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32 招かれざる客来る

通せ、というアレクシスらしからぬ低い(いら)えに、煌びやかなターコイズブルーのドレスを揺らめかせてローズマリアが入室してきた。


まさに淑女の出で立ちで現れた彼女の美しさは他を寄せ付けない冷たさに溢れていた。切れ長の眼からは冷気が発され、貴族的な無表情からは侮蔑が感じられる。口角が上がっているだけの、深紅の唇から迸る言葉がどれほどの凶器なのか、レティはごくりと生唾を飲み込んだ。


ローズマリアはその場全員の視線を集めたことを確認するように睥睨してから微笑みらしきものを浮かべて膝を軽く折るだけの礼をした。


それは仮にも王子(アレクシス)の前ですべき礼ではない。あからさまに次期王妃であることを強烈に意識させる態度だった。


「先触れもない訪問、大変失礼致しました。こちらへレティさんがいらしてると聞き及んだものですから、レティさんのお部屋にご案内しようと参じました」


無機質な冷たい声が室内に静かに流れ、アレクシスが盛大に眉を寄せた。心なしか、頬までもがほんのりと赤く染まっている。

憤怒か、彼の握った拳が微かに震えていた。


「レティ嬢の部屋の案内はギルバートがしたはずだよ、ブルーデン公爵令嬢がする必要はないね」


口調は軽いが、その声音は実に低い。

下から響くような音が彼の内なる怒りを如実に表しているのに、ローズマリアは怯まなかった。


「さようですか?わたくしは後宮のほうへご案内したいのですけど」


小馬鹿にした態度も顕に、ローズマリアは顎を挙げてアレクシスに微笑む。


「レティ嬢は後宮には入らない。ジルサンダー兄上たっての願いで、彼女は兄上の傍に控えるよう指示を受けている」


崇敬すべきジルサンダーのためにもアレクシスは引かない。ローズマリアを牽制している間にもパーシバルに視線を送り、己の無言の命令を伝えることも忘れない。


「明日からの王妃教育のためにも後宮にいらしていただかないと困りますわ。わたくしのほうはほぼ終わっておりますので、わたくしが直接教育を施して差し上げる予定ですの」


「それも結構だ。レティ嬢の王妃教育は私の師からともに受けることで決まっている。これもまたジルサンダー兄上のご意向。それを理解できないほど愚かではないでしょう?」


余裕を示すようにアレクシスは優雅にカップを傾ける。そして同意を得るようにレティに柔和な微笑みをみせて、頷くと紅茶を一口飲んだ。


「王子教育と王妃教育は似て非なるもの。わたくしが教えたほうがレティさんのためになると思いますわ、そう思いませんこと?」


ローズマリアがちらりとレティをねめつけた。

そして存在に今、気付いたようにレティに向けて小さく腰を折ると


()()()()()()、わたくしはローズマリア・ブルーデンですわ。ロマリア王国宰相が父ですの」


言って、己のドレスを広げてみせて


「この色の意味がわからない国民はおりませんわよね」


と慎ましやかに声を上げて、ほほほと笑んだ。


会うのは3度目で言葉を交わしたのは2度目になると、アレクシスもレティも思ったが、それを指摘するほど喧嘩早くないレティは立ち上がってカテーシーで応えた。


「レティと申します。家名はございません、後ろ楯もないものですから。ジルサンダー殿下の婚約者候補としてここにおります。今後とも宜しくお願い致します」


「まぁ!婚約者候補だなんて!筆頭公爵家に並ぶおつもりなんですのね、ジル様が貴女ごときをお選びなることで玉座から追い落とされるというのに、よくも平気でおっしゃれますこと!」


扇で口元を隠してはいるが、淑女らしからぬ高笑いを響かせて、ローズマリアは恋敵(ライバル)を侮辱する。するとずっと壁際で黙っていたメアリースーがするするとレティとローズマリアの間に立ち塞がるように割り込んで、僅かに膝を曲げてローズマリアに挨拶をした。


「あら、貴女は…」


「フェアウェイ伯爵家が長女、メアリースー・フェアウェイでございます。お言葉でございますが、当家がレティ様の後ろ楯として控えておりますこと、どうぞご理解くださいませ。レティ様がジルサンダー殿下の元に嫁がれる際には当家の養女として送り出す心積りでございます」


「レティ嬢はレティ・フェアウェイ伯爵令嬢としてジルにいさまに娶られることになってるのは確かだよ、これもにいさまのご意向だからね」


メアリースーの言葉に瞠目したレティにアレクシスが楽しそうに囁いた。それから可笑しそうに眼を細めてローズマリアを睨み付ける。


「ジルサンダー兄上がレティ嬢を選ぶことで王位を継ぐ選択肢が無くなるなら、尚のことレティ嬢の王妃教育も意味を為さなくなるね。だったら私とともに学ぶことに問題はないだろう?」


くつくつとアレクシスが嗤った。

対外的には王子らしく僕から私と一人称が改まることに、レティは貴族の面倒臭さを垣間見た気がした。この世界でやれるのか、とふと一抹の不安が過る。


「あぁ、それからブルーデン公爵令嬢も王妃教育はやり直したほうがいいかもね。私の記憶が確かなら兄上は貴女に愛称で呼ぶのを許可してなかったはずだ。それが不敬にあたることを理解していないなら教育不全もいいところだからね」


ジルサンダー殿下、と呼ぶべきなのにジル様、と愛称を語るローズマリアにアレクシスは非常に不愉快な気分だった。

もっと言えば、己を下にみてレティを連れ去れると勘違いされたことも腹立たしい。さらに後宮へ行けばお約束のお家芸でレティを害そうと画策してるのは明らかだったので、アレクシスはどうあっても譲るわけにはいかなかった。


これは王家の意地を賭けた戦だ。


「その程度の出来でジルサンダー兄上の大事なレティ嬢に施そうなんて、私が許すとでも思ってたのかい?だとしたら随分と不遜なことだね」


「……………大変失礼致しました」


アレクシスの、常にない冷酷な返しにローズマリアは一旦引き下がろうと、一礼したとき、取り次ぎもなくドアが乱暴に開けられた。

ドア前の騎士が慌てたように部屋に転がり込んできて、アレクシスはなんて忙しない日なんだろう、とため息を溢した。騎士に注意をしようと口を開いた瞬間、


「ブルーデン公爵令嬢!どういうつもりなんだ?!」


怒りに顔を浅黒くしたジルサンダーが騎士を跨ぐように入ってきたのだった。どうやらパーシバルからの伝言がジルサンダーまで届いたのだ、とアレクシスは理解したが、あまりの兄の取り乱しように唖然として口が開き放しになった。


「レティの部屋は後宮にはない!彼女を後宮に住まわせる気もない!俺の傍から離なすことなどしない!」


ローズマリアに詰め寄り、怒鳴り散らしたあと、ジルサンダーはメアリースーに庇われているレティに眼をやり…


鼻血を盛大に噴いて倒れた。


その後の大混乱はカオスでしかなく、追いかけてきたギルバートが呆れて天を仰いだのは仕方のないことだっただろう。


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