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28 薬と毒と、麗しい美女

一口に後宮といってもロマリア王国の王城に隣接したものだけを指すのではない。現在この国には8つの後宮が存在する。そのうち機能しているのは現王の後宮のみ。

あとは王子のためのもので、美しく整えられてはいるが、ひっそりとひと気はない。まだそこに住まうべき存在がないからである。


王子それぞれの後宮は敷地内にはあるが、城に隣接してはいない。ソフィテルが動物保護を目的として造り上げた広大な庭園内にぽつりぽつりと点在している。

ロマリアがソフィテルを追うようにして逝去されたあとに歴代王たちによって建てられたもので、年代によって様式も違うことから歴史学者や建築家が垂涎の建物でもある。それぞれが特徴的で、ひとつして同じものはないが、共通してどれもが豪奢で華やかなものだ。

王子が産まれるとすぐに時の宰相によってどの宮が与えられるのか決まる。歴史的に今まで8人以上の王子が王城にあることはなかったので、建増しはないが、仮に現王の落とし胤でもわらわらと現れたときには新たな後宮が建てられることになるのだろう。もっとも王家の系統として認知されれば、の話だが。


この後宮群のなかにあって、一際鮮やかに紫水晶でできたかのように耀く宮がジルサンダーが生誕の際に賜ったものだった。

その宮の正妃の部屋に次ぐ身分の女性が住まうはずの部屋を先んじて占拠したローズマリアだったが、王城のジルサンダーの居室隣部屋を女性用として整え始めたという情報を耳にして、珍しく慌てた様子で侍女に馬車の用意を言い付けると、後宮をあとにした。

王城へは歩いても行けなくはないが、時間がかかる程度には庭園は広い。馬車といっても王族御用達のキャリッジではなく、主にひとりで乗るのを目的としたキャリオルという簡単なものだ。ローズマリアは馭者のエスコートに慣れた仕草で乗り込むと


「急いでちょうだい」


とだけ伝えた。


後宮にはそれぞれ名前が冠される。

しかしその命名権は女主人に託されるものだった。なので実質名の付いた後宮は現王妃の宮となるものしか、今はない。


ジルサンダーと結婚した暁にはブルーローズガーデンと名付け、薔薇の咲き誇る後宮にしようと夢想していたローズマリアは馬のスピードに合わせてどんどん背後に遠ざかる宮殿を振り返った。


これからのひと月で庭を整え、使用人の雇い入れ及び教育をし、部屋の(しつら)えから家具の設置など、宮を己の居城として美しく飾り立ててやろうと思っていたのに、とローズマリアは親指の爪を軽く噛んだ。


あの田舎娘が王城に居座るなら、そんなことをしている場合ではない!


あまりの苛立ちに誰もが認める美貌に影がさす。

眉間にも深く皺が寄り、頭痛がした。

怒りなのか、あまりにも力を込めすぎたからなのか、ローズマリアは考えて、考えたこと自体が無意味だと首を振った。今は隣室に迎え入れるつもりだろう、娘を後宮に引き込む算段を考えなければならない。

あの話し合いの場に王妃が不在だったことから、今回の件に関してはこの国の最高位にある女性に訴えても無駄だろう、と判断してローズマリアはジルサンダーに直訴することで腹を決めた。


ローズマリアは後宮から出たくなかった。

あの部屋はすでに己のために設え、こっそりと地下に秘密の小部屋まで用意したのだ。だからなんとしても忌々しい娘を連れ帰らなければならない。


ブルーデン公爵家のお家芸。

王宮内で秘かに囁かれる疑惑のお家芸。


ロマリア・ロマリアの側妃となり、一子を遺したマリアベルに囁かれた陰口、毒婦。


男を誑かし、奈落へと手招きする比喩的表現ではなく言葉そのままの意味の、毒婦。


懇意にしていた薬師から得た知識を使い、マリアベルは毒に精通した。それが脈々と受け継がれ、ローズマリアも毒には詳しい。

毒に通じるということは薬にも知悉している。


どんなものでも適量を用いれば薬となり、致死量を用いれば毒になる。反対に毒を以て毒を制す、の諺通りに相殺する毒が解毒薬になることもある。


その力を活かすためにもローズマリアは調剤室が欲しかった。公爵家にはあるのだが、後宮でこそ使い道のある薬を、毒を調剤したかった。

だからこそ秘密裏に地下に部屋を造ったのだから。


しかし平民ごときの娘が王城に住むならば、己が後宮にいてはジルサンダーの心を掴むことが不可能になる。すでに立っているスタートラインからして不利なのだから。


ローズマリアがあの小麦の臭いを身に染み付けている女に勝てるのは家柄、身分、類稀なる美貌と所作だけだ。


そう思って、思わずローズマリアはにんまりと口を歪めた。


ジルサンダーの愛が気紛れに向いているだけで、王妃に相応しいのは己ではないか、と再認識した。


幼少より心を寄せていたジルサンダーとの結婚は既定路線だと信じていたのに、事もあろうか婚約者本人の口から別の女を愛していると告げられ、しかも味方だと思っていた父親に王妃になれるなら相手がレオンでもいい、とまで明言されて些か焦っていたことにローズマリアは今更に気付いたのだ。


なにも恐れることはない。

なにを悩むこともない。


ただ堂々としていればいい。


それなのにローズマリアは懐に潜ませた小瓶に服の上からそっと触れた。ただ触るだけで、なんとも言えない安堵感に包まれる。


これは昨夜に調剤した秘薬。


できればこんなものを使わないでいたい。

使うような事態にはならないでほしい。


でもローズマリアはそのときが来たら躊躇わずに、間違いなく使用するだろう、と疑わなかった。


とうに神の加護を受けているレティもジルサンダーも毒の類いが一切効かない不死身を手に入れているとも知らないローズマリアの頬は緊張を孕んでいるにもかかわらず、華やかに緩んでいた。

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