第6話 イメージアップ・キャンペーン(下)
かくして、クレイフォード大商会の代表者に会うべく、私はエルヴィンさんと並んで離れに向かいました。
申し訳ないことに、私は猫にしては運動神経が悪いものですから、エルヴィンさんが一人で歩く時と比べてかなり遅い歩みになってしまいました。
しかし、私が高所恐怖症であることを知っている彼は、あえてだっこしてこようとはしませんでした。
置いていかないように、少し進んでは立ち止まって待っていました。
これが他の王子だったら「歩かずにすんで楽だから御使い様も喜ぶに違いない」と一方的に決めつけて、私の意向を聞こうともせず、むんずと抱き上げて運んでいたことでしょう。
しばらく無言で歩いていくと、やがて見慣れた離れが見えてきました。
エルヴィンさんの後を追って仕事部屋に入ると、書籍や実験器具で雑然とした部屋の中で比較的ものが少ないテーブルの所に、来客らしき人物が座っているのが見えました。
あ、応接間じゃないんだ。
私室兼仕事部屋に案内している辺り、さすが新規店立ち上げの一番しんどい時期を乗りきった仲間どうしといったところでしょつか。来客というより友人に近い関係なんでしょうね。
深い青色の長髪に、空色の澄んだ瞳。中性的な顔立ちをしていますが、服装や雰囲気から彼が男性であることが分かります。
その人はわたげ君の面倒を見てくれていたようです。全身をジャングルジムにして遊ばれるのを嫌がるそぶりを見せず、わたげ君の好きにさせていました。毛繕いで髪をグシャグシャにされても笑顔のまま。
わたげ君にすっかり夢中のようで、私たちが部屋に入ってきたことにも気づいていない様子です。
誰も見ていない時でも小動物に優しい人は、裏表がなく善人と相場が決まっています。私としては、初対面でかなりの好感を持ちました。
「待たせたなサミュエル。今回の仕事のクライアントを連れてきたぞ」
エルヴィンさんの声に、彼はようやくこちらの存在に気付いたようです。
「クライアント? 誰だい? ……うわっ! 天の御使い様!? ちょっと、わたげ君、降りて降りて」
エルヴィンさんの来客――サミュエルさんは、遊びに熱中しているわたげ君を無理に引き離すことができず、あわあわしています。
何とか捕まえることに成功すると、わたげ君をそっと優しい手つきでテーブルに座らせ、勢い良く床に頭を付けました。
ひー、やめてください! そんな大仰な! きれいな髪が汚れてしまいますから!
ニャーニャー言いながら必死で頭を押し上げようとすると、私の考えを察したエルヴィンさんが笑いながら通訳してくれました。
「アン……御使い様は、謙虚な性格なので、そうやってへり下りすぎると逆に気を遣わせるぞ。良く見ろ。さっきから、お前の頭を上げさせようと必死になってるだろ?」
そう言われたサミュエルさんは、恐る恐る頭を上げてくれました。
ああ、でもまだ床に座りこんだままです。高そうなお洋服が汚れてしまいます!
50音ボードはエルヴィンさんが抱えているので、座って楽にしてくださいと伝える術がありません。
助けを求める目線を向けニャーンと声をあげると、私の気持ちを察してくれたエルヴィンさんが、サミュエルさんに席につくよう促してくれました。
ふぅ。これでようやく本題に入れますね。
「あー、猫を飼っている者の間で噂になっているから知っていると思うが、これが件の品の仕様書だ。そちらの工場に生産を頼もうと思うのだが、実用化と販売に伴って御使い様からご要望があるそうだ」
え? これ私から説明する流れですかね?
2人の視線が向けられて少し緊張しましたが、サミュエルさんは優しそうな人ですし。思い切って率直に要望をぶつけてみることにしました。
“ この国では、身分を問わず猫を大切に育てている方が大勢いらっしゃいます。私のネームバリューを使えば、いくらでも金額を吊り上げることができるでしょう。この機会をうまく利用すれば、金持ち相手に大儲けすることも可能かもしれません。しかし、それでは多くの人を悲しませる結果になります。市井に広く愛用してもらえるよう、平民でも真面目に働いていれば無理なく手が届く価格帯でお願いしたいのです ”
「というわけだ。儲け話に目がない海千山千の商魂たくましいサミュエル君としては、納得してくれるか微妙な話だなー、と」
サミュエルさんは、深々とため息をつきました。
「それで僕を説得するのが面倒だったので、おそれ多くも御使い様にご足労願った、と。……君は僕をなんだと思ってるんだい?」
「守銭奴」
単刀直入に、すっごいこと言いますね。
サミュエルさんはエルヴィンさんの発言が心外だったのか、すっかり拗ねてしまっています。
「失礼しちゃうなぁ。僕は商人以前に、猫神様の信徒だよ? そして猫を飼っている平民だ。賛成以外ないに決まってるでしょ! 王宮での暮らしには及ばないけれども、うちの可愛い子にも、できるだけ快適で幸せな暮らしを与えたい。そう思うのはどの猫飼いにとっても当然のことじゃないか!」
「それを聞いて安心した」
と、悪びれることなく答えるエルヴィンさん。サミュエルさんは嘆息をもらしながら、ジトっとした視線を返しました。
「まったく、君ってやつは、全くもって友達甲斐のない……。まぁ、今回は御使い様たってのご要望でもあるわけだし、生産と販売体制については当商会が責任をもって超特急でどうにかしますよ。みんなも張り切って仕事をしてくれるはずだし。……ところで、エルヴィン君。一つ質問してもいいかな?
