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27 ローズマリアは諦めない

玉座の間での婚約解消不成立の直後。


王都の屋敷街のなかでも一際目立つ鮮やかなスカイブルーの建物に憤怒も露に駆け込む紳士が一人。そのあとを大股でおおらかに歩いてくる若者が一人。


さらに二人が降りてきた馬車から美しき令嬢が一人、優雅な仕草で馭者の手を取り、降り立った。


ここはブルーデン公爵家の王都にある屋敷(タウンハウス)である。


贅を凝らした屋敷内は落ち着いた青を基調とした内装で統一され、そこここにコリンナ国から輸入した宝石やリッテ国から買い付けた装飾品で溢れているが、すべてがあるべき場所にきちんと収まっているので、実に上品な雰囲気を醸し出していた。


玄関ホールでは執事をはじめとする使用人が畏まって待っており、普段ならブルーデン卿が帰宅すると執事からの報告があるのだが、この日に限っては卿の憤りが激しく、さすがの執事も声をかけるのが躊躇われた。


さらに卿のあとを興味深げにあちらこちらへと視線を送る青年がのんびりと歩いてきた姿を見て、執事は人生ではじめて腰を抜かした。


「これはレオン殿下!ようこそいらっしゃいました!」


横にいた侍女頭に支えられながら挨拶をした執事に鷹揚に頷いてレオンはブルーデン卿についていく。


そして最後に妃教育で遅くなるはずのローズマリアが入ってきたのを眼にして、執事は青くなった。


これはなにかあったな…


侍女頭と意味深な視線を交わしてから、使用人を引き連れて、執事は呼ばれるまでどんな無理難題を言われても対応できるように、侍女頭とともに準備に入った。


レオンの少しあとから卿の執務室に入室したローズマリアは上座のソファに寛いだ様子で脚を組んで座る王子殿下にまず膝を折って一礼をした。それから彼の向かい側に浅く腰掛けているブルーデン卿の横に座った。それを不満そうに眼を眇めたレオンは己の横に手でポンポンと叩いて隣に座るようにローズマリアを促したが、彼女は軽く首を振っただけで断った。


その娘の態度に顔全体を歪ませて、苦々しくブルーデン卿は唸った。


「ローズ、ジルサンダー殿下のことは諦めなさい。レオン殿下と改めて婚約して貰うからな。それがブルーデン公爵家のためでもある」


「嫌です」


湛えた微笑みはそのままに冷たく言い放つ娘をギラリと鋭く睨み付ける。

レオンは事の成り行きを見守るつもりなのか、鷹揚な態度で出された紅茶を飲んでいた。その赤珊瑚のような瞳はひたりとローズマリアに注がれており、無言で(ねぶ)られている気分になって、ローズマリアは不快だった。


「おまえは王家に嫁ぐために育ててきたんだ。どうあってもレオン殿下に娶って貰う!」


「嫌です」


「我儘はいい加減にしろ!」


「わたくしは諦めるつもりはございません。例え裸で公爵家を追い出されても、勘当されても、あの方と結婚すべきはわたくしなのです。絶対に婚約解消は致しません」


「ローズ!!」


テーブルに用意された紅茶を飲み干し、茶菓子に出されたマドレーヌを食べ終えたレオンが王子然とした麗しい表情を浮かべて、いまにも娘に掴みかからんとするブルーデン卿を制した。

こうしていればレオンは実に魅力的な王子なのである。残念なのは頭のなかだけだ、と不敬にもローズマリアは心のなかで呟いていた。


「兄上はローズとは結婚しないよ。一度決めたことは覆さないタイプだからね。貴女を愛さない、と言っていたし、あの殺気立った様子からするとすでに貴女は兄上から敵認定されてる。それに比べて私はずっと貴女が好きだ。愛し続けてる。幸せにする自信もあるし、貴女から愛される価値もあるだろう?」


先言撤回。

残念なのは世の成り立ちに関することであって、王族らしい思考回路と交渉術は持ち合わせているらしい、とローズマリアは口惜しそうに下唇を噛んだ。

しかもジルサンダーの性格をキチンと把握している。さすがは兄弟と讃えるべきか。


「それに私との婚姻でブルーデン公爵家のためにもなる。どちらにしても次の王妃はブルーデン公爵家から輩出しなくてはならないのだし、ブルーデン公爵令嬢は貴女しかいない。兄上の王位継承権放棄は父も認めた事実だ。彼と結婚してもローズが王妃になることはない、てことだよ。よく考えてごらん?貴女には私かアレクシスのどちらかとの婚姻しか残されてないんだ」


甘い声音ながらも淡々と語るレオンは、眼前にいるのがローズマリアでなければ一も二もなく婚約承諾するほどには様子の良い男っ振りだった。なにより意外なことに彼の言葉は正論だ。

