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38 レオン殿下のご乱心

何故かローズマリアの護衛騎士からレオン訪問の先触れを貰ったとき、アレクシスはレティとともに己の執務室でロマリア王国の歴史を学んでいた。この科目はレティの最も得意とするもので、教師がいたく感心して、興奮したようにレティに矢継早の質問を繰り返していた。


「レオン…兄上が?」


「これから伺いたいと」


戸惑いも隠さずに己の侍従パーシバルが眉根を下げている。授業の最中だと断ろうかと、アレクシスははじめは思ったが、レオンがローズマリアを酷く慕っていることはすでに周知の事実となっており、レオンにとってレティの存在は必要でこそすれ排除すべきのではないことに思い至り、訪問を受けようと考え直した。

ジルサンダーが極端に嫌がったので、レティはレオンに挨拶すらできていない。

それはあまりにも不敬だろう、とアレクシスは懸念していたので、ちょうどいいとも思ったのだ。


「今すぐ来て貰ってくれ」


主の意外な判断にパーシバルは僅かな躊躇いをみせたが、すぐに一礼をするとローズマリアの護衛騎士に訪問の許可を伝えに部屋を出ていった。


「レティ嬢、今から僕のすぐ上の兄上が来られる。レオンだよ。なかなか面倒な性格の馬鹿兄でね、少し不愉快な思いもするかもしれないけれど、ジルにいさまと婚約するなら避けては通れない人だから、我慢してね」


「レオン殿下、ですね。承知しました」


思慮深げな眼差しを手元の歴史書からアレクシスに向けて、レティはふわりと微笑んだ。


「大丈夫ですよ!私は下町の平民なのは間違いないですから、なにを言われても平気です!」


「なにをおっしゃいますか、レティ様は立派なレディでございますよ!」


すっかりレティ信奉者になった教師が拳を振り回して否定したが、それには小さく首を振ってレティは答えた。


「出自は変えられませんから。でも先生に褒められるととても嬉しいです!ありがとうございます」


「ヤバい、マジ女神!!」


壁際で天を仰いだナタリースーが呟いた。


「ではバーニー教授、レオン兄上が来るそうなので、今日はここまでで」


アレクシスの言葉に歴史学者であるバーニー教授が鷹揚に頷いた。


「私はこれで失礼しますよ。このあとの授業は…」


「政治理論学です」


教授の質問に部屋に戻ってきたパーシバルが答える。


「デンゼル博士ですな、ついでですから半刻(一時間)ほど遅れるように伝えておきましょう」


「ありがとうございます」


礼を口にしたパーシバルはバーニー教授を見送るためにまた部屋の外に出ていったが、戻ってきたときにはレオンを伴っていた。


「レオン殿下がいらっしゃいました」


パーシバルの言葉を受けて、レティは慌てて椅子から立ち上がり、振り返って渾身のカテーシーを繰り出した。己のミスひとつでジルサンダーが侮られてはならない、という乙女の一心でレティは実に優雅に腰を折ったのだ。


ローズマリアの執務室を出てアレクシスのもとに向かう間、レオンは妙な気分だった。身体の奥底からじんわりと発する熱に浮かされたような、胸が騒いで落ち着かないような、そうかと思えば頭が揺れるようなふわふわとした心許ない感覚があり、そして僅かに吐き気も感じていた。

胃の辺りがモヤモヤとする。


そんな状態なのに、胃の腑を押さえながらレオンは先程眼にしたローズマリアの誘うような眼差しですっかりやられてしまったのだろう、と簡単に考えていた。

脳筋の、脳筋たる所以である。


だから応えを受けて弟の執務室に足を踏み入れたとき、眼前で腰を折る儚げな少女をみて、熱く燃え上がる恋情が己の胸のうちに沸き立つとは想像すらしなかった。


あまりの激情に呼吸が止まる。


ハーフアップにした赤毛を揺らして顔を上げたレティが緊張に頬を強張らせながら名乗り、微笑む様子にレオンは思わず彼女の前に跪いていた。


菫色の瞳が驚きに見開かれる様までが可憐で、レオンは華奢な手を取り、その指先に唇を押し当てた。

薄桃色のドレスが揺れて、彼女が一歩下がったのがわかると、レオンはぐっと握った手に力を込めて己に引き寄せる。


ローズマリアほど美しいものはない、と信じていた己の頭を殴りたいほどにレオンは自らを愚かだと内心で叱咤した。

この世のすべてをみたとしても、いま眼前にいる奇跡の存在を見出だすことは叶わないだろう、と直感していた。そして彼は単純に思う。


彼女は私のものだ。

誰にも渡さない。

この菫色の瞳に私以外が映ることはない。

この赤毛に触れるのは私だけだ。

この柔らかな手を握るのも、折れそうな腰を搔き抱くのも私以外は有り得ない。

そして薄紅に艶めく唇を味わうのも私でなければ!