「何だ?」
「技術的にはどうなんだい? 廉価な素材で大量生産することは可能なのかな? 本物の守銭奴なら、全財力を投入して――いや借金してでも買い占めに走ると思うけどね」
「問題なく可能と考えている。ただ、こちらは工場の現在の状況までは詳しく把握していない。できるだけ詳しく解説を付けておくが、親方や職人から質問があればこっちに寄越してくれ。それと、各商品の使い方が一目で分かるように、御使い様の肖像画を作ろうと思うんだが」
サミュエルさんは「うーん」と思案するような様子を見せました
「それって、明日には仕上がりそう?」
「彩色はせず黒インクで描くつもりだから、小一時間もあればいけると思うが、モデルの都合もあるからな」
「了解。では、明日、部下に取りに越させるよ。仕上がるまでそちらで待たせるから、完成したらすぐに渡してくれ。君って不用心だからなぁ。研究の成果をその辺に放っているもんだから、おかげで護衛を置いて単身ここまで馬をかっ飛ばして来る羽目になったよ。でなけりゃ、悪徳商人に搾り取られそうだったし。悪いことは言わないから、研究資料はちゃんと金庫で保管しときなよ」
良いことを言ってくれました。
ほんと、そのとおりです!
エルヴィンさんの秘書として隣に置いておきたいくらい。
さて、こうして書類のやり取りと簡単な打ち合わせだけ済ますと、サミュエルさんは大急ぎで帰ってしまいました。
「あれは邪魔が入る前に、生産・販売に踏み切る気だな。下手したら明日には売り場の準備が終わってそうだな」
いやー、まさかそれはあり得ないでしょう。
†††
そのまさかでした。
この話をした4日後の朝に、クレイフォードに直営店がオープンしました。
所有している店舗を倉庫ごと開けて、1日でディスプレイや内装を変更し、商品の陳列まで終わらせたそうです。
私の肖像画が話題となり、大行列ができましたが品切れを起こさず大量の商品を供給しているようです。
それから間髪入れず、首都といくつかの主要都市にも直営店を展開しました。
エルヴィンさんの詳細な仕様書とサミュエルさんの的確な采配により、現場ではかなりスムーズに作業が進んだようです。
どうやら現代の工場のような分業と流れ作業で大量生産をしているらしく、想像よりずっとハイペースで多くの人の元に商品が行き渡りました。
電化こそされていないものの、蒸気機関を完全に使いこなしているようです。伝え聞く生産現場の様子から、高度に機械化された大規模な生産施設であるように感じられました。かつて手作業で行われていた職人芸は、検品や仕上げ、絵付けなどの繊細な作業で役立っているようです。
世界史で言うと産業革命は既に終えているはず。なのに、全体的な社会体制は中世寄りなんですよね。
年貢のようなシステムはありますが、かといって中世のように領地に一生縛り付けられる農奴のような存在がいるわけでもない。都市に出た民衆は、工場などでそれなりに良い待遇で働いているようです。
ますますアンバランスに感じられる状況ですが、社会システムはうまく動いているようです。
とにかく、今回の猫用品については予想を上回る大反響で、貴賤を問わず飛ぶように売れています。王宮内もその噂でもちきりになりました。
あまりの盛況ぶりに王妃や他の王子サイドの行動を警戒していましたが、全てを私個人からの依頼として処理した関係で、大っぴらに事業の邪魔をすることはできなかったようです。
それにしても、エルヴィンさんのスケッチ力はすごいですね。
仕上がった肖像画は写真のように完璧な模写でした。
絵を描いてもらう間、わたげ君が私と遊びたがったので、いっしょにモデルになっています。
キャットタワーでいっしょに遊び、爪とぎをしている間は、私の頭の上で毛繕い。
最後の猫用ベッドでは、二人(二匹?)そろってうっかり昼寝をしてしまい、帰りが遅いのを心配したメイドさんにこってり絞られました。
そんな感じでモフモフ感いっぱいに仕上がった肖像画は、職人の手で版画に起こされ大判のポスターとして店頭に張り出されました。
大商会のスタッフから、私の言葉や開発の経緯が伝わったらしく、第3王子のエルヴィンさんが私のために色々な猫グッズを開発してくれたことや、ペットのネズミと仲良しなことが国中に知れ渡りました。
そして、お金持ちの間でコビトチンチラネズミが新種のペットとして空前のブームとなりました。
これまで、ネズミの類は疫病や穀物の獣害を連想させるとしてペットとしては嫌煙されていたようですが、今回の肖像画がきっかけとなり、その可愛らしさが評価されるようになったのだとか。
ペットショップは野性のネズミを捕獲して売っていると聞いてドキッとしましたが、エルヴィンさん曰く、エサの生産効率が悪くどうしても高価になってしまうとのこと。そのため、生息地で乱獲しなければならないほどの需要はないそうてます。
あー、わたげ君の主食についてはその……。食事風景を詳しく説明すると、聞く人の食欲がなくなりそうなので。ここでは割愛します。
とにかく、今回の件でエルヴィンさんの株が急上昇しました。私とお揃いである上、猫たちが大満足してくれる商品を開発したという点で、身分に関係なく多くの愛猫家から感謝の手紙を受け取っていました。
また、過去の経緯にあまり詳しくない若い貴族にいたっては、新しく飼い始めたペットの第一人者として、エルヴィンさんの元を訪ねて適切な飼育法について教示を受けたがる始末です。
全てが予想どおりに進んでくれたことに、私は密かにニヤリとしたのでした。