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16 ジル、女神と初デートに出掛ける

「あぁ、なんて綺麗なんだ!花になってほしいとは言ったが、まさか花の精になってくれるだなんて!」


アルフィのパンの前で大仰に褒めてみせたジルサンダーは今までの人生に於いて一度たりとも吐いたことのないキザったらしい台詞を恥ずかしげもなく宣った。

そこに世辞心など一片もなく、紛う方なき本心から洩れ出た本音だったので、レティの後ろで聞いていたアルフィは怒りを通り越して唖然とするしかなかった。


カレンはそんな夫を微笑ましく見つめ、ジルサンダーの感嘆に値するほどの娘の艶やかな姿にホッと息をついた。


朝から市場に走った甲斐があったわ。


心のなかで自画自賛する。

ジルサンダーからのプレゼントであるレモンイエローのワンピースとブーツを身に付けたレティは髪を左右から編み込んで、後ろで緩く三つ編みにしていた。そこにカレンが市場で買ってきた黄色のガーベラを所々にアクセントとして挿したのだ。


まさにガーベラから飛び出してきた妖精のような可憐さだった。


ジルサンダーの瞳が蕩け、目尻が下がるのも無理はない。レティがそれほどに美しいのだから。


「では、行って参ります。レティ嬢は無事に帰しますので、どうぞ楽しいご旅行を」


騎士の礼で、誠意を伝えたジルサンダーは彼女の両親を安心させるように頷いてからレティへと腕を差し出した。


「では、レティ嬢、行こうか」


「はい!行ってきます」


照れたように柔らかくジルサンダーの腕を取ると、レティは優しくエスコートされていった。


そのふたりの鮮やかな後ろ姿を見送りながら、泣きそうな声音でアルフィが呟いた。


「とうとう、こんな日がきたのか…」


秘かに嘆く夫の肩をぽんぽんと叩いて励ましてから、カレンは出掛ける準備を再開した。


下町から大通りへと抜けたふたりは高級店の建ち並ぶ商業街を歩き、通りの端までやってきた。そこは宿泊施設が並ぶホテル街で、観光客で常に賑わっている。その一角に厩戸のあるホテルがあり、その玄関口にギルバートが馭する馬車が停まっていた。


簡素を装っているが、かなりの高級感を溢れさせている馬車を差して、ジルサンダーがレティを促した。すぐにふたりに気付いたギルバートは馭者台からひらりと身も軽く降りると、馬車のドアを開けて踏み台をその傍らに用意した。


「どうぞ、レティ嬢」


ジルサンダーの差し出した手を取り、レティは馬車のなかにするりと入った。


「おめでとうございます、ジル様」


甘く瞳を蕩けさせた主の、甲斐甲斐しいエスコートに眼を細めたギルバートが祝いの言葉を口にした。

しかしそこに揶揄うような音が過分に混じっていたので、途端にジルサンダーは仏頂面になる。


「そのようなお顔を見せたら誤解されますよ、我が主(マイロード)


可笑しそうに笑って、ギルバートは敬愛する主を馬車の中へ押し込んだ。


二人だけとはいえ、広めの馬車を用意したので、椅子は向かい合わせになっている。その進行方向とは逆の席にレティは座っていた。

進行方向側は礼儀としてジルサンダーのために開けておいたのだろう。


この状況に僅かに迷いをみせたが、すぐに害のない笑顔を浮かべて、ジルサンダーは彼女の手を取り、進行方向側の席へと誘導した。

というか、やや強引に引っ張った、というべきか。


驚くレティを己の横に座らせ、その触れたら折れそうな柳腰を抱き寄せて


「丘までは揺れる」


どだけ囁いた。


それから馭者席に通じる窓をコンコンと叩いて、出発を促した。


レティはあまりにも激しく脈打つ己の心臓が果たして丘までもつのだろうか、と真剣に心配した。腰に巻き付くジルサンダーの手の暖かさがむず痒く感じ、恥ずかしさで顔も上げられない。

きっと耳まで真っ赤だろうと思うと、声も出せない。

馬の蹄の音がのんびりと、緊張を孕んだ馬車のなかに溶けるように響き、同じように無言のままのジルサンダーを横目でちらりと窺った。


彼はレティの腰を抱く手とは反対の手で口元を隠し、顔を背けて窓の外を眺めていた。見えるのはジルサンダーの赤く染まった耳だけだったが、自分と同じように照れてるのだとわかって、レティは幾分か、緊張が(ほど)けた気がした。


「ドレス、ありがとうございました。とっても嬉しかったです」


突然、声を掛けられてピクリと肩を弾かせたジルサンダーは僅かに彼女に視線を向けて頷いた。


「気に入ってくれたなら、俺も嬉しい」


「はい、とっても気に入りました!こういう綺麗なドレスは持ってなかったから、夢みたいで、昨日は眠れませんでした」


「…そうか」


にっこりと微笑んだレティに引き摺られるようにジルサンダーもはにかんだ。あまりの可愛さに目眩がする。ふらふらと花に寄っていく蜂のようにジルサンダーは彼女の髪に唇を落とした。


びくりとレティが震えて、ジルサンダーは己がしたことに気付き、ハッと息をのんだ。どうしよう、と恋愛初心者のジルサンダーは焦ったが、俯いたレティが嫌がった素振りをみせなかったことに安堵して、大胆にも彼女の手を取った。

そして己の口元まで持ってきて、その白磁の手の甲に優しく口付けた。


「レティ嬢、俺はすっかり貴女に魅せられている。こうしたことが嫌ならば、はっきり言ってくれ」


甘く低く囁かれた言葉に、レティは口から心臓を吐くかと思った。決して気持ち悪くてではない、はず。

緊張と恥ずかしさと喜びで、のはず。


その証拠に彼女はジルサンダーの手を払うこともせず、ひたすら頬を真っ赤に染め上げている。


「あの、嫌ではないです」


むしろときめきすぎるほどで、しかもそれが心地いい、とまではこちらも恋愛初心者なので、言えない。


「では、もう少しだけこうしていてくれ」


言い終わるより早く、彼女の腰を抱いていた手が頭へと移動して、ジルサンダーはレティを己の胸に抱き寄せた。なんとも言えない恥ずかしさに身悶えたレティの耳に、ジルサンダーの鼓動がはっきりと聞こえてきた。


それは己のものにも負けないほど激しく高鳴っており、レティは心の奥から沸き上がる歓喜に瞳を揺らした。


ジル様も私と同じ気持ちなのかしら?


丘に着くまで、ふたりはお互いの心音だけが響く馬車内で心地よい緊張と幸せを噛み締めていた。

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