真っ赤な瞳が妖しく煌めき、纏いつくような熱がレティを覆ったとき、アレクシスが強引にレオンから彼女を奪った。

己以外が触れてはならないはずの、彼女の細い腰を抱くようにして引き寄せると、アレクシスは自らの背後へと庇う。


「レオン兄上!レティ嬢はジルサンダー兄上の婚約者候補ですよ!」


甲高い弟の声に、レオンは火を吹くような激しい視線を投げ掛けた。そしてわかりやすく顔を歪めると大きく舌打ちをする。


「候補?ならばまだ誰のものでもないじゃないか」


「なにを馬鹿なことを言ってるんですか!ジルサンダー兄上と想いを通わせたから彼女はここにいるんですよ!」


アレクシスの背後にすっぽりと隠れてしまったレティを一目でもみようとレオンは膝をついたまま身体を傾ける。その視線を遮ろうとアレクシスが巧みに動いた。


「彼女はまだ私を知らなかったから、兄上の気持ちを受けたんだ」


「仮にレオン兄上が先に出会っていてもレティ嬢はジルサンダー兄上を選んでます!」


「そんなはずはない、これは運命だ。私と彼女は運命なんだ、そうでなければ私のこの感情に説明がつかない」


「正気ですか?!兄上はブルーデン公爵令嬢を望んでいたでしょう?!」


「ローズか?ローズのことは確かに好きだったが、レティに会ってしまえばあれなどその辺の石と変わらない」


脳筋のくせにわかったことを言うじゃないか、とアレクシスは思ったが、口にはしない。代わりにローズマリアへの想いを想起させるように必死で言葉を紡いだ。


「あれほど美しく素晴らしい令嬢は類がない、と大層褒めてらしたでしょ、レオン兄上。ブルーデン公爵令嬢の聡明さ、仕草の優雅さ、立ち居振舞いの完璧さになによりあの華やかで美しい容姿に、兄上はベタ惚れじゃないですか!」


「確かにそうだったが、今はもうレティだけだ。私のなかにはレティしかない、アレクシス、どいてくれ、私にレティを返すんだ」


立ち上がり、レオンがアレクシスの腕をきつく掴んだ。痛みでアレクシスの眉が微かに寄るが、すぐに無表情にして、乱暴に兄の手を払った。


「渡せません。レティ嬢はジルサンダー兄上の想い人ですから」


低く警告を孕んでアレクシスはレオンを睨む。


「それから許可もなく彼女を呼び捨てにはしないでください。まだ手続きは済んでいませんが、彼女はフェアウェイ伯爵令嬢です」


レオンの頬がその瞳にも劣らないほどに赤く染まり、憤怒に肩が震えている。その様子をアレクシスの背に庇われながら眼にしたレティの口からか細い悲鳴が洩れた。それが聞こえたのか、アレクシスの背中に力が入り、庇うために背後に回した手がさらに強くレティを包んだ。

パーシバルもメアリースーナタリースーの双子もさすがに王子たちの喧嘩に入り込むことはできずに、じっと様子を窺っていたが、レオンの血走る眼差しに震えるレティをみて、ナタリースーがアレクシスからレティを預かるように抱き締めて離した。

熟れた果実が簡単に捥げるように己れの腕のなかに入ってきたレティを労るように抱えると、レオンの視界に入らないように細心の心配りでゆっくりと王子たちから距離を取る。

すぐにメアリースーがナタリースーに抱えられたレティを庇うようにふたりの前に立ち、眼前で睨み合う兄弟を傍観した。レティさえ護れれば、あとのことはどうでもいい、と双子は考えていた。


さすがにそこまで達観できないパーシバルは意を決したように息を吸うと、アレクシスの前に身体を捩じ込み、レオンに頭を下げた。


「レオン殿下、少々フェアウェイ伯爵令嬢が体調を崩されたようにございます。せっかくお越しくださいましたが、本日のところはお引き取りを願えませんか?」


双子に庇われながら真っ青な顔色で震えるレティをアレクシスとレオンは眼にして、どちらともなく息を深く吐くと、一触即発の空気が僅かに弛んだ。


「レティを怖がらせてしまったようだ。それは私も不本意だし、今日は帰ろう」


レオンが過分に甘さを含んでレティへと伝えた。


「すぐにまた会いたい。会いに来るよ」


ねっとりと纏わり付く言葉を残して、レオンは最後にアレクシスをひと睨みしてから部屋を出ていった。


途端にその場の全員からため息が溢れた。


「これはちょっと、かなり、厄介なことになっちゃったね」


思わず洩れたアレクシスの言葉に、パーシバルはジルサンダーの怒りを想起して身を震わせた。


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