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31 はじめまして、アレクシス殿下

昼前に王へと謁見し、メアリースーナタリースーの双子から髪の一本から足先の爪ひとつに至るまで磨き上げられ、着たこともない重いドレスを着用し、毛先を緩やかに巻いた髪をハーフアップに纏められ、肩が凝りそうなネックレスを着けたレティは湯浴み直後に出された軽食しか口にしてないせいで目眩を覚えた。

慣れないヒールでふらりと身体も揺れる。


支度が整ったことを聞いたギルバートが迎えに来たときにはすでに夕方近くになっていた。


双子に寄り添われてギルバートを迎え出たレティを一目見て、彼は瞠目した。


「これは素晴らしい出来栄えですね」


けれど、この姿をはじめて眼にした男が己であることをギルバートは呪った。そして次に見るのがアレクシスであることにも懸念しか浮かばない。


まずはレティをジルサンダーに会わせるべきか?と思案したが、見せてしまえば仕事にならないだろう、と判断してギルバートはレティをアレクシスの部屋までエスコートすることにした。


心を鬼にして。


あとが恐ろしい、と内心では震えながら。


「では参りましょうか」


ギルバートはナタリースーを部屋に残し、メアリースーをレティに付けた上でアレクシスの元に向かった。


静かな廊下にしゃりしゃりとレティのドレスが衣擦れの音を溢す。鮮やかなパープルグレーのドレスは肩が広く開いているデザインで、彼女の華奢なデコルテを飾り立てる宝石(バイオレット)によく合っていた。

贅沢にオーガンジーを重ね合わせたスカート部分はグラデーション効果が如実にあって、一番下の濃紫色から徐々にグレーへと変化を付けてあるので、動く度に僅かに覗く裾のグラディエントが美しかった。


本来、王家にしか着用を許されない紫を敢えてジルサンダーは用意した。ギルバートからの遠慮がちな反対などどこ吹く風とジルサンダーは無視を決め込んだ。


勝手なことばかり、と侍従は憤慨したが、こうして問題のドレスを着たレティを見れば、ギルバートは主のセンスの良さにさすがだと舌を巻く。

それほどまでに余すことなくレティの魅力を最大限に引き出していたのだ。

心のなかでジルサンダーに諸手を挙げて喝采を贈りつつ、逆にそこまで妄想して手早く準備していたことに幾分か引いていることも事実だった。


「アレクシス殿下にお取り次ぎを」


アレクシスの部屋の前で警固している騎士に声をかけてから、ギルバートはレティを振り返った。


「こちらでわたくしは失礼致します、ジル様の元に戻らねばなりませんので」


こくりと頷いて、レティは礼を口にした。


「メアリーを残しますので、ご安心を」


そっとレティの耳に口を寄せたギルバートが囁き、にこやかに笑んでから、くるりと踵を返して去っていった。レティは急に心細くなった気分で、すぐ後ろにいるメアリースーを振り返り、彼女の手をぎゅっと握った。一瞬、驚いたように眼を丸めたが、メアリースーは優しげに眼を細めるとレティの手を握り返した。


大丈夫ですよ、と無言のまま眼差しで伝えられ、レティは深く呼吸した。

それだけで落ち着いた気分になる。


これから会うアレクシスはジルサンダーからの依頼でレティに動物たちを派遣した、彼らと話せる王子だ。

それだけでもレティは仲良くなれる気になった。


動物から愛される人に悪い人はない、はず。


そう思って、レティは毅然と姿勢を正した。

そのとき、中から入室の許可が下りる声がした。


「失礼致します。レティが罷り越しましてございま…」


ドアが開き、レティが入室前にカテーシーを披露しながら挨拶をしたのだが、最後まで言い終わる前に飛んできた人物に抱き締められたのだ。


「会いたかったよ!レティ嬢!」


まだ少年の甲高さを残した声が腰を折ったままのレティの頭上から喜びに溢れた様子で放たれた。突然のことで声も出ずに固まったレティからぺりぺりとメアリースーが問答無用に声の主を引き剥がして、やっと己を抱き締めていた人物を見ることができた。


