105 アルフィの新作パン
王都名物コンテストノミネート商品が記載された地図を頼りにほぼすべての商品を見て廻った4人は疲れを色濃く漂わせてアルフィのパンに漸く辿り着いた。
足が棒のようだし、お腹もパンパンだ。食べて飲んで、王都をぐるりと1周するくらいに歩いたのだから当たり前だろう。
ジルサンダーは王都を守護すると言われる神獣金龍がモデルとなった切子硝子のグラスセットをマリオットから預かった小遣いで購入した。これも王都名物のひとつになっていて、土産としてはなかなか洒落ているのではないか、と自賛している。
レティは久々に会う両親にやはり王都名物であるグラディーナという名のスイーツを土産に選んだ。
これは甘いパンの間にバタークリームとベリージャムを挟んだもので、その名もグラディという女性が作り出したものだった。挟まれるバタークリームに様々なフレーバーがあり、それが王都の流行に敏感な女性の心をがっしり掴んだため、今回のノミネートに繋がったのだ。
確かにカラフルで、店内に足を踏み入れた瞬間から心が踊るようだったとレティは思った。
食べてみると意外とあっさりとしていて、小振りな大きさも女性好みである。
これは確かに売れるな、と思わずパン屋目線でレティは悔しそうに齧ったくらいだ。
「あらあら、お疲れのようね、おかえり、レティ」
まだ夕方にも早い時間なのに、もう完売したらしく、クローズの札を手に店から出てきたカレンが疲れた顔をした4人に声を掛けた。
すでに懐かしく感じてしまう心落ち着く母親の声にレティは弾かれたように飛び付いた。
「ただいま!お母さん!」
勢い良く抱き付いたのにカレンはどっしりと娘を受け止めて、その背中を抱き締めた。痩せたようにも感じるレティの腰を優しく撫でて、カレンは店奥に向かって娘の帰宅を報せた。すぐにアルフィが手と顔を小麦粉だらけにした姿で飛び出してきた。
「レティ!!」
あまり感情を面に出さない父親がくしゃりと顔を歪めてレティを凝視する。カレンから離れて、レティはアルフィの胸に飛び込んだ。
「ただいま!パパ!!」
「よく、よく帰って、きたな!」
泣き出しそうになっている父娘を抱き締めるように腕を回したカレンが礼儀正しく待っている3人に、
「どうぞ、なかに入ってちょうだい、新作パンを取っておいたわ」
と勧めた。ジルサンダーが破顔して、軽く頷くとアルフィからレティを取り戻してエスコートし、店内へと足を進めた。途端にアルフィがぶすりと顔を顰めるが、愛娘に会えた僥倖に口もとが緩むのは止められなかった。メアリースーはやっと果たした親子の再会にまで妬くのかと呆れを通り越して殺意の湧いた拳を震わせながら表面上はにっこりと微笑んでレティのあとに続き、妹の激情が手に取るようにわかるギルバートは肩を落としてジルサンダーの警護に入った。
なにが悲しくて己の妹から主を死守する兄があるか、と心中で毒づきながら。
毎朝パンを並べていた店内を通って慣れた動作で奥へと向かうと、キッチンにはこんもりと盛られた新作パンがテーブルに置かれていた。
しゅんしゅんとお湯の沸く心地よい音が木霊し、発酵中のパン生地の酵母が香ばしい匂いをほんわりと散らしていた。先程まで食べ過ぎでパンパンに膨れていたはずなのに、酵母の匂いに触発されたのか、レティの腹から可愛い虫がくぅ、と鳴いた。
びっくりして真っ赤になったレティが腹を押さえて俯くが、静かだった部屋には充分に響いたようで、ギルバートがぶっ!と吹き出した。次にメアリースーが顔を背けてくすくすと笑い出す。
ジルサンダーがレティを抱えてふたりを睨み付けるが、その瞳にも鋭さはなく、込み上げる笑いを堪えるためか、レティの頬に当たる肩が小刻みに震えていた。
