08
闇に浮かびあがるような白いシャツを目印に、私は恋人の元へと辿りついた。
「ごめん。待たせて」
「ええよ」
と言って、彼は私の手を取り、ゆっくりと歩き出す。
幻想的な灯影が、滲むように闇の底に揺れている。
決して戻らない過去を映した、思い出の光。
――気がついたら、私は中学校の中庭に立っていた。
校舎の壁のごつごつした手ざわり、吹き抜ける風、地面を掃く音、枯葉の匂い、あらゆるものがありありと目の前に存在し、さわることができた。
とてつもない質感をもって、物凄く鮮明に。
秋の日の記憶は、洪水のように溢れ返って視界を侵し、耳の奥にこだましていた。
けれどもそこに南坂秀はいない。彼はもう行ってしまった。
戻らなくては。
私は強い意志をもって何度もまばたきを繰り返す。
そうするうちに、隣を歩く恋人の姿や燈火の灯りがぼんやりと戻ってくる。
「ええのんか?」
夢とうつつを彷徨っていた私は、彼の声に呼び覚まされて気づく。
あの日のあの一瞬が、自分にとってどれほどかけがえのない宝物だったかを。
思い出は幻燈だった。きっと私の心はそれを映し続ける。
南坂秀を、幼さの残る声を、頬から顎にかけての輪郭を、伸びやかな魂を、成長した彼の姿を、あでやかな胸のふるえを、何度も、何度でも。もらった言葉や感情とともに。
「うん。ええねん」
それらは私に問いかけつづける。
選んだことを。選ばなかった未来を。悔いはないのかと。これで良かったのだろうかと。
潔く去った彼の、あまりにも凛冽な後姿。
残酷なほど鮮やかで、私は目を伏せた。
――考えて見つかるような答えなら、最初から見失ったりしない。
【終】