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幻燈  作者: 凪子
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07

「ほんなら俺、行くわ」


率直に言い、長い手足を動かして南坂君はきびきびと歩き出した。


私の目に、五年前の光景が鮮やかによみがえる。


あのとき見た後姿を、私は追いかけることができなかった。


それでも翌日の教室で彼に会えた。


疑いもしなかった、卒業までずっとこんな日々が続くと。


けれども今度はちがう。


これを逃せば、もう二度と会うことはないだろう。


人生のほんのわずかな時間を共に過ごした私と彼は、一生、別々の場所で生きてゆく。


それでいいのだろうか。


不意に肩をたたかれ、びくりとする。


「追わなくていいの」


見上げると、恋人は何かを悟った顔つきをしていた。


皮肉でも当てこすりでもなく、本心からの問いかけだった。


私はうつむく。握り締めたこぶしに爪が食い込んでいた。


それを見た途端、何かに突き動かされるようにして走り出していた。


「待って」


雑踏ざっとうの海を渡っていく彼の背中に呼びかける。


振り向いた彼に何か言おうとした矢先やさき、隣の人と肩がぶつかってよろめいた。


ほとんど反射的に、南坂君は私の手を引いて脇へ連れ出してくれた。


「そんな格好かっこうで走ったら危ないで。転んだら大変や」


と、南坂君は言った。


私はようやく顔を上げ、真正面から彼の目を見た。


「謝るつもりやねんやったら、そんなん要らんで」


ややかすれた低い声が言った。


私は首を振って、


「ちゃんと……」


口に出してから、ようやく気づいた。


「お別れを、言おうと思って」


私が彼にあげられるのはもう、ありがとうでもごめんなさいでもない。


さようならしか言えなくなってしまったのだと。


南坂君は「そうか」と呟き、うれいを帯びた目で遠くを見つめた。


その瞳に宿る無数の灯り。水面に映るその光のように、幸福が人生のいたるところに降りそそぎ、彼の道を照らしてくれますようにと、私は痛切に祈った。


「五年……経ってたんやな」


ひとりごとのように呟いた彼の声、私の耳には「経ってた」が「待ってた」というふうに聞こえた。


けれどもそれはきっと、聞き違いであるはずだった。


聞き違いであってほしかった。


「南坂君」


私は彼の方を向き、深々と頭を下げた。声が喉に詰まる。


「どうか……元気で」


顔を上げると、彼は微笑んでいた。


「ああ。御幣島も元気でな」


差し出された手を握る。何の他意もない、あたたかい手だった。


離してしまうことを惜しむ暇すらない泡沫うたかたのような時間、つないだ手から流れ込む追憶を、私たちは確かに共有していた。


そして、ただ羽のような体温が私の手のひらに残される。


じゃあな、と言って今度こそ本当に、南坂君は闇の中へけ消えた。





















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