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5 ロマリア王国第一王子は人気のパンをお忍びで買う

原石を研くに磨いたサファイアブルーの瞳を警戒心も露に周囲に這わせ、無造作に後ろで1つに纏めた銀髪を背中で揺らしたジルサンダーは馬から降りて、ジャケットに付いた土埃を手で丁寧に払った。


ここは王都の中心街。

貴族御用達の高級店が建ち並ぶ、商業通りだ。


右を見ても左を見ても着飾った男女が態度も大きく流行りの服に身を包んで闊歩している。


それぞれにお付きの側仕えが従うので、大通りにも関わらず、身体ひとつ通り抜けるのにも苦労する賑わいだった。


その様子を眼にして、ジルサンダーは思わず舌打ちを洩らす。乗ってきた馬を従者に任せ、腰に細身の剣を携えた侍従に視線でついてくるように指示をして、人混みを縫うように歩き始めた。


彼はこのロマリア王国の第一王子ジルサンダー・ロマリアである。


月に一度はお忍びで城下に下り、民の生活を覗くことを己の義務と課していた。


まだ20歳にもならない長身は適度な筋肉に覆われており、淀みなく進める足取りはしっかりとしている。周囲を警戒する美しき瞳は彼の聡明さを知らしめ、落ち着いた腰運びからは剣の鍛練を怠らない勤勉さを物語っていた。


貴族御用達の商業街を抜け、彼は下町にその高貴な足を踏み込む。


目的は平民の生活を知ることだ。


この国には王太子というものが存在しない。かつてロマリア王国の礎を築いた初代ロマリア王が救国の女神とも、癒しの乙女とも、呼ばれたロマリア王妃と結ばれたことにより、王位を神より賜ったという神話があり、現王家もそれを踏襲していた。


もう400年もの長きとき、女神も乙女も顕現してはなかったので、王位を継ぐのは王が定めたもの、という不文律が罷り通っている。


しかしそれも王が退位を決めたときに(みことのり)として告知されるので、王太子という立場そのものが必要のない存在だった。


現在、ロマリア王国には3人の王子がいる。


19歳のジルサンダーを筆頭に、17歳のレオンに、14歳になるアレクシスの3人だ。


それぞれが王位に就いてもいいように、常に勤勉に己のできることを(こな)している。

レオンは剣技に長け、武を尊ぶため、軍により力を入れている。アレクシスは文官として王を支えるのが務めとして、政治・経済の勉学に励んでいた。


ジルサンダーは冷徹無慈悲と貴族の間で囁かれているが、その実、ロマリアの民をなにより慈しみ、その生活を護るために必死で努力を怠らない王子の鑑のような青年だった。


彼が冷徹無慈悲と不名誉な渾名を付けられたのも理由がないわけではない。幼い頃より交流のあったローズマリア・ブルーデン公爵令嬢と7歳のときに婚約したが、その時点で彼の眉目秀麗さは際立っていた。下手な伯爵令嬢よりも艶やかな輝きを放つ美しさは最早破壊力抜群の武器と代わることがないほどだった。

舞踏会で流した視線だけで、数々の令嬢方が悲鳴を上げ、あっという間にジルサンダーは囲まれる。僅かにでも微笑みを洩らせば、押し倒されても仕方がないほどの猛攻を受けた。

それがすでに12年も続いているのだ。

女性に対してプラスの感情を抱けるはずもない。

女性を眼にしただけで仏頂面になるのも致し方のないことだった。

加えて、幼馴染みであったローズマリアからそろそろ結婚を、と迫られ始めたので、ジルサンダーとしては婚約解消も致し方なし、と密かに覚悟を決めていた。

世の女性に辟易している彼は優しくすれぱ勘違いをされると警戒し、冷徹無慈悲と言われるようになったのだった。


商業街を出ると、眼に写る色彩が落ち着いたトーンになり、ジルサンダーはホッと吐息を溢した。


ロマリア王国の不文律のひとつに公爵家のカラーがある。

文官を取り締まる宰相を筆頭とするブルーデン公爵家はテーマカラーが青である。それも眼にも鮮やかなターコイズブルー。

ブルーデン家に関わる伯爵家、男爵家もやはり青を基調としたものを随所に使用するが、使っていいのはターコイズブルー以外の青である。


軍を纏め、将軍職を賜るのがデイグリーン公爵家で、テーマカラーは緑である。それも軍人らしくアイビーグリーン。やはりデイグリーン家に携わる伯爵家男爵家はそれ以外の緑色を使っていた。


