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10 レティ、森の王女になる?

いつものように朝が来て、いつものようにアルフィが焼くパンの香りがレティの部屋まで漂ってくる。それを目覚まし代わりに元気よくベッドから跳ね起きると、レティはベッド横に前夜から用意しておいた桶の水で顔を洗う。レティの激しい動きに寝起きの猫が抗議するように


「にゃあ!」


と鳴いた。その猫の額を指で撫でてから、レティはいつもの服に着替えて階下に下りる。

もうすでにカレンが店内の掃除を済ませていて、レティは焼き上がったパンを並べる作業に入る。

これもいつものこと。


けれどふと窓から外を見て、


「やっぱり今日も来てるのね」


とレティは呆れたように呟いた。


もうこれで何日目になるのだろう。

はじめは珍しく鳥が多いな、と感じた程度だった。その次は並んでいる鳥と猫を見て、仲良くするなんて凄いわ、と感心したくらいだった。


だが、今はどうだろう。


窓枠に張り付くように鳥たちが留まり、往来には犬が数匹きちんとお座りをして店内を眺めている。さらに向かえのカフェの屋根には10匹以上の猫が思い思いの態勢でレティの行動を監督している様子。

さらに…


「あら、初顔さんまで!」


朝一のパンを買うために並ぶ客の行列に隠れていたが、2頭の鹿が佇んでいた。


これは一体、どういうことだろう、と首を傾げるが、パンを並べるレティの手は止まらない。


「おかあさん、また増えてるわ」


焼きたてのパンを店内に運んできたカレンに言えば、ちらりと外を見て、母は軽やかな笑い声を発した。


「あらあら、これじゃ、まるで森の王女さまにでもなった気分ね」


本当にそうだわ、とレティは思った。

前日、配達に出掛けた際、レティを警護するように犬が2匹、彼女の横に張り付いてついてきたのだ。

店から出て店に戻るまで、ずっと彼らはレティをエスコートしていた。そして毎晩のように違う猫が彼女のベッドに潜り込むようにもなった。その暖かい身体を抱いて眠るとレティは驚くほど熟睡するらしく、毎朝とても快調に目覚めることができた。


カレンの言う通り、レティはまるで彼らの王女のようだった。


「でも、どうしてかしら?」


娘の口から零れた疑問にカレンは笑顔のまま、内心では青褪めていた。

カレンは娘が女神だからだ、と確信していたが、確かにそれは当たらずとも遠からず、の推察ではあるが、直接的な理由は…




「ふぅん、そんなに優しい子なんだねぇ」


レティが森の王女へと変貌した理由であるアレクシスが今日も報告に来た犬と語らっていた。

私室は4階にあるので、犬や鹿と話すときは庭園を使っている。おかげでここ最近の朝食はガーデンモーニングと洒落こんでいた。

今は一緒ではないが、数日前はこのガーデンモーニングにジルサンダーも参加していた。

この日のアレクシスの喜びようは長年彼についていた侍従すらあんぐりと口を開きっぱなしにしてしまう無作法を犯すほどだった。


「じゃ、君たちもあの美味しいパンを貰ったんだね、羨ましいなぁ」


以前、ジルサンダーから土産として渡されたパンを思い出したアレクシスはごくりと唾を飲み込んだ。記憶に刻まれたあの味を回想するだけで、口腔内にバターの風味が広がる気さえする。


「いつもありがとう。今日も宜しく頼むね」


アレクシスが礼を述べて、集まってきていた動物たちに侍女が用意したパンや肉やらを与えた。それを歓喜も露に堪能してから、彼らは任務へと戻っていった。


「さて、僕もジルにいさまのところに報告に行こうかな!」


会う口実ができたことがなにより嬉しくて、アレクシスの表情筋は近頃は弛みっぱなしだ。

レオンが訓練場に行く頃合いを見計らって、アレクシスはジルサンダーの執務室に向かう。

そして兄弟ふたりっきりの時間を過ごすのだ。しかもアレクシスがレティのことを語れば語るほどジルサンダーの頬が緩んでいく。その姿を眼にするだけで、アレクシスは最上の悦びを全身で感じ取ることができた。


こんな幸せなことはないよな、と彼は会ったこともないレティに感謝する。彼女がいなければ、アレクシスに齎されたこの幸せの時間は存在しないのだから。


会ったこともない、が、動物たちから彼女の話を聞く度にアレクシスのなかに刻まれていくレティがいた。

もう会わなくても彼女の為人も姿もなにもかも、肖像画に描き起こせそうなほど身近な人になりつつあった。


レティは優しい

レティは可愛い

レティは賢い

レティはいいこ

レティは…

レティは…


動物たちは彼女のことを褒め称える。

悪いことひとつ、口にしない。

一緒に夜を過ごす猫たちに至っては彼女の暖かさと柔らかさまで教えてくれる。


アレクシスはこの数日で、いつかレティに会うかもしれないことを怖がるようになっていた。


彼女のことを知る度にちくりと胸を刺す微かな痛みが気になるからだ。


この感情はなんなのだろう、と頭に浮かべては、考えてはいけないと打ち消すことを何度繰り返しているのだろう。


侍従から時間を告げられ、慌ててアレクシスは私室へと戻ると、敬愛するジルサンダーに会うために着替えた。


そこにほんの僅かに生じた躊躇に、アレクシスは無理やり蓋をしてから、兄の執務室に向けて足を運んだ。


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