34 レティ様はやっぱり女神です
「ジル様、大丈夫でしょうか?どうされたんでしょう?」
不安そうにベッドに寝かされているジルサンダーを見遣りながらレティが誰ともなく呟いた。
ここはジルサンダーの寝室。
自室からドアひとつで繋がった部屋だ。ちなみにこの寝室には居間のドアとは反対側にもドアがあり、そこを開ければレティの寝室と繋がっている。
続き部屋になっているのだが、ドアは開かない。レティ側からナタリースーによって、しっかりと南京錠が掛けられているからだ。
倒れるまでのジルサンダーが侍女に指示して調えていた部屋はレティの寝室隣で、広々とした部屋はウォークインクローゼットと居間がひとつになった造りをしている。
妄想族のジルサンダーを寝室に入れるのは、さすがの侍女たちにも憚れ、奥には通すまい、と一致団結したので、レティの寝室は手付かずだった。
「ジル様ならお気遣いなく。頑丈にできておりますので」
貴女に興奮しすぎて鼻血を噴いて気を失ったんですよ、とはいくら辛辣なギルバートといえど言えるわけもなく、無難な言葉で濁すだけの分別はあったのだが、
「レティ様がお美し過ぎたのに興奮しただけですので、心配される必要はございませんよ」
メアリースーが憮然として言い捨てた。
長兄であるギルバートに付いて歩いていただけに、ジルサンダーとは幼馴染みであるメアリースーナタリースーの双子は相手が第一王子といえど容赦がない。遠慮もない。
「左様です!レティ様のご心配なんて勿体無い!」
テキパキとレティの夕食の準備を整えるナタリースーも辛辣だ。
「あ、レティ嬢はここで食べるの?じゃ、僕もここで一緒に食べるから用意をお願いね」
にこやかにパーシバルに笑いかけて強請るアレクシスは暢気にソファで珈琲を飲んでいた。
ローズマリアにはジルサンダーを愛称呼びするのは不敬だと責めていたアレクシスに、レティがジルサンダーをどう呼ぶべきか、相談すると
「ジルにいさまがはじめにジルて、自己紹介したんでしょ?ならジルでいいんじゃない?」
もしかしたら様すらいらない、て言いそうだよねぇ、などと愉しげに言ったので、レティは呼び方を変えることなくジル様、と呼び掛けていた。
「興奮されたのは、ブルーデン公爵令嬢様とのことで怒らせてしまったからでしょうか?」
レティの憐憫を誘うか細い声に、その場の全員が
いや、違う!ただの妄想エロ妖怪なだけだから!!
と以心伝心していたが、曖昧に笑うだけで済ませた。さすがに第一王子の面子だけは最後の砦として守るべきだろう、と臣下としての矜持があった。
すでにだいぶ言っちゃってる感は否めないが……
ジルサンダーが愛しの女神の神々しさに鼻血を撒き散らして気を失ったあと、アレクシスは突然のことに為す統べなく立ち尽くしていたローズマリアをここぞとばかりに部屋から追い出して、王家のものにしか伝わらない隠し通路を使って兄の部屋まで移動した。
レティを未来の王妃だとアレクシスは信じて疑わないので、隠し通路だとは口にせず、実に幸せそうに彼女をエスコートして連れてきたし、ジルサンダーは両脇をギルバートとパーシバルに抱えられて移動してきた。メアリースーは部屋に残され、アレクシスの侍女たちと鼻血の後処理をきちんとしてから、レティの食事をジルサンダーの居室まで運ぶ算段をとって、通常のルートを使ってジルサンダーの部屋まで行った。
ギルバートとパーシバル両侍従は常に両殿下とともにあるため、本来秘匿すべき通路を教えたが、にこにこ顔のアレクシスから戦慄する嚇しを受けたので、できる限り記憶から通路の存在を抹消しようと努力していた。
「ジル様が起きる前に少しだけお話を宜しいでしょうか、レティ様」
夕食がテーブルに並び、アレクシスがともに食べようとレティをソファまでエスコートしたとき、ギルバートが僅かな戸惑いを額に刻んだまま窺った。
「食べながらでもいいよね?ギルバート」
アレクシスが多少の不快感を露にして言い、レティはソファに座ったままギルバートを見上げた。
「もちろんでございます」
「じゃ、食べよ!レティ嬢!」
アレクシスがパンを手に取り、レティの皿に置いていく。彼女はそれを皿ごと膝の上にのせて、ギルバートの言葉を待った。
「ジル様は大変素晴らしい方でございます。人の上に立つ全ての資質を兼ね備え、また己に打ち勝つだけの胆力もお持ちの稀有な方だと信じ、わたくしは仕えております」
思いやり溢れる眼差しを眠っている主に流して、ギルバートはふっと小さく息を吐いた。
「ですが、王子足るものの確固たる形に囚われ、またあの見目麗しいお姿のために女性から迫られたため、我が主は人から冷徹王子と呼ばれるほどに感情を表に出さない方になってしまわれました」
レティは意外な言葉にこくりと唾を飲んだ。
出会ってから一度たりともジルサンダーに対して冷たい人だと思ったこともないし、いつでも感情豊かだと感じていたのだから、驚愕するのも当然だった。
「ですが、レティ様に会われてからジル様は変わられました。年齢相応、いえ、それ以下の子供のように素直に感情を示しておられます」
ギルバートがため息をひとつ、溢す。
「わたくしにとってそれは本当に喜ばしいことですが、先程のように少々残念なこともございまして…」
「確かに!あの鼻血には笑っちゃった!」
アレクシスがスープに浸したパンを口に放り込みながら思い出して、また笑う。王子としてあるまじき食べ方に態度で、パーシバルの眉が顰められたが、誰も注意はしない。
この場だからこその仕草だと誰もが理解していた。
「それほど主がレティ様を想っている、と理解していただきたいのです。あのような姿を見て幻滅されるかもしれませんが、でも」
「私、気持ちは変わりません。どのようなジル様であろうとも変わりません。むしろ、私に感情が溢れてくださることが嬉しいくらいですから」
ギルバートの言葉を遮って、レティはにこやかに言い切った。そして急に照れたように俯いて、手元のパンを小さく千切って口にした。
しばらくもぐもぐと咀嚼していたが、こくりと飲み込んだあと、傍にいるアレクシスにも聞き取れないような小声でぽつりと囁いた。
「ジル様だけが好きですから」
頬だけでなく、耳まで真っ赤に染め上げたレティを見て、今度はナタリースーが
「ヤバイ!マジ女神!」
と叫んで鼻血を垂らしたのはご愛敬である。




