21 ローズマリアの条件
「最後のチャンスとはなんだ?ローズマリア」
王からの問いかけにもかかわらず、ローズマリアは真っ直ぐにジルサンダーを見つめていた。不敬なこととはわかっていてもローズマリアには愛する婚約者と絡まった互いの視線を外すことなどできはしない。
「畏れながら申し上げます。殿下はいつでもわたくしとの時間を惜しまれました。公務がお忙しいのも、訓練があるのも理解しておりましたので、わたくしは待ちました。殿下がわたくしとの時間を大切に思ってくださるときを、ひたすら待ちました」
ドレスを揺らして、己に縋るレオンの手を再度振り払う。
「ですが、わたくしは待ちすぎたのかもしれません。ひと月で結構です。殿下と過ごす時間をわたくしに与えてください」
「与えてどうなる?俺にとってその時間すら惜しいのに」
少しの情けもかける気のないジルサンダーの万年氷の台詞を受けても怯むことなく彼女は微笑んだ。
「わたくしを知ってほしいのです」
「知ってどうする?俺は知りたいとも思ってないのだぞ?」
「それでも知ってほしいのです。婚約者としてお互いを知ることは義務ではないのですか?ジルサンダー殿下はそれを怠ってきたのですから、最後にそれを果たすのも王族として大切なことではありませんか?」
正論だ。
これは抜け道のない正論。
さすがのギルバートも下唇を噛んだ。
「俺は王族でなくてもいい」
子供の屁理屈のような返事を返したジルサンダーに王が躊躇いがちに口を挟んだ。
「ジルよ、王位継承権を放棄するのは王家として認めてもいいが、王族系統からの離脱は認めないからな」
「陛下?!」
「余の息子であることには変わりないのだから、王子でいて貰わなくては余が困る」
公務をテキパキと熟す優秀な王子を失うわけにはいかない、と言外に言っていた。
なにせジルサンダーが抜ければ残るはアレクシスだけなのだ。レオンに公務をさせれば国が組織として成り立たなくなる。国の舵取りができる人材は一人でも多く手元に置いておきたい。
王の狡い考えがジルサンダーの離脱を拒んだのだ。
「陛下があのように仰せなのですから、ジルサンダー殿下は王族としての義務を果たしてくださいませ」
それからローズマリアは王と並ぶ宰相に向かって威風堂々と宣言した。
「わたくしはこれからひと月の間、後宮で生活させていただきます。殿下のお傍近くでわたくしを想っていただけるように努力したいと存じます」
ジルサンダーは言葉を失う。
咄嗟にレティも城に呼んで住まわせようかと考えて、すぐに頭から打ち消した。彼女がここにいればローズマリアになにをされるかわからない。
そのときギルバートが玉座に向かって跪いた。
「陛下、発言を?」
「構わぬ」
「ありがとう存じます。ローズマリア・ブルーデン公爵令嬢様が後宮にてジルサンダー殿下の婚約者候補として滞在されるなら、同じ候補として殿下の想い人も後宮にて受け入れてはいかがでしょうか?もちろん、まだ殿下は彼女に気持ちを伝えてはおりませんので、受け入れて貰えるかははっきりとはしておりませんが」
「ギルバート!」
「なるほど、それもまたひとつの案だな」
王は顎に手を当てて、考え込んだフリをしてから徐にギルバートの意見をのんだ。
「ならばジルよ、おまえの気持ちを伝えて、その娘を連れてくるがよい。それができなければローズマリアと婚姻せよ」
「ありがとう存じます、陛下」
「承知しました、父上」
ローズマリアは晴れやかに礼をして去っていったが、ジルサンダーはギリギリと歯軋りをして、久々に父上と呼んだ男を睨み付けた。
ブルーデン卿はショックで動けないレオンを立たせ、寄り添うようにして自室へと向かった。
「戻るぞ、ギルバート」
怒りの隠った低い声音で侍従を促すと、王に目線だけで礼をしてからジルサンダーはその場を辞した。
荒々しく床を踏み締めながら己の執務室に向かったジルサンダーは少し後ろを歩くギルバートに悪態を付いた。
「なぜレティを巻き込むようなことを言った?!」
「ジル様、少々声を落としてくださいませ」
「そんな悠長な気分ではない!」
「それならばわたくしだけでも小声に致します」
ギルバートは言って周囲を窺う。
変な気配を感じなかったのか、満足げに頷くと、ついとジルサンダーに寄り添って歩調を合わせた。
「かの令嬢が後宮にいればレティ様に会いに行くのも苦労します。それに眼の届かないところにいられると警護もできませんし、アレクシス殿下の動物たちがレティ様を完璧にお護りできるとも思っておりませんので、この際きちんと告白して、レティ様に後宮に来ていただき、正式に婚約者になっていただきたく存じます」
ギルバートの言葉を聞き、ジルサンダーが足を止めて侍従を振り返る。
「レティ様が女神であることさえ知られなければ、これはジル様にとっても大いなるチャンスでございましょう?」
傍に置けば護ることもできる。
会うのも容易になる。
なにより己のものとして周知させることもでき、ローズマリアに諦めさせることもできるかもしれない。
レティを大切に想うあまり、噴き出していた憤怒がギルバートによって空気が抜けるように萎んでいく。
「アレクシス殿下に頼めば、喜んで警護に参加されると思いますよ。殿下がおられれば下手な手出しは難しくなります」
「ならば、条件がひとつある」
「陛下がお許しになる範囲であれば、喜んで努力致します」
「俺の隣部屋にレティを置きたい」
主の思わぬ考えにギルバートは言葉に詰まった。しかし、それが望みなら叶えて差し上げたいのが侍従というもの。
「承知致しました。掛け合ってみましょう。ですが、おそらく反対側の隣部屋にローズマリア様を、という話になるかと存じますが、宜しいのですか?」
「致し方あるまい」
苦いものを含ませてジルサンダーは了承した。
ただし続き部屋として往き来できる部屋をレティのものとしよう、と心に決める。
「ならばジル様はなんとしてでもレティ様をお連れしてくださいね!」
言われてジルサンダーは途端に情けなくも肩を落とした。
難問中の難問がジルサンダーを待っている。




