第3話 王宮にて
バステシャン王国。
首都ニュー・ブバスティス。
民衆の大歓迎を受けて入城した私は、高級な猫サイズのソファーで縮こまっていました。
やー、爪研ぎどころではないですね。
状況を整理すると、ここは王宮の一室です。
国王が貴族を集めて歓迎パーティーを開催するとかで、夜まで自由にしていいと言われました。
私室として与えられた部屋を初めて見た時は、思わず耳がぺちゃんこになってしまいました。
何ですかこの高級感。
猫一匹に与えるべきものではないと思います。しかも、専属のメイドが2人もいますし。
髪を結い上げたり、ドレスを着る訳じゃないんだから、放置していてくれて大丈夫なのに。まぁ、毛繕いが絶望的に下手なので、定期的なブラッシングはお願いしたいですけど。
猫一匹のために天蓋の付いた人間サイズの寝台を用意してるのもおかしいです。私は目利きではありませんが、サラサラした手触りのリネンの質から、このシーツは恐ろしく高級に違いないと確信しました。
あああ、寝ている間に爪が引っ掛かったらどうしましょう。猫の体では労働できないので賠償できないじゃないですか!
リラックスどころか心配しかないです。
もうこうなったらソファで寝……だめだ、これ本革。もういっそ床で寝るか。
とか考えていると、メイドさんが何か板みたいなものを持ってきました。
爪研ぎ用の板かと思ったら、はい・いいえと五十音が並んだボードでした。確かに、意思の疎通が取れないとお世話のしようがないですもんね。
『確か、貴方は自分の姿が見たかったのでは?』
はっ! そうでした!
ちょうどいいことに、この部屋には備え付けのドレッサーがあります。
……うーん。ちょっと高くないですか、これ。
鏡台のテーブルは視界のかなり上にあります。猫としての所作に慣れていないため、跳躍するのはちょっと怖いです。かといって、自力で鏡台に上ったら、爪で色々壊しそう。
せっかくなので、このボードを使ってメイドさんに抱っこをおねだりしてみましょう。
あ、なんかどっちが私を抱っこするかで無言の牽制試合が始まりましたね。しばらくして、年上のお姉さんに軍配が上がったようです。
負けたお姉さん、顔に出さないように頑張っていますが、心底しょんぼりしているのが分かります。
何かごめんね。また今度、抱っこをお願いしますから。
というやり取りはさておき、鏡の前に連れてきてもらったお陰で、猫の姿になって始めて自分の姿を見ました。
前足を見てパステル三毛だと思っていましたが、この判断に間違いはなかったようです。
毛皮はオレンジ、グレー、白の淡い色合いで、首回りは襟巻きを巻いたような立派なモコモコがあります。目はかなり明るい青。テレビやコマーシャルに出てきそうな美猫です。
あぁ、かわいいのに自分ではナデナデできない悲しさ。
目の前にモフモフがあっても決してモフれないジレンマに鏡の前でゴロゴロ転がり悶絶していると、背中が痒いと勘違いされたのか、丁寧にブラッシングされました。
あ、それ気持ちいいです。ふぁ~極楽~。
さて、自分の姿を見るというミッションを果たし、ブラッシングを受けてもそんなに時間は経っていません。
メイドさんたちは、何かお願いされないかな、という顔でこちらの様子を伺ってを見ています。いや、相手もプロなのでそのようなそぶりを見せているわけではないのですが、多分そうです。
もうすぐご飯なのに今からおやつというわけにもいきませんし、貴婦人のお世話をするときと違って刺繍などいかがですか、とは言えませんものね。
というわけで、またあのボードを使っておねだりをしてみます。「この国の地図が見たい」とおねだりしてみると、すぐに持ってきてくれました。
私は単に地図を眺めたかっただけなのですが、なぜか人の良さそうなお爺ちゃんまでセットで付いてきました。
「私は王族の家庭教師をしております、アルフレッドと申します。地理にご興味がある、ということでニュー・バステシャン島の詳細な地図をお待ちしました」
ニュー・バステシャン島?
ああ、なるほど。この国がある島ですね。
何だか丸いケーキを均等に3つに切り分けたような形で線が引いてありますね。今いる場所はどこでしょう?
