107 ロマリア西端旧城壁の戦い
ギルバートに影の指揮権を一時的に移譲し、アルフィのパン屋から王都外れの空き地まで走ったジルサンダーは息を切らしたレティを労りながらも早々とレッドドラゴンになった。
「南の守護神獣…」
呟くレティはその神々しい姿に惚れ惚れとため息をついた。朱色のドラゴンというよりフェニックスに近い形態の神獣は羽根まで鱗で被われていた。涼しげな碧眼がひたとレティを見据えていて、ジルサンダーに陶酔していたレティがはっとして我に返ると、慌てた様子でその背に騎乗した。
「羽の付け根にしっかりと掴まってくれ」
「はい」
レティが言われた通りに掴まり、ジルサンダーを護ってほしいと願いを込めてレッドドラゴンの首筋にキスを落とした。それは女神の加護を受けて淡い光のベールで包まれる。
レティの触れた唇から流れる快感にジルサンダーはぶるりと身体を震わせた。
「では、行くぞ」
囁くが早いか、ばさりと羽を上下に動かしてジルサンダーが駆け出した。2歩3歩と行くうちにふわりと脚が地から離れる。
次第にレティは後方に飛ばされるほどの風圧を受けはじめ、流されまい、と姿勢を低く保った。耳元で恐ろしいほどの風音がする。
猛スピードで流れるのは風だけではない。
眼下に広がる景色もあっという間に後ろへと流されていく。
ドリューへ行ったときのブラックドラゴンが一番速いとされるが、これよりも速かったのか、と思ってレッドドラゴンを掴む己の手を睨んだ。今でさえ掴み疲れて震えている手だ。
いくら風を操れるといってもさすがはレオンだ、とレティは妙なことで感心してしまった。
「第一西端旧城壁が…」
低く喉を鳴らすような呟きが聞こえ、風に飛ばされないように身を屈めていたレティがそっと下を覗き見た。爆破でもされたかのように砕かれた城壁の一部が視界に入る。そこから進軍したらしい兵たちが第二城壁の砦に設置された門を突破しようと群がっているのが続いて見えた。
「城壁内に降りる前に第二城壁内にレティを降ろすが、大丈夫か?」
「はい、お願いします」
頷いたジルサンダーが旋回して第二城壁に首を向けた。レティは落とされないようにしがみつきながらも、心でロマリアの兵だけでなく、攻めいっているコリンナの兵たちにも無事であることを願う。ジルサンダーは背中からほのかに温かみのある光が溢れ出したのを感じて女神の力に畏怖した。己を包み込んだ光はそのまま四方に弾けるように霧散していく。降り注がれた光の粒は戦う兵の上にも舞って血の気が引いていたロマリアの国境警備隊員たちの頬が上気するのがわかった。
もしかしたら小さな怪我くらい、治ってるんじゃないか?
ジルサンダーは砦にレティを降ろすのを先延ばしにして、ロマリア国境警備隊員の上を何度か旋回した。
突如、頭上に現れた南の守護神獣をぽかんと見上げているものたちのなかに降り立つと、ジルサンダーはレティを皆に紹介した。
「よく頑張って耐えてくれた。礼を言う。私はロマリア王国第一王子ジルサンダー·ロマリアだ!」
レッドドラゴンが地響きのような声で名乗ると、一斉に喚声が上がった。
「ここにおわす方は今世の女神レティ·マルガ様である!ロマリアのために祈って下さるぞ!」
「オオオオオッ!」
「ロマリアのために私とともに闘ってくれ!」
「オオオオオッ!」
背からレティを降ろしたジルサンダーはバサリと羽を動かすと、まさに今、コリンナの兵たちが破ろうとしている門前に向けて飛び立った。女神を護るためにレティの周りを囲んだ警備隊員以外のものたちは手にした武器を高く掲げて雄叫びとともに駆け出していく。
銅鑼が打ち鳴らされ、太鼓が響き、法螺貝が彼らの闘争心を呷る。
レティは導かれるままに砦の上まで登ると、誰もが無事であるように祈りを捧げはじめた。
できることなら戦そのものを消してしまいたい、と強く願いながら。
ジルサンダーは息を吸って胸を膨らませてから首を撓らせ、コリンナ兵に向けて炎の吐息を吐いた。それは火炎放射器のごとく辺り一帯をあっという間に焼き尽くしていく。阿鼻叫喚が響き渡るなか、力を得たロマリア兵が門を開けてコリンナ兵に怒声を上げながら突撃していく。
コリンナ兵の弓射隊が横並びに破壊した第一旧城壁付近から何百という矢を射る。標的はジルサンダー。
しかし何よりも硬い鱗に全身を被われたレッドドラゴンに矢など意味をなさない。
羽を一薙ぎして飛んできた矢を風圧とももに払い落とす。さらに大きく羽を広げ、ばさりとコリンナ兵に向かって羽ばたけば、生まれた強烈な突風にバタバタとコリンナ兵が倒れていった。
神獣がロマリアに付いて、ただの人であるコリンナ兵に勝ち目があるはずがない。
それはその場の誰もが感じていたことだった。
ロマリア兵は昂揚感のなかで、そしてコリンナ兵は絶望に包まれて。
そして決定打が下った。
レティの祈りに応えるように天上から神々しいまでの金色の光が降臨し、脳に直接響く華やかな妙なる歌が降ってきた。
上を見上げれば、ロマリアの砦に数多の女神が姿を現し、レティを取り囲むように手を繋ぎ、歌っているのが眼に入る。
「女神だ!」
コリンナ兵の誰かが恐怖に震えて声を上げた。
「ロマリアには女神がいるぞ!」
神獣がロマリア兵とともに戦い、ロマリアの砦には女神が降臨した。
コリンナ王家主上主義であったとしても、根付いた古くからの信仰に抗えるはずもない。コリンナ兵が次から次へと敗走をはじめる。
「た、た、退却だぁ!」
軍を仕切っていたものが命令を下したとき、すでにコリンナ兵の姿は城壁内から消え失せていた。
ロマリア国境警備隊員から勝鬨が雄々しく上がったのはそれからすぐのことだった。