王宮内の人事、行事などを采配するのはブラッディ公爵家で、彼らのカラーは漆黒である。

同じように彼らに従う伯爵家男爵家はグレーをベースにしたものを使用していた。


このように貴族は大まかな色分けがなされていたので、王都のメインストリートは眼が痛くなるほどに鮮やかな青と緑に溢れていた。ブラッディ家のものたちは色が渋いからなのか、それとも役職の性質なのか、あまり派手には動かない。

よって街は青と緑で埋め尽くされる。


しかし下町に移行すれば、人々は青と緑、そして黒とグレー以外の色を着る。鮮やかな赤であろうと、爽やかなイエローであろうと、華やかなピンクであろうと、誰も咎めない。

およそ柔らかな印象のパステルカラーを纏うものが多いが、ときどき心臓に悪いほど見事なビヒットカラーを着ているものもいて、ジルサンダーは眼をシパシパと瞬かせた。


ちなみに王家のカラーは初代ロマリア王妃の瞳の色である菫色だ。この色は誰であっても身に付けてはならない禁忌のカラーとしてロマリア国内では浸透していた。


よってジルサンダーも本日は普通のオレンジを基調とした衣服に身を包んでいる。

しかし、衣服に隠れたペンダントトップには紫が艶やかなバイオレットサファイアを使っていた。


「早く!早く!無くなっちゃう!」


彼を追い越すように背後から走ってきた女性が友人らしき女性の手を引きながら苛立ったように言った言葉を耳にして、ジルサンダーは興味を持った。


なにが無くなるというのだろうか?


普段なら彼の麗しい姿を眼にしただけで、身体を硬直させ、熱い眼差しを射抜くように送ってくるはずなのに、友人を急かしている彼女はちらりと窺う程度で、彼から視線を外し、先を急ぐように足を早めた。

常にない状況にジルサンダーも付き従っている侍従も驚きに眼を見張る。


こうなってはより興味をそそられる。


ジルサンダーは迷うことなく、彼女たちのあとを追った。細い路地をくるくると連れ廻されて辿り着いた先には小さなパン屋があった。


看板には


アルフィのパン


とだけ。


しかしその店の前にはすでに行列ができており、ジルサンダーは並ぼうか、幾分躊躇いをみせた。

その様子に気付いた侍従が代わりに並ぶと言って、店に向かったので、ジルサンダーは近くのカフェで侍従が戻るのを待つことにした。


時計が14時を示すと、一気に客が店へと雪崩れ込む。20分も待てば、片手に袋を持った侍従が主のもとへと帰ってきた。


「人気のパン屋らしく、この時間にしか売らないというパンを買ってきました」


恭しく説明して、侍従は袋をジルサンダーに渡す。まだ熱いくらいのパンが袋のなかで湯気を立てている。


見れば、パンを片手にはふはふと食べ歩く姿がそこここにあった。いかにも美味しそうで、思わずジルサンダーの喉が鳴った。


14:40には店のドアに完売の札が掛かり、路地は閑散とした。人気店とはこうも凄いものなのか、と感心したジルサンダーは袋のなかでパンを千切り、一口分を口に放り込んだ。


さくりとした食感あと、バターの風味が口一杯に広がった。サクサクなはずなのに、噛むとじゅわりと染み込んだバターが舌を刺激する。

味わったことのない旨さだった。


袋から口へと運ぶ手が止まらず、気付けばジルサンダーはすでに2個のパンを食していた。

侍従に渡そうと思っていたのに、残りは1個。

それすらも惜しい気がして、彼は暫し逡巡したが、あまりにも王子らしからぬ態度だと自省し、侍従に最後のひとつを微かに震える手で渡した。


「食べてみるがよい。これは是非ともまた食べたいものだから」


低く言って、ジルサンダーはふいと顔を背けた。

侍従は有り難く受け取って、主に見えないように一口千切って食べてみた。

その味に感動する。

あまりの旨さに背筋が伸びた。


「これは美味しゅうございますね」


美味しいものを食べたものだけがみせる屈託ない笑顔を溢すと、彼は残りを全て平らげてしまった。


「また明日も来よう」


渋く呟いた主の声は切実な欲求を侍従に訴えているかのようだった。


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