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第1話 霜月アンナ、猫になる


 霜月アンナ、29歳、独身、一人暮らし。


 とってもブラックな企業で働いています。


 恋愛? そんな余裕なんてないです。


 お仕事が恋人。……と言えるほどのやり甲斐があればまだ救いがあるのですが。


 毎日代わり映えしないルーティンワーク。


 無能なのに説教だけは一人前の上司。


 わざと下ネタをぶつけてきたり、肩を揉んだりしてくるセクハラ野郎。


 自分より若い女子社員を目の敵にしているお局様。


 無茶な仕事を安請け合いし、契約を取ってきたとドヤ顔をしている営業。


 デスマーチ確定の無茶振りをしてくる取引先の大手企業。


 正社員として採用されたはいいけれど、短すぎる納期のせいで、どれだけ効率よく作業をしても定時に帰ることなどできやしないのです。


 その上、残業代はほとんどカットされていますし。


「はぁ……」


 ため息をつくと幸せが逃げると言いますけど。


 逃げる幸せなんか残ってないですよ。


 最近では、自分が何のために生きているのか、よく分からなくなってきました。


 そして、今日も今日とて終電ギリギリで帰宅する羽目になり。


 自宅のドアを開いた時点で、メイクも落とさずこのまま床で寝てしまいたい誘惑にかられました。


 しかし、そこは女性としての最後の矜持を振り絞り、何とか風呂をこなし。


 薄給をはたいて買ったフカフカのベッドに倒れ込むと、つかの間の幸せが訪れます。


「あ゛~ぁ。疲っれたぁ……」


 何だかオッサンみたいな声が出ましたけど、そこは気にしないことにします。


 毎日のように終電帰り。


 まぁ、泊まりにならなかっただけ全然マシな方です。


 横になったままスマホに手を伸ばし、いつもの時間に目覚ましをセットしました。


 待ち受けにしている猫の画像だけが心のオアシスです。


「あぁ、猫を飼いたい。いや、猫になりたい」


 存在しているだけで可愛くて、家事労働しなくてもチヤホヤされるとか最強じゃないですか。


「ねこに……なりたい……なぁ……」


 そう呟いた私は、強烈な眠気に耐えられず、そのまま意識が溶けるように眠りに落ちました。


 †††


 目が覚めると、屋外に立っていました。


 見たことのない場所。


 というか、視界に映る景色が何だか変です。


 野草らしき花が見事に咲き誇る草原に立っていたのですが、視点が異様に低いのです。


 まるで四つん這いになったような。


 と、足元を見下ろして軽く動揺しました。


 モフモフの可愛らしいお手手が並んでいます。


 あのクリームパンと称される、ぷっくりと膨らんだ特徴的なお手々です。


 可愛さに悶絶しつつ手の平(?)を裏返すと、ピンク色の肉球が付いていました。


 そしてこの毛皮の柄は……。


 白地にグレー、淡いオレンジのぶち模様。つまり……。


「ニャーン!(パステル三毛だ!)」


 口に出そうとしたセリフと全く違う音が口から出てきました。


 え!? 猫!?


 思わず口許を手で覆ってしまいました。


 ……ところが。


「フニャッ! ニャーオ!(痛ッ! 爪が刺さる!)」


 何か爪が出た。ちょっと痛い。


 でも、チクリとした感触に驚きはしましたが、皮膚が剥き出しの人間の顔とは違い、傷が付いたり血が出ることはありませんでした。


 恐る恐る指先に力を入れてニギニギしてみると、人間の五指を動かすのとは違う未知の感覚とともに、鋭い爪がニョキッと飛び出してきました。


 尻尾なんて完全に未知の領域で、思ったように動かせるようになるまで、ちょっと練習が必要でした。


 何てリアルな夢なんだろう。


 せっかくなので、できるだけこの猫の体を堪能したいものです。しばらくしたら、目覚ましという名の現実が襲ってくるに違いありません。


 手始めに、このボディを見てみたいという欲求を満たすことにしました。


 きっと愛らしいに違いありません。久しぶりにワクワクと胸の高鳴りを感じました。


 そうです、メチャクチャ可愛いに決まってます!だってモフモフなのですから!


 水溜まりか川を探そう。そう結論付けた私は探検を始めることにしました。


 落ち着いて周囲の様子を探ると、聴覚と嗅覚から伝わってくる情報が、人間のそれよりもずっと豊かなことに気づきます。


 水場の音か匂いを探してみましょう。


 野原を駆けて適当に水場探しをしていると。


 遠くに人工物のような何かを発見しました。


 好奇心の誘うままに走り出すと、頭の中に不思議な声が響き渡りました。


『待って! そっちに行っては駄目です!』


「ニャ!?(え!?)」


 これはつまり、異世界おっこちものや転生もので典型的な女神様とかですかね??


『え? ……うーんと、まぁ、そのようなものです。私は未知なる異世界をさ迷うあなたの数少ない味方なのです。さあ、悪いことは言わないから、そっちに進むのだけはやめておきなさい』


 何故? 面白そうなのに?


『いや、面白いとかそういう問題じゃなくてですね!』


 いやいや、そこは重要ですよ!


 こんな愉快な状況、社畜をしていたら一生得難い。まさに千載一遇のチャンスです。


 夢の中だし、楽しまなきゃ損でしょう。


 状況が悪くなっても死ぬ訳じゃないんだし。


『いやこれは夢じゃなくてですね。……あ! こら! 待て!』


 自称女神様の制止を無視した私は、最初に目星をつけていた人工物に向かって足取りも軽く駆け出しました。


 あ、人間がいる。


 西洋風のRPGやファンタジー小説みたいな服装をしてるなぁ。


 でも、猫の毛皮は万国共通。知らない土地でも下手に浮かずにすみそうです。


 街道沿いのちょっとした休憩スペースや、こじんまりとした飲食店、宿っぽい建物。


 街と言うにはやや小規模だけれど、水場や休憩小屋のようなもやたくさんの建物が並んでおり、武装した兵士らしき人物の姿も見かけます。あれは屯所のようなものかな。


 まぁ、猫だし目立たないから、危害を加えてくる人間だけ避ければ大丈夫。


 と、すっかり物見遊山気分だった私は度肝を抜かれることになります。


「ひいっ!」


「何と!」


「主よ!」


 などと、私の姿を見た人々が、口々に驚愕の叫びを上げたかと思うと。


「て、天の()使い様じゃ~!」


「ありがたや、ありがたや」


 私の周りをぐるりと囲った人垣は、理解不能なワードを叫びながら、額を地面に擦り付け、まるで土下座のような格好を取ったのでした。


「ニャ、ニャーン?(え? ナニコレ?)」


 †††


次回予告


突如として人々に崇拝されまくった私。


皆の熱狂と勢いに押され、猫用とは思えない豪華な御輿に乗せられてしまう。


王宮へと続くアホみたいに壮大な行列。


沿道には私の姿を一目見ようと人垣ができた。


そして、たどり着いた王宮で待っていた国賓級の接待。


そんなもの、庶民にとってはストレスでしかない。


帰りたい! 私おうちに帰りたい!


~第2話 パステル三毛は神の御使い?



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