33 パーシバル、影を走らせる
己の主が敬愛するジルサンダーの想い人と楽しげに談笑していた部屋に不躾にもローズマリアが乱入してきたのを眼にしたパーシバルはアレクシスの無言の命令がなくてもジルサンダーに注進するつもりだった。
かの令嬢が何を目的として来たのかを聞くまでは動く気がなかったが、レティを後宮に連れていくつもりだと知って、パーシバルはそっと退室した。
すぐにアレクシスの影を呼び出し、ジルサンダーにことの次第を事細かに伝えるように指示をして、またそろりそろりと部屋に戻ったときには、メアリースーがレティを庇ってローズマリアに己の妹としてジルサンダーに嫁にやる、と宣言しているところだった。
影が命を受けてジルサンダーの執務室に着いたとき、珍しいことに彼の執務室は無人だった。大抵は執務室か、図書室にいるはずなのに、と影は首を捻りながら、図書室に走ったが、そこにも目的とする人はいなかった。
冷静沈着をウリにしている影は狼狽えた。
アレクシスの部屋の状況からあまり時間に猶予がないのはわかっていたので、余計に焦る。
どこだろうか、と影が首を傾げたとき、廊下を走るギルバートの姿を見付けた。
あれのあとに着いていけば絶対にジルサンダーに会える!
影はすぐにあとを追った。
「まったく!ジル様はどこに行かれたのだ!」
ギルバートの苛立ちも露に強く呟いた言葉に影はせっかく落ち着いたばかりの心を波立たせた。常に傍にある侍従すら居所を把握してないのか、と収まりかけていた焦燥感が再燃する。
するとジルサンダーの影がギルバートに寄り添うように並んだのがみえ、影の胸にほわりと期待が宿った。
何事かを耳打ちされたギルバートが端正な顔を醜く歪めて舌打ちを漏らし、すぐに踵を返してジルサンダーの居室に足を向けた。
この時間に自室にいるとは珍しい、と影は思いながらもギルバートのあとを追って、身を翻した。
陽の沈まない内から執務室を出ることが滅多にないジルサンダーが自室にいて、報告を受けたギルバートの様子から推察して、体調でも崩されたのか?と考えて影は密かに気が重くなった。
しかしそれは杞憂だった。
「違う、そのドレスは手前に配置してくれ」
元気いっぱいで指差しながら侍女たちに細かな指示を与えているのはジルサンダー。
彼はレティの部屋にいた。
「仕事を放り出して何をされてるんですか!」
ギルバートがジルサンダーの姿を捉えるなり、語調もキツく言ったが、頓着なく、仁王立ちしたジルサンダーは鏡台前の小物から化粧品、髪飾りから靴の並べ方ひとつにまで、口を出して侍女たちを走らせている。
そしてちろりとギルバートをみたあと、小さく肩を竦めた。
「レティのドレスや小物がさっき届いたんだ。アレクの部屋から戻るまで待てなかったから、こうして運び込んでるだけだが?」
急ぎの書類だけは決済したジルサンダーは強気な態度で侍従をねめつけた。確かに仕事は残っているが、今すぐすべき案件でもない。
だとしたらレティのドレスのほうが彼には優先される。
そう考えているからギルバートの非難がジルサンダーには理解できない。
仮に理解できたとしても、この時間を譲る気もない。
レティに合わせて購入したものばかりが整然と並んでいくのをジルサンダーは恍惚と眺めた。
時間的余裕がなかったことで、既製品ばかりになってしまったことが口惜しくはあったが、己で選んだ愛しの女神のものが彼女のために用意されたクローゼットに収められる光景は何にも増して幸せなものだった。
まさに至福のときである。
あのドレスにはそのイヤリングだろうか、と妄想が止まらない。すでに彼の脳内では己の好みに着飾らせたレティを連れて観劇に行き、王族専用ボックスでいちゃこらしている映像が流れて、締まりのない顔に成り下がっている。
ギルバートはこの日何度めかの嘆息を洩らした。
アレクシスに挨拶に行くために着たドレスは今回、購入したものではない。サーカスデートの節にレティを両陛下に会わせる妄想が止まらずにジルサンダーが反対するギルバートを押し切って用意したものだった。
日の目をみたのは喜ばしいが、主の妄想力には呆れて言葉もない。
むしろ無駄な行動力に振り回され、ギルバートは疲弊するばかりだ。
それでもジルサンダーが王だ。
今でこそレティに溺れ、妄想族と化してはいるが、元々のジルサンダーは真面目に国土を思い、国民を憂い、国のための最善を考え、何ができるのかに悩む、王足る資質を持ち合わせた男である。
