48 不祥の弟がすみません…
デイグリーン公爵家嫡男であり、カリーナの婚約者の立場を死守したアーロンの実兄であるリチャード・デイグリーン公爵令息を誘って、ジルサンダーは庭園の一画で簡易な茶会を催していた。
彼とは一度、非公式の御前試合で手合わせをした縁があり、ジルサンダーとしては気安い間柄でもあったので、頻繁に会うことはなかったが、こうして向かい合って茶を嗜むことに違和感を覚えるほどでもないだろう、とジルサンダーは考えていた。
が、それはやはり少しだけ甘い考えだったようだ。リチャードは美味しそうに紅茶を一口飲んでから、イタズラっ子のように眼を細めて眼前の第一王子をみてから実に優美な微笑みを浮かべてみせた。
「突然のお誘い、大変光栄だとは存じますが、お話はアーロンのことでしょう?もしくはその婚約者、でしょうか?」
どう答えたものか、悩むジルサンダーは用意されていたサンドイッチに手を伸ばし、手元の皿に盛ってからリチャードに渡すように侍女に託した。
それを恭しく受け取ると、躊躇いもなくリチャードは食べて、美味しいですね、と呟いた。
「俺が妃候補として一人の女性を城に招いたことは聞いているだろうか」
「ローズマリア様との婚約解消も伺っておりますよ」
幼馴染の名前をあっさりと口にして、リチャードはちらりとジルサンダーに視線を寄越した。その瞳には好奇心が過分に現れており、ジルサンダーはやや不安を煽られた。
「それどころか殿下の溺愛ぶりも聞いて、自分の耳を疑ってますよ」
「ふむ…」
溺愛の噂を積極的に流すために場所問わずにレティを愛でてきたのは確かだが、女嫌いだと長年囁き続けられてきただけに、はっきりと口にされると妙に居心地が悪く、ジルサンダーは思わず口籠った。
「でも私をこうしてお茶に誘うくらいですから、根も葉もない噂ではないことは理解しましたよ。それで殿下はなにをお知りになりたいので?」
ここまで敏いとは想定外だ、と失礼な感想を抱いたジルサンダーはそれなら素直にぶつかってみようか、と思い直した。
「実はレティが嫌がらせを受けている」
「それはどういった?」
「どれも陰湿だが、大したことはない」
命に関わるものではないが、非常に不快だと思っている、と言外に伝えれば、リチャードも眉を顰めて頷いた。
「それを為してるのがカリーナ嬢だと殿下は考えているわけですか?」
「なぜそう思う?」
疑問に質問で返したジルサンダーににやりとリチャードは笑ってみせた。
「簡単な推理ですよ。殿下の愛しのご令嬢は平民出身とお聞きしています。貴族の柵がない分、彼女を害そうとするなら殿下絡みの方々でしょう。もちろん殿下を目の上のたんこぶと不敬にも考える方は…」
すらすらとそこまで話して、リチャードはふいに声を落とす。
「レオン殿下くらいでしょう?」
ぱちりとウインクまでサービスしてから
「けれど彼女との婚姻を強く望まれたために、私としては大変に残念には思っておりますが、王位継承権まで放棄されておりますから、かの方とも考えにくい、となると、女性は嫉妬深いですからね、残るは殿下を慕うご令嬢方の誰かでしょう」
と続け、紅茶をまた一口飲んだ。
ジルサンダーの想定を越える事情通に背中を厭な汗が流れたのがわかり、背凭れに預けていた身を起こしてテーブルに肘をついた。
「それで?」
先を促すジルサンダーに焦るな、と片手を上げてからリチャードはナッツサブレを手元の皿に数枚移した。
「けれど王城内、しかも殿下の隣部屋にある方に嫌がらせができる女性は限られます。公爵家の誰が、とここまではさして難しい推理でもありません」
「なるほど」
「公爵家のご令嬢は現在はローズマリア様かカリーナ嬢だけですので、どちらかが為したと判断するのも大したことではありません」
「その二択で、ブラッディ公爵令嬢を選んだのは?」
「私はローズマリア様の性格をよく存じております。それから最近のアーロンの言動ですね、判断基準は」
「つまり…?」
まだ言わせるのか?とリチャードは眉を茶目っ気たっぷりに上げたが、ジルサンダーの真剣な眼差しに負けたように息を吐いて話を続けた。
「ローズマリア様は確実な方法を取られます」
