2話 「運命が分かたれた日」
「魂が宿ったようです」
「わが国の英雄にふさわしいか」
「まだわかりませんよ。ただ、一人目には魔素器官が存在しませんね」
「……まるで第二時代の〈青い瞳の勇者〉のようだな」
ふたつの人影があった。
ひとつは玉座に。
もうひとつはその玉座に続く階段の下に。
「ふたつ目の魂はどうだ」
「そちらのほうは一人目と違ってすぐれた魔素器官を持っているようです。順調に育てば魔導振興国である貴国にふさわしい英雄となるでしょう」
「……そうか」
玉座に座っていた男がゆっくりと息を吐く。
「二つの魂を呼んだことは〈皇国〉に露見していないだろうな。どうやらネズミが入り込んでいるようだが」
「その点はぬかりなく。それにあれはあれで使い道があります。ザラシュールの暗号術式はそう簡単に真似られるものではなくてですね。こちらの計画をうまく進めるためにも少し泳がせることにしました。まあ、これでもけっこう人を騙すのは得意でして」
「だろうな。私もおまえのことは信用していない」
「あはは、ひどいですね」
階段の下の人影がおおげさに肩をすくめる。
「まあ、それでもこうして取引をしてくださるのだから、わたしとしては御の字です」
「……」
両者の間で互いを値踏みするような視線の応酬があった。
「……ともあれ錬成は成功した。であればあとは〈魂性能力〉の質だ」
「わたしが言うのもなんですが、本当にやるのですか? 少し時間を置いてからでもいいと思いますが」
「そんな時間はない。おまえと違って私たちには時間がない。――三年。三年の間に〈英雄〉を作らねばならないのだ」
「死を強く自覚しなければ廃英雄の〈魂性能力〉は覚醒しません。たしかに〈廃棄部隊〉に処分される間際では遅いのかもしれませんが、早い段階で地獄を見せることでかえって壊れてしまう可能性もあります」
「そうなったらそれまでだ。マナフは滅び、おまえの望みも潰える」
「……」
広間の中にわずかな静寂がよぎった。
「とにかく、やり方は問わん。肉体的苦痛で死を自覚できないのであれば、精神的な苦痛を与えろ。――〈英雄産業〉の闇をずっと見てきたおまえは、そういうやり方も知っているだろう、〈仮初の平和を歩く者〉」
「……」
「いや、〈千の逆像を持つ男〉と言ったほうがいいか」
玉座の男が口にした言葉に、階段の下の男はやれやれと身振りを返す。
「まあ、いいでしょう。ひとまずあなたの賭けに乗ります。ただし」
「なんだ」
「わたしはわたしの矜持に基づき、彼らが生き残るための訓練をほどこします。わたしはあくまで〈廃英雄〉たちの味方。マナフの味方ではない」
「そんなことはわかっている。その点で利害が一致しているからこうして世界の大きな流れに逆らおうとしているのだろうに」
玉座の男が「なにをいまさら」と小さく笑った。
「では、たとえ彼らの〈魂性能力〉がどんなものであっても、わたしはわたしのやり方でやらせてもらいます」
「好きにしろ」
「そのうえで、陛下にお聞きしましょう」
ふと、階段の下の男が玉座に座る男をまっすぐに見上げた。
「いざというとき、陛下はどちらを『残す』かすでにお決めになっていますか?」
「……」
玉座の男が答えるまでにわずかな間があった。
「……優等な方を残す」
「それはどういった意味で」
「何度も言わせるな。我が国にふさわしいほうを、だ」
玉座の男はそういって目をつむった。
「……わかりました。ではそちらの手はずはお任せします」
「読めんやつめ。おまえは〈廃英雄〉の味方と言いつつ、今回のやり方に賛同するのか」
「手放しで賛同はしません。血の涙を流せと言われれば流せるくらいには心が痛みます。しかし、〈廃英雄〉たちが犠牲なく平和を享受しようとするには、この世界はどうしようもなく腐ってしまった」
「……」
「それにわたしは、英雄産業の全盛期からずっとこの世界を見ている。前時代の残り香ともいえる国家間の戦争にもずいぶん参加しました。そういうすべてを見てきて、そのあとにやってきたつかの間の平和も享受したことがあるから、わかるんです」
そういって階段の下の男はふと遠くを見る目をした。
玉座の男はその目の中に、ひどく深い闇が広がっているのを見た。
「平和というのは、必ずなにかしらの犠牲の上に成り立っている。そして人間という生き物は、その犠牲を目の当たりにしてからでないとおのれの過ちに気づけない」
どこまでも暗く、不定で、蠢くようなその闇。
「だからわたしは、人々に〈廃英雄〉という時代の犠牲者たちを見せつけることにしました。そしてそのためには、存在しない暴国――〈ベスジア〉が必要だ」
「……国というからには王が必要なのだろうな」
「そう。ゆえにわたしは、あなたと協同し〈ベスジアの王〉を作る」
いつの間にか、玉座の下の男の眼の中には燃えさかる炎のような光がちらついていた。
「……互いに業が深いな」
「そうですね」
「まあいい。なにもかもはこの地に生まれた二人の〈廃英雄〉がその役割にふさわしいかどうかで決まる」
「ええ」
「行け。手はじめに二人の英雄を作り、マナフと、そしておまえのいう〈廃英雄〉たちの未来を託せ」
玉座の男が手を振るって言うと、階段の下の男は小さく頭を下げてその場を去った。
「……この国にふさわしい英雄を、か」
ひとりになったあと、玉座の男がつぶやくように繰りかえす。
それから男は、懐から一通の令書を取り出して中を開いた。
そこには『親愛なるマナフ王国へ』という書き出しでこう記されていた。
『新たに英雄産業の提携国へ加わった貴国には、その暁としてまず勝利の美酒をプレゼントしよう。英雄産業に提携する国はみな、ひとしく恩恵を得なければならない。この勝利の美酒によって貴国の民は生きる希望を見いだすことだろう』
「勝利の美酒……か。偽りだな」
玉座の男は顔をしかめた。
『かの侵略帝国、〈バルトローゼ〉に狙われたことは本当に不憫でならない。われわれもあの国には少なからぬ因縁がある。ゆえに、貴国はこの美酒の力を使い、かの国との再戦に備えてほしい』
令書の内容はさらに続いた。
『――まずは三年後。〈廃英雄〉の軍事転用を許す。相手はかつて英雄産業に提携し、そしてこの産業の不文律をやぶった国だ。本来であれば〈廃英雄〉の軍事転用は許されるものではないが、それが制裁のためというのであればやぶさかではない』
制裁。
その言葉に玉座の男は悪寒を感じた。
『だが、廃英雄はいずれ廃棄されなければならない存在だ。その点に関して、例外はない。そのことをゆめゆめ忘れぬよう。――では、貴国に繁栄のあらんことを祈っている』
「祈る? いったいなににだ?」
玉座の男は吐き捨てるように言った。
「絶対に貴様らの思いどおりにはさせん……」
玉座の男は込み上げるものを押さえるようにつぶやきながら、広間の天井をあおいだ。
「……だが、こんなものをこの時代に残した神々と、そしてこんなものを使わなければならない状況を作った己自身を、私は恨もう。……そして、いずれすべての事が進み切ったそのときには、すべての罪悪を引き連れてこの玉座を去ろう」
玉座の男は胸のペンダントを開きその中にはめ込まれていた一人の少女の写真を見る。
「許せとは言わん、アストレア。だがどうか――健やかであってくれ」
のちにマナフ史上最悪の王と言われた男は、静かな決意と共に目を閉じた。