『ニュー・バステシャン島は3つの国に分かれています。南にあるのが今あなたがいるバステシャン王国です。いきなり隣国の名前まで覚えようとすると混乱すると思いますので、その辺りの解説は聞き流していいです。王国の真ん中にあるひときわ大きな丸は、ここ、首都ニュー・ブバスティスです』
副音声でお爺ちゃんが詳細な解説をしてくれていますが、ノートが取れない状況では女神様のざっくりとした説明の方が頭に残りそうです。
でも、せっかく目の前に専門家がいるのですから、この国の情報をできるだけ仕入れておきたいものです。
宗教……は神の遣いが知ってないとヤバイので、ここでは質問できませんね。
とりあえず、迷ったら基礎に返れで中学高校の地理を思い浮かべます。
人口……は正確には管理できてない可能性がありますし、首都以外の主要都市と主な産業や輸出している特産品は何か聞いておきましょうか。
「首都には商会の本部や市場がありますが、生産はほとんど別の都市で行われています。西部地域は特に工業が盛んです。印刷物や車両や機械などを作っております工房の町クレイフォードが最も有名です。そして地図で言うとこのあたり、首都からずっと南の方は温暖な気候であり、東西へと伸びる穀倉地帯となっています。穀倉地帯の周辺では家畜用の飼料が入手しやすいこともあり、酪農や畜産も盛んに行われております」
女神様、この国の東西南北って地図上でどう表現されるの?
『あなたの国と同じですよ。上が北です』
ふむふむ。この国の、ざっくりとした産業構造は理解しました。
地図上で左右に穀倉地帯が広がっているのなら、気候が緯度によって変化するわけですね。この星も、地球みたいに自転していて丸いのかな?
『更に南に向かいますと、海岸線の周辺では漁業が盛んです。我が国の特産品は、豊富に取れる小魚を使った堆肥、工業製品、北部の鉱山から産出される金とルビーなどの宝石ですね。といっても、他の国でも宝石が豊富に産出されるので、輸出品としての需要はあまりありません。銀はほとんど産出されないため希少ですね」
まぁ、金銀財宝を1国だけで独占したら殺し合いになりそうですもんね。平和であるのはいいことです。島の中央の山々に鉱脈が走っているのでしょう。
金と銀の価値が反転しているのは、江戸時代の日本みたいですね。貿易相手に騙されて、不当なレートで交換させられてましたっけ。
女神様、あの、この島の宗教で三国とも同じですか? 万が一戦争になって、異教徒の崇拝する動物として処刑されるのは嫌なので。
『貴方の主とされる猫神様を崇拝しているのはバステシャン王国だけですね。神殿もこの国にしかありません。隣国は言葉こそ似ていますが、宗教は異なります。天の御使い、つまり猫神様の遣いの伝承自体は話に聞いていても、信じてはいないでしょう。他の国で貴方が迫害されることはないと思いますが、ただの猫として扱われるでしょう。野良の猫生は過酷ですので、現代人にはおすすめしませんね』
ふむふむ、女神様の本当の名前は猫神様という、と。長くて言いづらいので女神様のままでいきます。
そして、この国が滅ばない限り、この世界での私の将来は安泰というわけですね。戦争とかのリスクが無いといいなぁ。野生の猫みたいに、生の肉や虫は食べられないです。
『建国当初は権力闘争でゴタゴタしていたようですが、最近は各国の体制も落ち着き、戦争らしい戦争は起こっていないようですね。まぁ、今のところその懸念はないかと思います』
よっしゃ、それが分かれば大丈夫。元の世界に戻るまでの生活はなんとかなるはずです。
安心したので、今度は元の世界に戻れるかという事が俄然気になってきます。
女神様、猫神様、私を元の世界にお戻しください。
『……あー、それは状況によりますね。早く戻れるといいですが』
とか女神様とやりあっているうちに、そのまま居眠りしてしまいました。無念。
講義中のお爺ちゃんには申し訳ないことをしてしまいました。
この体、可愛いけれど、すぐに眠たくなるのは如何なものか。
†††
日が落ちて窓の外かすっかり暗くなった頃、晩餐会へのお呼びがかかりました。
貴族の夜会みたいな感じで庶民の参加はなし。身支度をしている間に、メイドさんから王族以外もたくさん集まると聞きました。
既にブラッシング済みでしたので、胸元にシルクの青いおリボンを結ぶだけで準備完了です。キラキラ光る大粒の宝石を縫い付けてあるので、動き回って落とさないよう、気を付けなければなりません。
鏡に写った愛らしい猫ちゃん(中身は平凡な人間)を見て、テンション爆アゲになった私ですが。
まばゆく輝く大広間を見て、一瞬でお部屋に帰りたくなりました。
こっちを、こっちを一斉に見ないで!