反論するにも隙がない。


「アレクシスはまだ14だろう?私は17、貴女が18。年齢的にもバランスが取れるのは私だろうね」


ブルーデン卿の後ろに立つ侍女に空になったカップを持ち上げてみせたレオンはローズマリアのほうに身を乗り出した。ポットを持って寄ってくる侍女が紅茶を注ぐ様子を眺めてから、にっこりと笑ってレオンは続けた。細められた瞳から逃がさない、と言われた気がして、ローズマリアは小さく身を震わせた。


「貴女がどう足掻いても兄上が貴女を省みることはないね」


そしておかわりの紅茶を優雅な仕草で一口飲んだ。喉仏が色気を振り撒くように上下して、苛立ちながらもローズマリアは令嬢たちが騒ぎ立てるのもわかる気がした。

レオンは王子としてみれば極上のものだ。

ジルサンダーしか眼中になく、レオンの残念な頭を軽視していた彼女がはじめて第二王子を評価した瞬間だった。


「だとしても、わたくしは足掻きたいのです」


評価したとしても、レオンはジルサンダーの足元にも及ばない。頭脳明晰な脳は当然ことながら、見目も遥かにジルサンダーのほうが整っている。対してレオンは華やかなだけ、だという印象がある。もちろん綺麗な顔立ちではあるのだが、ローズマリアの好みではない。ジルサンダーにある涼やかな目許も理知的な額も整った高い鼻も引き結んだままでも艶やかな唇も、レオンにはないものだった。

彼にあるのは煌びやかな金色の美しい髪と珍しいほどの紅い瞳。それが彼を華やかに魅せているだけなのだ、とローズマリアは思っていた。

さらにレオンの剣技は素晴らしく誰よりも強い、との噂があるが、それもジルサンダーに敵わないことをローズマリアは知っていた。

ジルサンダーは隠しているのだ。

剣でも槍でも馬術でも、なによりも優れた遣い手であることを見せず、誰にも悟られないように王都に私財で購った屋敷(タウンハウス)を用意して、そこで鍛練していることをローズマリアは偶然知った。

ジルサンダーの屋敷の横がローズマリアの腰巾着と有名な伯爵家の屋敷で、招かれたときにバルコニーから見えてしまったのだ。

身分がわからないようにか、面布で顔を隠してはいたが婚約者である彼女には舞うように剣を扱う騎士がジルサンダーだとすぐにわかった。

それは敵を想定した実践的な剣技にもかかわらず、繊細な捌きに鋭い動きで、まるで庭園内を踊っているような剣技だった。

あまりの美しさに斬られた敵は死すらも認識できないだろうと、ローズマリアが思ったくらいだ。暫くしてデイグリーン公爵令息がジルサンダーを相手に非公式に試合をして、


「殿下が王に成られずに騎士に成られたら私の将軍職は約束されないでしょうね」


と感心したように周囲に話していたと耳にして、ローズマリアの胸が熱く滾った。


レオンの剣は強いが武骨だ。いかにも騎士たるものの剣だった。それは強さという面では魅力的だが、やはりローズマリアの好みではなかった。


ローズマリアは美しいものが好きなのだ。


なにもかもレオンはジルサンダーには敵わない。


そう言ってしまえば断るのも楽になる。だからといって口にはできない。元より公爵の身分があるから、こうして嫌だと断っていられるが、本来は辞退すること事態が不敬なのだ。

レオンが王から次期王に指名され、本当にジルサンダーが継承権を失えば、ローズマリアに我儘は許されない。望まれたところへいくしかない。


だからこそ、ここで粘っておきたかった。

考えて、ふとローズマリアは玉座の間でのジルサンダーが言ったとされる台詞を思い出した。

父であるブルーデン卿が黒く下卑た笑みを満面に、ローズマリアに誇らしげに言った言葉を…

そして不適な笑みを浮かべる。その漆黒の微笑みを諦めと受け取ったのか、レオンが嬉しそうにテーブル越しに彼女の手を取った。


「やっとわかってくれたかい?私と婚約してくれるね?」


熱く情熱的に問われて、ローズマリアはレオンの手をそっと払った。途端に怪訝そうな表情で彼女を覗き見る。


「ジルサンダー殿下の王位継承権放棄は認められましたが、同時にわたくしと婚姻するものを王とする、ということも陛下は認めておられました。つまりわたくしは誰と婚姻しても王妃となる立場である、ということでございます。であればブルーデン公爵家も顔が立ちますし、ジルサンダー殿下との婚姻でも問題ないということです」


「それは屁理屈だ、ローズ!」


レオンが声を粗げるが、ローズマリアは涼しい顔ですっかり冷めた紅茶を口にした。論破したことにより、気分がかなり晴れやかで、殊の外紅茶を美味しく感じた。


「わたくしは必ずジルサンダー殿下に愛されてみせます。どのような手段を使ってでも」


その言葉に怒り心頭のレオンが立ち上がり、叫んだ。


「ならばやってみるがいい!その代わり、兄上が下らない下町の娘と婚約した時点で私が王で、妃はローズ、貴女だからな!」


ローズマリアは薔薇が零れるような魅惑的な微笑みで頷いて応えた。




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