喜悦に耀かせた瞳は蜂蜜をたっぷりと混ぜたような金色(こんじき)に光り、さらさらと流れる髪はジルサンダーよりもややくすんだようなブルーグレー。

期待に薄く開いた唇が紅をひいたように鮮やかな薔薇色で、王子というよりも王女のようだ、とレティは思った。


けれど己の肩を掴む手は間違いなく逞しく、レティを包み込むほどには大きかった。


己の状況にやっと気付いたレティが静謐な空気を切り裂く悲鳴を上げたのは仕方のないことだろう。




「ごめんねぇ、ずっと心待ちにしてたから気持ちが先走っちゃった!」


レティ用に準備された椅子のデスクを挟んで向かい側に座ったアレクシスが照れたように額を指で掻いた。

大袈裟に悲鳴を上げたせいで、騎士たちがわらわらと集まってきて、アレクシスの侍従であるパーシバルが頭を下げる羽目になったこともあり、レティは大人しく饗された紅茶を飲んでいた。


今日は挨拶だけで、ともに勉強をするのは明日からだ、と聞いていたレティは目の前に並ぶ菓子がなければ、すぐにでも逃げ出していただろう。

空っ腹に感謝、である。


「だからといって初対面で抱きつくなんて、非常識にも程があります!」


パーシバルが言えば、レティの後ろに立つメアリースーが大きく頷いて、侍従に最大限の肯定を表す。


「レティ様はジルサンダー殿下の婚約者候補でございます!有らぬ噂が立ったらどうされるおつもりですか!」


「ごめんなさい」


項垂れて素直に謝るアレクシスに僅かに同情したレティが小さく首を振った。


「アレクシス殿下のお気持ちは嬉しいです。私もいつかお礼を言いたかったので、お会いできて良かったと思っています。ですからはじめから挨拶のやり直し、しません?」


レティの言葉にぱっと顔を上げたアレクシスが右手を差し出してにっこりと破顔した。


「アレクシス・ロマリア、第三王子してます!」


「レティと申します。父のパン屋で働いています」


「知ってるよ、アルフィのパンでしょ!僕はあそこのデニッシュが大好きなんだ!ジルにいさまが買ってきてくれるんだ」


それからパーシバルから隠れるようにしてウインクしてから秘め事でも話すようにアレクシスが声を落とした。


「ジルにいさまは毎日買って食べてるんだよ、知ってた?」


驚いて眼を見開いたレティはふるふると首を振って、知らなかった、と呟いた。それにふふふ、と軽く笑ってアレクシスは楽しげに言った。


「パンに惚れたのか、レティ嬢に会いに行ってたのか、こうなるとわかんないよね!」


「アレク様、あまり余計なことをお話しますとジルサンダー殿下に怒られますよ」


「それもそうだね、レティ嬢、内緒にしておいてね」


「…………はい」


真っ赤になって俯いたレティは嬉しさで胸が張り裂けるかと思った。ジルサンダーがアルフィのパンを毎日買い、食べていてくれたのだ、と思うとほのほのと心が満たされていく。


照れ隠しにレティが紅茶に手を伸ばしたとき、警固の騎士から取り次ぎが入った。


「誰なの?」


至福のティタイムを邪魔するのか、とやや不機嫌そうに眉根を寄せたアレクシスが問う。

すると騎士は意外な人物の名を告げた。

まさに招かれざる客の襲来だった。


「ローズマリア・ブルーデン公爵令嬢様でございます」


レティの肩に力が入り、アレクシスの表情から無邪気さが消えた。メアリースーの眼光が鋭く尖り、パーシバルは皮肉を湛えた笑みを顔に張り付けた。


部屋の空気が驚嘆に値するほど一変して冷えきった。

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