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幻燈  作者: 凪子
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05








思えばあの時にはもう、転校することは決まっていたのだろう。


けれど彼は他の誰にも打ち明けず、春学期のはじめに忽然こつぜんと姿を消した。


かすかな予感めいた手がかりを与えられていたのはきっと、私だけだった。


あれは彼なりの誠意とけじめだったのだと、いなくなってしまってから、ようやく気づいたことだったけれど。




親の仕事の都合で仙台に引っ越した彼は、中学卒業と同時に今度は埼玉へと移った。


転居を報せる葉書はがきには、決して丁寧ではないが読みやすい彼の字が並んでいた。


返事を書こうにも何を書けばいいのか分からず、そのまま時は過ぎた。


あれから、もうすぐ五年が経とうとしている。


彼がともしてくれた小さなは、その日から私を照らし温め、その灯りに導かれてこれまで歩んでくることができた。


ダイヤのような心はもう欲しくない、代わりにこの燈のような心を持ちたいと私は思っていた。


そしていつか、その燈を他の人に灯すことができるようになりたいと。


あのころ確かに同じところにあったはずの目線は、今は見上げなければ合わせられなくなっていた。


「浴衣、よう似合うてるな」


胸が詰まるほど懐かしい声で、彼は言った。


清冽だったあの目は、今では優しい甘い色をして、すっぽりと夜を包み込んでいた。


いとおしむように、いつくしむように。




――どうして彼は私に気づいたのだろう。


あれから何年も経っているのに、五年の間、一度も会わなかったのに。


夜の濃密のうみつな闇にまぎれて、息もつけないほどごった返す人混みの中で、近くはない距離で、浴衣を着た私を、それもたった一目ひとめで。


服の上からでも分かる、しなやかでたくましい体躯たいく精悍せいかんな顔立ち。


あのころと変わらないのは、つんつんとした短い黒髪だけだ。


もし声をかけられなかったら、成長して大人になった彼だと、私は分かったろうか。


紺地に白芙蓉しらふようをあしらった浴衣、硬く締めた帯は山吹色、碧玉へきぎょくの帯留め、紅い巾着きんちゃく


履きなれない草履ぞうりに、結い上げた髪、涼やかな音を立てて揺れるかんざし


風呂に入って清めた身体、薄化粧の頬はうっすらと紅潮している。


その全てが彼のためだと言えたら、どれほど都合がよかったろう。


きっと物語のように何もかもがうまくいき、邂逅かいこうした二人は手を取り合って語るのだ。


「月が綺麗ですね」と。


私はうつむいた。夏の夜風がうなじを撫でる。


もう二度と会えないのかもしれないのだから、お礼を言うべきだった。


なのに、また私は唇をかみしめ、棒切れのように突っ立っていることしかできなかった。


変わらない、何も変わっていない。中学二年生のときのままだ。

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