最上段の王座に座っているのが、国王と王妃でしょう。夫婦揃って王子と良く似た金髪碧眼で、立派な王冠をつけています。
王座の一段下は、王族用の貴賓席かな? 上座の方では、王冠を被った2人の男が口喧嘩をしているようです。片方が第2王子のアルベールということは、もう一人は第1王子かもしれません。
彼らはどちらが私をエスコートをするかで揉めている様子でした。
始めて見る方の王子は、見た目からすると体育会系ゴリra……がたいがよく、全身の筋肉の主張がヤバイです。
短く切り揃えられた金髪に、くっきりとした揉み上げ。顔が濃ゆくて顎が割れてます。筋骨粒々な巨体はアルベールや王様と全く似ていませんが、二人とも目元に王妃の面影がある所を見ると、実の兄弟なんでしょうね。
周囲に聞こえないようにやりあっているようですが、この体はとってもても耳がいいんです。嫌みったらしく罵り合ってる言葉もバッチリ聞こえているんですが?
どっちも性格的にヤだなぁと思っていると、ティアラを付けたかわいらしいお嬢さんが、争う兄弟の影でチラチラとこちらを見ています。
大人しそうな感じの銀髪の美少女。
よし。この子に決めた。この立ち位置なら、この子も王族でしょ。
お嬢さんの足にスリスリして、できるだけ目を丸くして上目遣いでおねだり。愛らしい声で鳴き、抱っこを要求します。
「え? 私、ですか?」
「にゃーん(もちろん)」
何度か抱っこを求めるしぐさをすると、戸惑いつつだっこしてくれました。
彼らの妹なのでしょうか。醜く言い争いをしていた兄弟も、この可憐で幼気けな少女に向かっては大人げない対応はしませんでした。
いや、もし虐めようとしようものなら、全力でネコパンチして後ろ足で砂を掛けてました。
美少女が猫を抱っこする姿を目にした周囲の人たちは、思わず口元を緩めています。絵面は超可愛いですよね。残念ながら中身は平凡なアラサーOLですけれども。
さて、どこにエスコートされるのかな?
落ち着いてご飯を食べれる席だといいな。
そう思っていた私は、少女の進む先を見て愕然としました。
まさか、あの祭壇みたいな派手なお立ち台に乗せる気じゃないですよね? いやそりゃ、普通の猫からすれば十分な広さがあるかもですが?
恥ずかしながら私、猫らしい態勢を取り慣れてないんですよ。下手すりゃコロリと転がり落ちますし、着地できませんって。
そんな特等席に案内されたところで、王様が何やら演説をし始めましたが記憶に残っていません。
ザ・貴族って感じのロイヤルな雰囲気を漂わせるセレブの皆様に挨拶されまくりましたけど、中の人は高いところが苦手なので名前も顔も頭に入ってきませんでした。
ええっと、メイド部屋の隅や屋根裏にいい部屋はありせんかね? 普通の猫用の。
空腹なのに、ご飯に手を付ける気がしないのはなぜでしょう。
……うっぷ。ストレスで口に入れて無いはずの毛玉を吐きそうです。我慢我慢。
歓迎会を楽しむどころか、ひたすら猫の彫像としてお立ち台の上で固まっていました。
そんなこんなで散々な夜会でした。
食事をする気力も失せ、ヘロヘロになって部屋に戻った私を見て、メイドさんたちが気をきかせてくれました。
焼いたお魚を解したものとお水を持ってきてくれましたが、良い匂いがするのに手を付ける気になりません。
メイドさんたちが心配そうな顔をして、お食事はここに置いていきます、と言い残し、名残惜しそうな顔でランプを消して部屋を出ました。
もはやベットに上がる元気もなく、室内が暖かいので床で寝ようとしていると、部屋の角にいい感じの猫用ベッドが用意されていることに気が付きました。
人間用のベッドやソファーといった高い場所ではなく、転がり落ちない安定感が最高な立地です。
吸い込まれるように足が向かいました。
心地よい感じの手触りと匂いがします。
フワフワした素材は相変わらず高級そうですが、入ってみると猫の体にジャストフィットするサイズ感が非常に落ち着きました。
あー、勝手に喉がゴロゴロ言うし、前足でお布団揉んじゃう。
ふへへ、おやすみなさ~い……。
†††
次回予告(=゜ω゜=)
さすが王宮、どこに行ってもゴージャス。
無駄にキラキラしすぎています。
メイド部屋すら地味ではなかったことに絶望を覚えました。
私のような庶民にとって、居心地の良い隠れ家的スポットはないのでしょうか。
むむっ?
この先の庭と建物はとても感じがいいですね。
新天地を目指して、突撃、突撃(=^ェ^=)
~第4話 離れの住民