つまり狙われたら相当な気合いを入れて護らないと命はない、とリチャードは示唆する。
「陰湿ながらも大したことがないなら妬みが動機でしょう。ローズマリア様でなければカリーナ嬢しか有り得ない。そこへアーロンの愚痴でございますよ」
今までジルサンダーのことなど意識のなかにもなかった弟が急に言葉も荒く、悪様に言うようになったのだ。おかしいと邪推しないほうがどうかしている。
「カリーナ嬢を殿下に盗られる、と日々唸っているんですよ、うちの可愛いお馬鹿さんは」
そう言ってくつくつとリチャードは笑った。
「それに私はローズマリア様を買っているんです。彼女なら殿下の気持ちを得ることを優先するでしょう。愚かではないですから。殿下の女神に害為してなんとするでしょうか?」
女神と呼ばれたことに過剰に身体が反応したが、さすがのリチャードといえどレティが真実女神だと知っているわけではないようで比喩的表現を使ったのだとわかって、ジルサンダーは落ち着くために紅茶を口にした。
「アーロンの女神もまったく子供じみたことをされる。これではデイグリーン公爵家にまで類が及びかねない、と父と懸念しております」
リチャードのこの台詞でカリーナがなにかを仕出かす可能性を予測していたのか、とジルサンダーは思ったので、
「あまり大事になる前に片を付けたいとは望んでいる」
と低く伝えれば、リチャードは安堵の吐息を溢した。
「そう願いますよ。それもできるだけ早く」
リチャードの切実な口調にジルサンダーは不穏な空気を感じ取った。これで切り上げようかと思っていたのに、口は
「なぜだ?」
と問い返していた。
「婚約を結んだと言っても弟とカリーナ嬢は手紙ひとつやり取りはなかったんですよ、ずっと」
正確にはアーロンから手紙を送ることはあっても、それに対する返事はなかったのだが。公爵家令嬢としてあまりにも礼儀がなっていない、とデイグリーン公爵は怒り心頭だったが、リチャードはアーロンに期待させたくないのだろう、と好意的に捉えていた。
「けれど、2日前にはじめてカリーナ嬢が当家を訪れてアーロンと長いこと弟の部屋に人払いまでして籠ったんですよ。婚約者といえど、まだ未婚の男女ですからね、何度も侍女が用事を作っては部屋を覗いたそうなんですが、なんでもカリーナ嬢がかなり積極的にアーロンに迫っていた、というんです」
そこで話を切って、リチャードはジルサンダーの反応を窺った。眼前の王族は無表情のまま、眼差しから熱を発して己を見つめている。
その美しい宝石のような碧眼に、ご令嬢方が騒ぐのも致し方ないな、と思った。
「怪しいですよね、実に、怪しい、と私は思いましたよ」
アーロンが思い余ってカリーナを押し倒した、と聞いた方が納得したかもしれない。女神のように崇めるカリーナの同意なくアーロンが無体なことをするなど、天地がひっくり返ってもないだろうと信じていても、だ。
「ではリチャードはブラッディ公爵令嬢がアーロンになにを迫ったと考える?」
ジルサンダーの問いにリチャードは秘密を共有するもの同士が交わすような微笑みを浮かべた。
「おそらく殿下のお考えと同じようなこと、でしょうか」
アーロンにカリーナがなにかを頼んだ。
それも強烈に迫らなくてはアーロンが承諾しない、なにか、だ。
ふたりの間に緊張を孕んだ空気が流れたとき、ギルバートがジルサンダーに近寄ってきた。
「ジルサンダー殿下、火急の報せが入りました」
ちらりとリチャードに視線を送ったギルバートに
「席を外しましょう」
と立ち上がりかけたが、すぐにギルバートが座るように手で制した。
「デイグリーン公爵令息様にも聞いていただければ、と存じます」
「弟がなにか?!」
ギルバートの不穏な雰囲気に、先程までの柔和な態度が鳴りを潜める。
「先程、入城されたあと、姿を消したそうでございます」
「………それで?」
それだけのはずはない、とギルバートの沈痛な表情にジルサンダーは先を促した。己の侍従は悔しそうに下唇を咬んでから、絞り出すように報告した。
「同時にレティ様の行方もわからなくなりました」
「なんだと?!」
華やかに咲き誇る色取り取りの花々を揺らすほどの衝撃が、静かな庭園に木霊した。




