103 幸せのパンケーキ
王都中心街は祭りらしい華やかさに加え、女神の奇跡が起こした興奮に包まれて、いつも以上の熱気で、人酔いする前にレティは熱に浮かされてくらりと目眩を覚えた。
「すごい人です、ジル」
馬車から降りるなり、人波に飲まれそうになったレティがジルサンダーの袖をぎゅっと掴んだ。
「はぐれると大変だ、レティは俺を離すなよ」
渋く注意するジルサンダーだが、その口許は抑えが効かないほどにゆるゆるに弛んでいる。あとから追従するギルバートもメアリースーも見ている方が恥ずかしい、とするりと視線を逸らした。
「はい、ちゃんと掴んでます」
にっこりとジルサンダーを見上げて、レティは掴んだ袖を振ってみせた。とろとろに蕩けた顔を見せまい、と背けるが、耳まで真っ赤に染めては無駄な努力ではないか、とギルバートは小声でツッコんだ。
「では、行こうか」
「はい!楽しみですね!」
王都名物コンテストにノミネートされたものをひとつずつ見ながらアルフィの新作パンまで辿り着こう、という作戦を立てているふたりはまず1つ目の名物に向けて足を運んだ。
王都中心街の一画、貴族も立ち寄れば裕福な平民も足繁く通うカフェに着いた。
「ここのノミネートされた名物はスイーツなんです!」
レティの瞳がキラキラと輝く。後ろから付いてきているメアリースーも心なしか表情がいつもよりも明るい気がしたジルサンダーは女の子は甘いものが好きだというのは確かなんだな、と真面目な顔で頷いた。
ダリアからレティとデートをすると伝えたところ、
「甘いものは欠かせないのよ、ジル!ちゃんと話題のスイーツ、お勉強するのよ?!」
と忠告されたのだ。すぐ横で真剣な眼差しでマリオットがダリアを凝視しており、あとでこっそりと土産を頼まれた。ダリアの喜ぶものを買ってこい、と。そんなものは侍従に頼めよ、とは思ったが、ジルサンダーはひとつ礼をすると、マリオットから小遣いをせしめてやった。
別にレティに贅沢をさせるくらいの貯えはあるが、マリオットから貰ったと思うと妙に心が擽ったく、気分が良かった。
「まずはここだな、では入ろうか」
いつもは行列で待つことが必須の店だが、ギルバートが店員にちらりと見せた紋章のおかげで、レティたちは待つことなく店の奥の個室に案内された。案内をしてくれたのは店の支配人で、ずっとへこへこと頭を下げているので、ジルサンダーは顔すら認識できなかった。レティは王家の特別扱いに外で並ぶ人々に申し訳ない気持ちになるが、メアリースーに王族の警護の大切さを誘拐されたときに説教されていたので、個室に通されたことも仕方のないことだと頭を切り替えることにした。
「幸せのパンケーキとスパイス薔薇白茶をお願いします」
こてんと首を傾けて頼んだレティはわくわくを隠すことなく待ちきれない態度でテーブルに肘を付いた。
幸せのパンケーキとはスフレパンケーキよりもさらにふわふわと雲のような食感のパンケーキで、その上にロマリア特産のベリーを使ったソースとロマリア南部で食べられるチーズからできたソースがたっぷりとかかっているものだ。
その名の通り、一口で幸せになれるパンケーキだと評判だった。
アルフィの対抗馬としては最有力の名物がこの幸せのパンケーキだったので、期待と同時に緊張もする。まだアルフィの新作パンを食べてはいないが、産まれてからずっと食べてきた父親の味はどんな形のパンになっても想像ができる。
アルフィにとって最初で最後のロマン名物コンテストだ。レティはどうしてもアルフィのパンが最優秀名物に選ばれて欲しいと願っていた。
ほかほかと湯気の上がる分厚いながらも微かな動きでぷるんと揺れるパンケーキが支配人によって目の前に置かれた。バニラの香りがふんわりと漂い、それだけでも口腔内に唾液が溢れてくる。
テイクアウトができないほど繊細なパンケーキは早く食べないと縮むのだ、と支配人から説明を受けたので、レティは急いでナイフをパンケーキに入れた。焼きめに多少の弾力があったが、それを越えるとなんの抵抗もなくすんなりとナイフが入った。そっとフォークでさして口に運ぶ。
しゅわ、と一瞬で溶けて、レティの眼が大きく開いた。舌の上に上品な甘さが残り、鼻にバニラとベリーの豊潤な香りが抜けた。
歯が要らない、と噂では聞いていたけど、本当だわ。
レティは驚きに言葉がない。
はじめての食感に、ベリーの酸味とバランスのいいパンケーキの甘さが絶妙だ。さらにチーズソースのまろやかな口当たりがまた抜群に相性が良かった。
「これは旨いな」
ぽそりとジルサンダーが呟いて、やっとレティは我に返った。
「はい、ちょっと悔しいですけど、名物に相応しい美味しさです」
むぅ、と唇を尖らせて、
「強敵です…!」
と言いながらもう一口パンケーキを頬張った。
ジルサンダーはふわりと微笑むとレティの頭をくしゃりと撫でた。
「アルフィなら大丈夫さ、しかも名前がレティパンだろう?」
女神の名前が入って負けるわけがない、とジルサンダーは思うが、口にはしない。その特別扱いをレティが善しとしないのがわかっているからだ。
「味で勝負ですから!」
拳を小さく突き上げ、レティはむん!と気合いを入れた。それが可愛くて愛しくて、堪らないジルサンダーはレティを掻き抱く。唐突な行動にレティがわたわた暴れるが、ジルサンダーは可愛いを連呼して離す気など欠片もない。結局、ギルバートに後ろから叩かれてやっとレティを開放する始末だった。
ジルサンダーの甘い愛と幸せのパンケーキをやや胸やけ気味に堪能したレティは次の名物に向かって王都中心街から外れた旧市街地の下町に足を踏み入れた。
「今度はあそこの串焼きみたいですね」
ギルバートの言葉に、眼前に見えた長蛇の列と香ばしい肉の焼ける匂いでそれとわかったレティたちが嬉しそうに頷いた。
ロマリア東部で育てられる羊が絶品だと、初夏から晩秋にかけてだけ期間限定で売られる串焼きだ。
まさに今だけの贅沢なのだが、一串の値段がさほど高くなく、庶民にも手の出る肉として王都では人気のひとつだった。
「わたくしが買って参りますので、こちらでお待ちいただけますか?」
ギルバートがジルサンダーとレティをすぐ傍のカフェに促し、ジルサンダーはいつものようにテラス席を陣取った。ギルバートはメアリースーを伴って行列に並びに行った。
匂いだけで旨さがわかり、肉好きのジルサンダーには堪らない気分になる。ただ焼いただけでなく、一度油で揚げてから表面をパリパリに焼いているらしい、と聞いて期待は高まるばかりだ。
スパイスの複雑な薫りと炭火の香ばしさが17歳の誕生日プレゼントにギルバートが買ってきてくれた羊の串焼きの記憶を刺激して、先程食べたばかりのパンケーキを薄れさせる。
楽しみだな。
ジルサンダーの呟きが呻きのように溢れた。




