4話 「魔術の才能」
基礎的な訓練が終わると、しだいに二人は別々に訓練が課されるようになった。
出来のいいゼムナスと違って、いまだに自分自身の〈魔素器官〉を覚醒させられないリリアスのもとには、連日さまざまな術士が訪れてはその能力の覚醒に取り組んだ。
しかし、どんな高名な術士も最後には首を横に振って彼のもとを去った。
「ゼムナスと違って魔術の使えないおまえは、その身ひとつで戦場を生き残らねばならない」
一方で、リリアスには魔術が使えない代わりとばかりに、肉体を使った戦闘の才能があった。
「そんなおまえに、今ここで這いつくばっている暇があるのか?」
その日、地下にある訓練用の広間で、リリアスは剣を片手にひざまずいていた。
「くそっ……!」
リリアスから五歩ほど離れた位置にひとりの男が立っている。
見た目は初老にさしかからんという年齢だが、剣を片手にリリアスの前に立ちふさがる姿は歴戦の勇士と呼ぶにふさわしい。
灰色の髪に同じ色の髭、そしてその瞳は青い色をしていた。
「立て、その剣で私を殺してみろ」
男は剣の切っ先をリリアスに向ける。
それが合図だった。
「ッ!」
リリアスがひざまずいた状態から弾けたように立ち上がる。
足も手もぼろぼろで、生々しい切り傷がいたるところにあったが、それをものともせず男に特攻した。
「そうだ、おまえには潔い死よりもあがく生のほうがよく似合う」
目にも留まらぬ剣撃の応酬。
リリアスの振るう一撃はすでに並みの剣士の剣速をゆうに上回る。
しかしそんな一撃一撃を、男はすべて打ち落とした。
「あがけ、リリアス。何度でも」
一瞬の隙に、おそろしく速い男の蹴りがリリアスの横っ腹を襲う。
「がっ……!」
勢いよく床に転がったリリアスの体は、そのまま部屋の壁に激突した。
「今日はここまでだ。何カ所か骨が折れているだろう」
男は確信的な口ぶりで言った。
「だが明日には治っている。そうだな?」
「次は絶対ぶっ飛ばしてやる……!」
「よろしい。では明日の地獄に備えてせいぜい休め。魔石を割るのを忘れるなよ」
リリアスはその男が誰なのかを知らなかった。
訓練官として雇われた凄腕の傭兵とも言われているが、その真偽を本人に問いただしたことはない。
というか、そんなことを訊ねる暇が、少なくともこの男の訓練のときには存在しなかった。
「くそ……」
男が部屋を出ていったのを見て、リリアスは剣を投げ出して床に大の字に倒れる。
「……ゼムナスはなにをしてるのかな」
自分とは違って、魔術の才能を早い段階で開花させたゼムナスはこの訓練には参加していない。
いわばこれは、魔術の使えないリリアス用の訓練だった。
「……はあ」
それからリリアスはその場で少し休んで、体からじんじんとした痛みが消えたところで部屋を出た。
ゼムナスと顔を合わせたのは、訓練後の待ち合わせ場所にしているあの蔵書室でだった。
◆◆◆
「おれにはどうやら魔術の才能がないらしい」
「うーん、こうなると魔素じゃない術素の利用も視野に入れた方がいいのかもね」
蔵書室でおのおのに興味のある本を持ってきたあと、二人は部屋の中央にある燭台付きの机に座って話をしていた。
「魔素以外?」
リリアスが魔術書を頭の上に乗せたまま器用に首をかしげる。
「うん。くわしくはまだ研究段階だけど、地脈や空脈に存在する術素って、正確には魔素とは少し異なる性質を持つみたいなんだ」
「へえ」
ゼムナスはリリアスとは対照的に行儀よく本を開いてうなっている。
「あと、昔の話だけど、〈命素〉って呼ばれる術素も研究されたことがあるらしい」
「なんだそれ」
「生命を運行するためのエネルギーのことさ。どうやら生き物の体が血や酸素の循環だけじゃなく、もっと根本的な燃料――命の力によって運行されてるんじゃないかって説があってね」
「おとぎ話だな」
「兄さん、魔術なんてものがある世界でなにを言ってるんだい」
「いやまあ、そうだけど」
ゼムナスは学術的な話になると少し熱くなる。
ずいと身を乗り出したゼムナスに対し、このときはリリアスのほうがやや気圧されたようにあごを引いた。
「で、どうやらその命素というのはすさまじい燃料効率を持っているんじゃないかって話になって――」
「なって?」
「結局研究はとん挫した」
「ダメじゃないか」
リリアスが肩をすくめる。
「どうしてとん挫したんだ?」
「存在はなんとなく実証できたけど、誰もその力を意識的に活用することができなかったんだよ。なんらかの特殊な才能が必要なんじゃないかとも言われた」
