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23 レティだって意地を張ることもある

「え、レティ様?」


呟いたのは侍従のギルバートだった。


「婚約解消を拒否されるくらいブルーデン公爵令嬢様はジル様をお慕いしてらっしゃるんですよね?私はまだ自分の気持ちに気付いたばかりで、彼女には敵いません」


え?ブルーデン公爵?


さすがの大物の家名にアルフィもカレンも固まる。まさか己の娘に求愛している男の婚約者がロマリア王国の宰相でもあるブルーデン公爵家の令嬢とは予想もしてなかった。

聞くだけ聞いてから追い出してやろう、と考えていた両親はレティに跪く男に眼をやった。


かの令嬢と婚約しているということは…


その先を予想して両親は姿勢を正した。

不敬罪、という罪状が頭を横切る。


「彼女がジル様との仲を修復したいと知ってて、ジル様の気持ちに応えるなんて、私にはできません」


俯き、沈んだ声でレティは言った。

本来は選択の余地すらないのだ、と娘の言葉に慌てふためく両親だったが、ふとカレンは娘が淡く発光していることに気付いた。

王族からの求愛を断る馬鹿はいない。

欲とかでなく、断ること事態が不敬だからだ。

仮にほかに好きな人がいようが、夫がいようが、王族から望まれたら従うしかないのが身分というものだ。


けどこの子は女神なんだっけ?


室内に射し込む陽射しでわかりにくいが、確かにレティは身体全体をうっすらと光らせている。


カレンは神話の一説を思い返していた。


救国の女神が愛するものが神の認めた王となる。


だとしたら、レティの気持ちがなにより優先される。事は個人の恋愛話ではない。今後の国の成り行きにも関わるのだ。


「レティ!」


母親の呼び掛けにレティはぴくりと身体を震わせた。そしてカレンを見遣る。


「ご令嬢のことは置いておきなさい。貴女がどう思っているのか、それをはっきりさせなさい」


妻の言葉にアルフィは驚いて己の肩に手を置いて傍らに立つ彼女を見上げた。その瞳に並々ならぬ決意が見て取れて、なにに対してかは自分でもわからなかったが、アルフィは覚悟を決めた。


「でも、お母さん!」


「人を思いやることはとても素敵なことよね、でもだったら貴女を想って跪いてる彼のことも考えてあげなさい。それから私たちにとってなによりも大事なのは貴女なの。貴女の気持ちも大事にしたい。だからレティの本当の思いを教えてちょうだい」


カレンの言葉を受けて、レティは考え込んだ。

己の手を取ったまま、眼前に膝を折るジルサンダーに視線を寄越す。


絹糸のような銀髪。

宝石で財を成したコリンナ国で採掘される、どのサファイアよりも深い碧眼。

淡いカーネーションを想起させる唇。


その唇がレティの髪に触れ、手の甲にも落とされたことを思い出して、ボッ!と顔に火が着いた。


あぁ、私もこの人を好きなんだ。


レティは改めて思った。

でもここでそれを言ったらなんだか悔しい、と感じてレティは唇を噛んだ。


愛しく想う女性の辛そうな表情に、ジルサンダーは心が張り裂けそうに苦しくなった。それで彼女が救われるなら今すぐこの場で抱き締めて、己の身にレティの辛苦を吸い取らせてしまいたい、とも願った。


けれどレティのよく働く手を握ることしか赦されていない。


それすらもいつ振り払われてしまうのかと、ビクビクしているのだから、情けないことだ。


だったら今できる最善だと信じることをすればいい。


ジルサンダーは真っ直ぐにレティを見据え、握った手に力を込めた。それにぴくりと反応して彼女の薄紫の瞳が悩ましげに揺れた。


「レティ嬢、俺が貴女をはじめて見たのは黒猫を助けたときだ」


荷車に轢かれ、轍のなかで死を待つだけだったはずの小さな黒猫。ジュリアと呼ばれた猫は今、優しそうな年配女性の膝で昼寝でもしている頃だろうか。


「猫を抱えて光る貴女の、心の美しさに惹かれた。あの姿は今でも忘れることができない」


見られていたことに驚くレティ。

そして女神だと知られていたことに狼狽する、その両親。僅かな緊張が部屋全体にピリピリと肌を刺す空気を孕んだ。


「俺の弟はちょっと変わっていて、動物と話せる」


さすがにギルバートが驚いてアレクシスの能力を話すのを止めさせようと身動きしたが、真剣な表情で、レティに向き合っている主の燃えるような瞳にあって、大人しく椅子に座り直した。


「動物と?」


レティにとって魅力的なことなのか、愁いを帯びていた瞳に光が宿る。


「あぁ、言ってることがわかるんだそうだ。もちろんこれは王家の秘密だけどね」


ちろりとレティの両親に警告の眼差しを向けた。

カレンが親指を立てて了承を伝える。


「俺は弟に頼んで動物たちにレティの警護をして貰ったんだ」


だから毎晩いろんな猫が来て一緒に寝て、出掛けると犬が付いて歩き、鳥が店を囲むようにいつでもいたんだ、とレティは酷く納得した。

そしてそんなに前からレティを気遣ってくれたことに心がほのほのと温まる思いだった。


「それから毎日のようにレティ嬢の日々の様子を動物たちが話してくれて、俺は貴女の為人を知ってますます気持ちが募ったんだ」


猫のアレックにはサーカスのあと、旅行で両親がいない夜をはじめて過ごすこともあって、かなり興奮気味にレティはジルサンダーへの赤裸々な想いを語ってしまった記憶がある。

思い出してレティは全身から火を噴くかと思った。


「だから猫の礼だと言ってサーカスに誘ったのも、レティ嬢と少しでも近付きたくて、俺なりに必死だったんだ」


「ジル様…」


恥ずかしさで魂が抜けそうになるのを辛うじて吸い込んで、レティはジルサンダーの名前を呼んだ。

呼ばれたことが嬉しいのか、ジルサンダーが薔薇が綻ぶような笑顔になる。

眩しすぎてレティは眼をシパシパさせた。


「俺はレティ嬢が好きなんだ。そのまんまのレティ嬢を愛してる」


逃げられない。


レティは本能で理解した。


彼から逃げることも想像できないけれど、私がすでに彼に囚われてるんだもの、逃げられないんだわ。


まるで天啓のようだった。

レティは晴れやかな気分で微笑むと、己の手を握るジルサンダーの手にもう片方の手をそっと添えた。


「私もジル様が好きです」


淡く光っていたレティの身体から、金色に輝く光が四方八方に奔流したのは、彼女が囁いた直後だった。

コリンナ国も前出のリッテ国やマルガ国同様にロマリア・ロマリアが創造した浮民たちの国です。

今は国主体の宝石の採掘で富を成し、それがために国民に税を要求しない国として栄えています。

商人同士のやりとりはありますが、国としての交流はあまりないようです。

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