ときには苛烈な果断もするが、無表情の裏で涙を流す心を忘れることもない。
ギルバートが畏敬するだけの主てあることは間違いないのだ。
眼前で、にやけた締まりのない表情を浮かべている現実を目の当たりにしても、ギルバートは腹が立つことはない。呆れるし、本音を言えばちょっぴり残念にも思うが、冷徹と言われるほど感情を押し隠してきた主が己の心を素直に表に出せることに悦びを感じてもいた。
急ぎの仕事を終わらせたからこそ、こうしてレティの身の回りの品を調えて、癒されてるのであればギルバートに主を責めることはできない。
苦笑を溢して侍従はジルサンダーを生温い眼差しで見守ることにした。
それまで気配ひとつ感じなかったはずなのに、唐突に殺気とは違うが、背中に汗が一筋流れる程度の緊張を孕んだ気が押し寄せたことに、ギルバートだけでなく、惚けていたジルサンダーまでが鋭く周囲に視線を這わせた。
警戒に主の背中が強張ったのをみて、ギルバートは護身用の小刀に手を掛けた。
「アレクシス殿下からの伝言がございます」
姿はみえなかったが、声が上から落ちてきた。すぐにジルサンダーの肩が弛む。
「アレクの影か…」
呟いたジルサンダーに肯定が返って、ギルバートの全身からも力が抜けた。
「なに用だ?」
「蒼の貴婦人が女神様を後宮へ連れ去るためにアレクシス殿下の部屋を訪問」
端的に伝言が為され、気配が掻き消えた。
ローズマリアが動いたか、と影の言葉を聞いてギルバートは思っただけだったが、予想の範疇を超えてジルサンダーは怒り狂った。
顔を赤くするどころか、憤怒にかられ、どす黒くなるほどに顔色を激変させると、ジルサンダーは侍女たちに怒鳴るようにあとを任せて駆け出した。
「ジル様?!」
驚いたギルバートが慌てて主のあとを追ったが、本気で走るジルサンダーに追い付けるはずもない。ぐんぐんと引き離されて、その後ろ姿はすでに星のように瞬くようにしか確認できない。
「なんて速さだ!」
騎士として鍛練は怠らないギルバートは己の情けなさに歯噛みした。ジルサンダーと同じように訓練しているが、同じでは主を護ることなどできはしない、とこんなときなのに痛感した。
行き先はわかっているのだから、焦る必要はないのだ、と己に言い聞かせ、息も絶え絶えにアレクシスの部屋にたどり着いたとき、ローズマリアに恫喝しているジルサンダーを眼にした。
「レティの部屋は後宮にはない!彼女を後宮に住まわせる気もない!俺の傍から離なすことなどしない!」
ジルサンダーは狡猾な表情を浮かべてレティを卑下するローズマリアを憎々しげに睨み付けた。
なんと傲慢で高慢で厭らしい女なのか、と顔をみただけで吐き気が込み上げてくる。
社交界の薔薇ともて囃され、王宮内の流行を牽引する立場として己を磨くことを至上の命題として、努力を惜しまない姿勢に、かつてジルサンダーは好意的にみていたのだ。
けれどこの様はどうだ!
身分でしか人をみれないのか?
心根の美しさを理解できないのか?
役職が全てなのか?
ギルバートの義理妹であるメアリースーに対する態度どころか、王子であるアレクシスすら馬鹿にしたように睥睨しているローズマリアに、ジルサンダーは王妃足る資質を見出だすことができなかった。
見た目の美貌よりも雰囲気に露になった醜悪さが鼻につく。
怒りに震える心を抑え、怯えていないかとレティを心配してメアリースーの背後に隠れている彼女に視線を送ったジルサンダーの瞳に艶やかな女神が映った。
妄想上で着せていたドレスなのに、さらにその上を行くレティの耀きに、元より憤怒に頭に昇っていた全身の血という血が心臓のときめきに合わせて顔面に圧縮された気がした瞬間、己の視界が赤く染まった。
なんということだ!
俺の想像の遥か上を行く美しさ!
自分の貧弱な想像力に驚くわッ!
戸惑う間もあればこそ、ジルサンダーの意識が遠退き、唐突に暗転した。
最後に眼にしたのは、驚きに眼をまん丸にした麗しのレティで、ジルサンダーは不謹慎にも女神が傍にあるのならこれが最期でも本望だ、とにやける口許をどうすることもできなかった。
騒然とするなか、倒れた主を冷ややかに見下ろしたギルバートがぽつりと呟いた。
「ムカつくほど幸せそうな顔、しやがって…!」
気配を悟らせないように隠れていた両殿下の影が仲良く並んで大きく首肯することで、ギルバートに激しく同意していたことは誰も知らない。




