪我を負わすことなく閉じ込めるなど、信じられない気分だった。
「はい、殺気もなく、あっさりと」
ナタリースーの悔しそうな口調に、ジルサンダーは軽く首肯した。
「殺気などないだろう。相手は策士で手練なのだから」
「あれが誰かご存じなのですか?!」
メアリースーが牙を向く。それを押しやるようにギルバートが彼女の肩を優しく叩いた。
「申し訳ないね、おそらく私の弟だよ」
感情の隠らない声音で淡々と言ったのはジルサンダーの背後に立っていたリチャードだ。双子はぎりりとリチャードを鋭く睨み付けるが、痛いほどの視線に動じる様子もなく、リチャードは真っ直ぐに双子を見つめ返した。
「私の弟はカリーナ・ブラッディ公爵令嬢と婚約を結んでいるんだけどね、どうやら未来の義妹は殿下を好きなようでね。レティ様が邪魔だったんだろうね。弟を利用してレティ様を汚して殿下に相応しくないようにしたいらしい」
婚約者同士の密談をこっそりと聞いていた侍女を尋問して表面化した事実をリチャードは使用人でもある双子に説明した。公爵令息がすべき態度ではないが、大罪を犯した弟を想う兄としては正しい行いだった。
実際に汚す必要はない。
ただそうかもしれない、という噂が立てばいいのだ。それだけで社交界からは爪弾きになるだろうし、王位継承権を放棄したとはいえ王族であるジルサンダーの妃には相応しくないと判断される。
カリーナとしてはそれで充分に益になるのだ。
レティが連れ込まれた先は女癖が悪いことで有名なバロー伯爵のところで、当の伯爵はレティがジルサンダーの妃候補とは知らない。
女奴隷を一人買ったというだけだった。
そこまでの調べはついていたのだが、伯爵が奴隷を住まわせ愉しむ屋敷の場所が不明だった。
ジルサンダーはバロー伯爵を拷問にかけてでも吐かせるつもりだったのだが、騒ぎが大きくなったあとのレティの評判を考えたギルバートとリチャードによって反対されたため、押し止まっていた。代わりに影を放ち、レティの居場所を捜索させ、さらにこっそりと秘密裏にバロー伯爵をジルサンダーの屋敷に連れ込み、ウィルソン自慢の自白剤入りの酒を振舞っているところだった。
後遺症なし
嘘なし
服用前後の記憶なし
3無の優れものである。
ただし効くのに多少の時間がかかるのが玉に瑕の自白剤である。
「ではレティ様は……」
己が敬愛する主が今このときにも恐ろしい羽目に陥っているのでは、と懸念して恐怖と怒りに身を震わせながら問いかけたメアリースーにジルサンダーは現在までにわかっている状況を話し始めた。
「おまえたちがレティを大切に思ってくれていることは理解しているし、感謝もしている。だから話したいと考えたが、これは完全に内密な話だということをわかってほしい」
双子は互いに視線を絡ませたあと、ジルサンダーに向き直って頷いた。それを確認してから、ジルサンダーはふたりをソファに座るように促し、リチャードとともにジルサンダーも彼女たちの向かい側に腰かけた。
「まずおそらくレティは無傷で無事でいるはずだ。アーロンは…リチャードの弟だ、決して無抵抗の女子供に無体を働く男ではない。それが仮に惚れぬいた女からの頼みであっても」
ジルサンダーがレティを奪われたにもかかわらず、冷静に慌てることなく執務室に陣取っていられる理由が双子にも理解できた。
「今回の事件を起こしたのはブルーデン公爵令嬢でもないのは確認済みだから、そういう意味でもレティは安全だと思われる」
レティを買ったと思い込んでいるバロー伯爵はジルサンダーの影により確保されているので、レティを害すこともできない。アーロンさえレティに手を出さなければその安全は間違いのないところだろう。
「ただブラッディ公爵令嬢の指示のもとアーロンによって拉致されたことはわかっているし、レティがとある伯爵に奴隷として売られた体裁になっていることも確かなのだが、肝心な場所がわからないんだ。いまどこにレティがいるのか…」
胸のうちにどろどろと広がりつつあるどす黒い感情を無理矢理に押し込めたジルサンダーが苦痛に顔を歪めた。
やはり冷静なのは表面だけか、と幾分か安堵したメアリースーはジルサンダーの背後にひっそりと立つギルバートに視線を送った。
メアリースーの怒りに満ちた鋭い視線を受けて、ギルバートは肩を小さく竦めたあと
「今、ウィルソン医師が吐かせてるとこだよ」
と沈んだ声で呟いた、そのとき天井からことりと音が響いて渋い声が降ってきた。
「マルガ国ザッハ地区別荘地の一画、旧ラーナ邸」
途端にジルサンダーの碧眼に妖しい光が宿った。




