14 ジルサンダー、女神をデートに誘う
15時を過ぎて、いつもの怒濤のごとく慌ただしい客捌きが終わったカレンは完売の札を店のドアに掛けるために外に出た。
そこへ猫を抱いた平民にしては身形の良さそうな青年がやってきて、レティの在宅を聞いてきた。
上から下まで不躾に彼を眺めたカレンは彼の飛び抜けた麗しさに急に恥ずかしくなり、身を縮めてレティを呼んだ。
すぐに軽やかな声が応えて、レティ本人が現れた。思わずジルサンダーの喉がこくりと鳴る。
「あら、アレックじゃない!」
ジルサンダーの腕にいる猫を見てレティが驚いたように眼を見開いた。そして躊躇いなくその細い腕を差し出す。すぐにアレックが反応して、ジルサンダーの胸を蹴って彼女の腕に飛び込んだ。
「いつもは夜だからわからなかったけど、あなたってこんなに綺麗な子だったのね!」
レティの嬉しそうな顔に碧眼を蕩けさせながら、洗い立てだからだよ、と伝えたい気持ちをなんとか抑え込んだジルサンダーはにっこりと営業スマイルを浮かべた。
「いつもアレックが世話になってるようだね。ありがとう」
ジルサンダーの言葉に誰から猫と寝ていたことを聞いたのか不思議に思わずに、適当に名付けた名前が一致したことに眼を丸くしたレティは驚嘆に声を上げる。
「アレック?この子、本当にアレックて名前なのね!なんて偶然なのかしら!私が勝手に名前を付けたと思っていたけれど、あなたはアレックだったのね!」
そんなわけあるかッ!とアレクシスなら猫から聞き取っただろうが、残念ながらここにはそんな特殊能力を持つものはいない。
「いつかお礼をしたいと思っていたんだ」
「ふふふ、こちらこそ、一緒に寝てくれて嬉しいんです」
ゴロゴロと喉を気持ち良さそうに鳴らすアレックの頭にレティはキスし、その匂いを小鼻を動かして吸い込んでいる。
ジルサンダーの胸にチリチリと焦げるような音が響いた。
「それで、その、お礼に、えっと…」
胸ポケットの上からサーカスのチケットを手で押さえながら、ジルサンダーはどう切り出そうか、悩んでしまった。
「お礼なんて、気にしないでください。私もアレックといられて幸せですし。許していただけるなら、これからもときどきは一緒に寝させてくれると嬉しいです」
「それは構わない。いつでもアレックを湯タンポ代わりにして貰えばいいんだが、俺としては、その、お礼をしなくては気が済まない、というか、えっと…」
言い淀むジルサンダーにレティはこてんと首を傾げてみせた。その可愛すぎる仕草にジルサンダーは視線を外さないまま硬直してしまう。
「でも知らない方からのお礼は…」
彼女の言葉で名乗ってすらいないことに思い至り、ジルサンダーは慌てて騎士の礼を取った。
「俺はジルです。王宮で騎士をしてます」
礼をしたまま、ちらりと上目遣いで彼女を窺い、
「これで知った仲、だな?」
と小声で聞いた。
途端にレティが吹き出した。そして口元を隠すように手で覆って抑えきれないように小さく笑う。
「はい!私はレティです」
やっと彼女の名前を教えて貰ったジルサンダーは満足感に包まれて身を起こした。そして今度は躊躇うことなく、チケットを取り出して彼女に差し出した。
「お礼、というか、俺が行きたいんだけど、丘の上のサーカス、一緒に行かないか?」
「リッテ国の?!」
喜びに頬を上げたレティに頷いて応えれば、さらに破顔して彼女は猫を片手で抱き直して、ジルサンダーからチケットを受け取った。
「4日後なんだけど、レティ嬢の都合はどうだろうか?」
人差し指を顎に当てて、右上に視線を流したレティの弾ける爆弾級の可愛さに無表情を保ったまま、内心で腰砕けるほどに身悶えるジルサンダーは彼女の答えを一日千秋の焦れったさで待ちわびた。
「大丈夫です。偶然にもお店がお休みになったので、一日空いてるんです」
「休みに?」
「はい。下町の商店組合の慰安旅行が急に決まったとかで、ここらの店主がみんな行くんですって。マルガ国までの1泊2日で。だからうちみたいな店は休むんです」
従業員がいれば、お店を閉めなくてもいいんですけどね、とレティは続けたが、ジルサンダーの耳には届かない。ギルバートが組合に手を回したのだと、直感して、レティから見えない位置で小さくガッツポーズを繰り出した。
グッジョブ!
と、心のなかで盛大な感謝を叫ぶ。
おそらく慰安旅行の旅費がジルサンダーの私財から組合に流れただろうとも予測したが、そんなものはなんでもない。今まで使わずにいたので、幸いなことに金なら唸るほどある。こんなときに使わなくて、いつ使うんだ、とさらに己を鼓舞した。
「じゃ、また迎えに来る。楽しみにしてるから」
「はい、お待ちしてます」
全身から喜びを発したレティからはにかむような笑顔が零れ、ジルサンダーの手が己の意識とは別に動いて、気付けばレティの頭を撫でていた。
彼女にきょとんとされ、己の仕出かした行動に慌てたジルサンダーは彼女のこめかみから零れ落ちた赤髪を掬い上げ、そっと唇を落とした。
「ではまた、レティ嬢」
低く艶めいた声音で言って、彼女の腕から嫌がるアレックを抱き上げると、ジルサンダーはできるだけ颯爽と歩くようにかなり意識して、その場を辞した。
残されたレティは店の前で、キスされた髪を無意識に指に絡め、呆然と立ち尽くしていたが、急に頬を赤く染め上げて、細く悲鳴を上げながら店のなかに駆け込んでいった。
一部始終を観察していた鳥たちがその様子をさも可笑しそうにチュンチュンと囃し立て、アレクシスに明日の朝にでも報告しよう、と騒いでいた。
リッテ国とマルガ国はロマリア・ロマリアが浮民に悩んだときに場外に建てた国です。今では発展して、それぞれが特色をもった国造りで豊かになったので、国交もあり、ロマリア王国の属国という立ち位置ながら、対等な立場での取引もあるようです。
ちなみにリッテ国は技術の国と呼ばれ、マルガ国は整備された美しさで観光の国として栄えています。
ロマリア国の王都は国の中心ではなく、かなり北寄りにあり、マルガの風光明媚な観光地と隣接しているので、小旅行には最適と言われています。
ちなみにロマリア・ロマリアは国を四方に拡げるのではなく、南下するように開拓していったので、他の国と違い、王都が北になったようです。
遷都も考えたようですが、ソフィテルが堕ちてきた地を離れる気にはならなかったようです。