「あら、お腹空いたの?それでも食べてなさい、今、珈琲淹れるからね」
カレンまでが暢気に言って、レティはぷくぅ、と頬を膨らませた。アルフィが顔と手を洗ってきたらしく、さっぱりとした様子でやってきて、ジルサンダーに抱き締められて頬を染めている娘の手を引き、己の横に座らせた。ジルサンダーの眉根に深く皺が寄ったが、はしたなく声を荒げることなく、優雅な仕草で椅子を引くと、彼もレティの横に陣取った。
ふたりの男に挟まれて、幸せそうに紅潮しながらも居心地の悪そうなレティに眼をやってカレンは嘆息した。
「いつもあんな感じなの?」
こっそりとギルバートに聞けば、始終一緒にいる侍従がにこりともせずに頷いた。貴方も大変ね、とばかりにカレンはギルバートの肩を優しく叩き、椅子を勧めた。
どうにかそれぞれが腰を落ち着け、カレンの香り高い珈琲で喉を潤し、アルフィの、
「レティをイメージして作ったんだぞ!」
という力作のパンに舌鼓を打ったとき、ジルサンダーの身体が微かな、本当に微かな振動を感じ取った。レティはもっと顕著な反応を示した。驚愕に眼を見開き、菫色の瞳が怒りに震えている。強張った肩は揺れて、彼女は手に持っていたカップをがちゃりと荒々しく置いた。
「レティ様?」
主の常にない行動と態度にメアリースーが不安を覚えて問い掛けるが、それすら聞こえないかのようにレティは無視した。そして鋭く西を睨み付けた。
ぎりりとレティが噛み締めた奥歯の切瑳する音が静寂のなか鳴り渡り、ジルサンダーが心配そうに愛しの女神を窺い見た。
「城壁が攻撃されました、ジル」
憤怒に震える声が静かにジルサンダーに告げた。
ソフィテルの張り巡らせた浄化の力は未だにシールドのように国全体に行き渡っていて、レティはソフィテルの記憶が鮮明になるにつれて、それを感じることができるようになっていた。
それが今、明らかに常とは違う痛みを伴った衝撃を感じたのだ。
「なんだって?」
「西の城壁に何かしらの攻撃を感じました。今もまだ、続いています」
顰められた眉までもが激怒に震え、レティは勢い良く立ち上がった。
ジルサンダーはため息を溢した。もしかしたら女神の顕現と創成の王の出現に戦を回避してくれるのでは、と淡い期待を抱いていた彼はアガロテッドの判断に脱力感を覚えて、目眩まで起きた気がした。
「諦めてはくれなかったか…」
口のなかだけで呟いた声に、周囲は緊張で身体を強張らせた。そしてジルサンダーの動向を静かに窺う。彼の判断次第では動かすものの大きさが変わってくる。ギルバートは額に汗を浮かべながら、じっと主を凝視した。
「ギルバート」
緊張を払うかのような穏やかな声音でジルサンダーは侍従を呼んだ。
「はっ!」
「急ぎ城に戻り、陛下とアレクシス、レオン、バーバラ殿下、レイチェル叔母上と動かせるものがどれだけあるのか、話し合って把握しておいてくれ。影にはアガロテッドとローズマリアを探らせろ、城には入れるな」
すでに敬称すら省く主の態度にコリンナからの攻撃だと判断したのだとギルバートは思って姿勢を糺した。
「はっ!」
「メアリーはレティを護って城まで下がれ」
「イヤです」
「はぁ?!」
言い返したレティにジルサンダーだけでなく、アルフィまでもが驚嘆の声を上げる。
「イヤです、私だけ逃げるのは絶対にイヤです」
「しかし、俺は今から西に向かって状況を…」
「だったら私も行きます」
真っ直ぐ迷いなくジルサンダーを見つめる紫の瞳には濃く強い意志が孕んでいた。
「でも、レティが行っても足手まといじゃないの?」
心配するカレンに見向きもせずに、レティははっきりと断言した。
「私も行きます。ジルは飛んで行くのでしょ?私を乗せて行ってください」
唖然とする周囲を余所にレティはジルサンダーをただひたすら見据えていた。