「やっぱりダメじゃないか」
「うん。でもまあ、兄さんにはこういう知識が足らないから、今後のためにお勉強させようと思って」
「……」
リリアスが複雑な表情を浮かべる。
言い返すに言い返せないが、腑に落ちない様子でもあった。
「まあ、兄さんは自在に魔術を使えなくてもいいじゃないか。その年でこの国の兵士の誰よりも強いわけだし」
「それでも魔術を自在に使ってみたい。魔石なしで」
「欲張りだなぁ。……というか昨日の訓練、対術機の防御訓練だったらしいけど、兄さんが術機銃の弾丸を魔術も使わずに止めたってホント?」
ゼムナスが心底信じられないとでも言わんばかりの顔で訊ねる。
「ん? ああ、うん」
リリアスはゼムナスの問いに軽くうなずいてみせた。
「どうやったら魔術も使わないであの速度の弾丸を止められるわけ?」
「それは、こう――」
リリアスが顔の前でなにかをつまむ動作を見せる。
それを見てゼムナスは大きなため息をついた。
「そもそも弾丸の軌道を見切ることだってありえないのに……」
「おれの体は少し特別だから」
「そうなの?」
「まあ、いろいろあってな」
リリアスは言葉をにごす。
ゼムナスもなにかを察したのか、それ以上深くは追及しなかった。
「いずれにせよ、たとえ見えているんだとしても、あの速度の弾丸に生身で反応することなんてできないし、ましてやつまむなんてもってのほかなんだけど……」
「できるものはしかたないだろう」
どうかしてるとでも言わんばかりにゼムナスが肩をすくめて、いったん話は終わった。
◆◆◆
訓練が続いてさらに一年。
そのころになると、二人のもとには訓練官以外の人物がよく訪れるようになっていた。
「兄さん、〈アストレア〉様が来たよ」
「またか、面倒くさいな」
「いいじゃないか。ちょっとお転婆だけど、すごくかわいいし、将来は王国一の美人になるだろうって王城でもうわさになってるんだよ?」
「かわいい? あれのどこがかわいいんだ。あの目つきを見ろ。将来はひと睨みで人を殺す大悪党になるに違いない。今だって手癖は最悪、言うこと聞かないとすぐキレるし、最後には泣くし、ひどいもんだ」
アストレア・ウォフ・マナフ。
マナフ王国の第一王女である。
「お前ら! またこんなところに引きこもって魔術の練習か! たまには外に行って遊べ!」
夕日を閉じ込めたかのような美しい茜色の長い髪。
華奢ながらしなやかさを感じさせるすらりとした身体。
まだ十歳であるというのに、身に纏った派手なドレスに劣らぬ気品を漂わせているその少女は、サファイアのような深い青の瞳をいつもきらきらとさせている活発な子どもだった。
「こんにちは、アストレア様。僕もそうしたいところなんですけど、兄さんがどうしても魔術の復習をしたいって言うので」
「またリリアスか! お前に魔術の才能はない! 諦めろ! 諦めて今すぐわたしと遊べ!」
「嫌だ、邪魔だ、帰れ」
「じゃ、じゃまっ……! わ、わたしに向かって邪魔だと……! リリアス、きさまぁ!」
ぷるぷると震えながら目をうるませるアストレア。
――ああ、これは泣くな……。
リリアスは庭の地面に魔術式を描きながらそのことに気づき、黒髪をぐしゃぐしゃとかいた。
「怒るのか泣くのかどっちにかにしてくれよ……」
しかたなくというふうにアストレアの方を見ると、その目尻にはやはり光るものがある。
「な、泣いてないっ! わたしは泣いてないぞっ!」
「はあ……」
リリアスは次にゼムナスを見る。
ゼムナスは苦笑して肩をすくめていた。
「兄さん、少しくらい遊んであげたら?」
リリアスとゼムナスにとって、アストレアは妹のようなものでもあった。
「……ちなみになにがしたいんだ」
「鬼ごっこ!」
「うわぁ……めんどくさい。というかお前、一度だっておれを捕まえられたことないだろう」
「うるさぁーい! お前みたいな野生児、そう簡単に捕まえられるかっ!」
「そこには一定の理解があるんだね」
ゼムナスがまた苦笑する。
「でも今日こそはお前を捕まえるぞ、リリアス! わたしはあきらめないっ! 覚悟しろ!」
「はあ……」
リリアスがしかたなくというふうに立ちあがると、アストレアはパァっと表情を明るくして嬉しそうに飛び跳ねた。
その様子をゼムナスはほほえましげに見ていた。
そのときのゼムナスの表情に、親愛とはまた別の感情が現れていたことを、リリアスはまだ知らない。