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『箱舟の天使』

作者: 橙乃光

いつも通りの時間にいつも通りの音色でいつも通りの部屋に響き渡る目覚まし。

いつも通りに窓から差し込む光。寝起き直後独特の、いつも通りの気だるさと眠気。

俺の寝起きはいつも通りにいつも通りだった――ある一点を除いて。


体が、宙に浮いている。


おまけに心なし体が透けているような。


……。

これは大いに驚くべき状況のはずだが、むしろ今の俺は難解極まる状況における自身の冷静さのほうに驚いてしまっている。あまりの不可解さ加減に思考のほうにまで異常をきたしているのかもしれない。

せっかく落ち着いていることだし状況を整理しよう。

これは俺が、いわゆる“幽霊”というやつになってしまったというのが妥当なのではないかと思う。朝起きたら幽霊になっていましたというのは摩訶不思議この上ないし、そもそも幽霊なんていう物が存在するかも怪しいところだが、とりあえず賛成一人反対零人の過半数議決で可決だ。……朝っぱらからこうして幽霊が行動できていたりと矛盾点が多いにもかかわらず納得してしまうあたり、思考回路とかも幽体化してスケスケになってしまっているんだろう、きっと。

問題は、俺が幽霊になったということはつまり俺が死んだということに他ならないということだ。

だが当然ながら死ぬようなことには一切心当たりがない。あいにく俺は、ほいほい吸血鬼退治に付き合ったりするようなアグレッシブな思考の持ち主ではないのでそうそう死亡フラグがたったりはしないのである。……それともあれか、これは死んでしまったら生前の記憶は失うっていうよくあるネタなのか。いや、それもない。日頃脳トレを欠かさない俺の脳は一昨日の夕食はもちろんのこと一昨昨日の朝食すらも覚えている。するとますます真相は闇の中だ。

しかしながらどうしたものか、幽霊になった以上、夜は墓場で運動会なのだろうか。それともベタに覗きとかでもしたほうがいいのだろうか。幽霊の人材に需要なんてないだろうからこのままじゃニートへまっしぐらだ。

そういえばひとつ失念していた。

これ、元に戻るっていう選択肢はあるのだろうか。

ゲームなどでよくある展開――人外化したキャラクターが元に戻ろうとするっていうやつ。この手の話は大概、元に戻れてハッピー☆っていう展開と、なんちゃらバスターとかほにゃらら教の異端狩りとかその辺に殺されてお疲れ様っていう展開の択一だが、いまのところこれといって選択肢を間違えた気配はないので首尾よく前者のほうへと進めそうである。

となるとここからの選択は慎重に行わなければならない。ゲームですら開始直後一つ目の選択で死亡したりするのだから、シビアな現実を生きる俺にミスなど許されるはずがないのだ。

さて、ここでの選択肢だが、××ゲーなどの経験則でいえばだいたいは、


1――外に出てみる

2――いや、部屋に残ろう


とかこのあたりが関の山だろうがどうしたものか。ちなみに余談だが幻の選択肢、3――覗きツアーの幕開け、というのもあるにはあったが、未審議で却下した。まだあわてるような時間ではない。

……となるとここは1だ。例の経験則的に一箇所に留まっているのは感心できないし、第一ここにいてもやることがない。

というわけで早速歩き出す。なにもない中空で歩を進められるというのはまったくもって落ち着かないが何気に便利なので結果オーライとしておこう。

ドアを開けようとノブに手をかけてはみるが当然のように掴めない。思い切ってドアに突撃すると難なく通過することができた。試しに床でも試したら見事に成功した。ちなみに降りた先はリビングだったが、そこに両親の姿はなかった。これは好都合である。今のところこの体が他人に認識されるのかどうかは不明だが、万一認知可能だった場合、天井から突然息子が降ってくるというトンデモ衝撃映像を目にした両親は確実に卒倒するだろう。後の気まずさ加減は測り知りたくもない。それにしても物理的束縛を受けずに縦横無尽に移動できるなんてなんと便利なことだろう。もし元に戻れたとしてもこの辺の能力は残したいものだ。

とにかくそんな要領でとりあえず外には出た。

その矢先、加齢臭と幼女、もとい親子連れが家の前を歩いていた。手始めにこの体が他人から認知可能なのかを試すために、親子の前に飛び込み前転、跳ね起きて間を置かずにバルサミコスと連呼しながらドジョウすくいというコンボを繰り出したが華麗にスルーされた。どうやらというかやはりというか、この体は他人には感知できないらしい。見て見ぬ振りをされたということはないだろうから間違いない。

さて、最低限の確認を終えたところで今度はどうしたものか。

あいにくというか幸いというか、俺には死神の代行人とか霊界の探偵とかいった類のスーパーで霊的な知り合いがいないので、他人からの認知が不可能とわかった時点でかなり詰みに近いのである。

だがここでまたしても例の経験則的に考えてみると、目的もなく歩きまわるというのは存外悪い選択肢ではないんだよな。意外とプラス方向のフラグ立ったりするし。

というわけで選択肢。


1――とりあえず歩き回る

2――感知されないのをいいことにやりたい放題する

3――ドジョウすくいをマスター


……まぁ現状ではこんなもんだよな。3とか選んだ日にはどうなることやら当事者ですら見当がつかないが。

というわけで適度に街をぶらついてみよう。



昼間高々と昇っていた太陽も今では西の空を紅く染めるだけとなっていて、時間の経過とともに東からは藍色が徐々に空を侵食する時刻となった。空にはすでに淡く光る月。

とかなんとかいうとなかなか詩的にして美的な風景が喚起されるが、結論から言えば、適当にぶらついていたら何の成果も無いまま無常にも時間は過ぎ、夕方になったということだ。結局宛て無き旅は無き宛てにたどり着くことなく終了しようとしているということだ。そう、現実というのは厳しいのだ。どこぞの世界と違って、角を曲がったら少女とぶつかるなんていう当事者にとってのみ異常なまでに都合の良いイベントなぞ起こりえないものなのである。

さて、フラグを立て損ねたところで別の策を講じなければならないだろう。例の経験則的にも窮地における方向性の転換というのは重要なものである。

と、ここで今度はRPG的に考えてみることにしよう。冒険に行き詰ったらどうするか。そう、情報収集だ。今の俺には圧倒的絶対的に情報量が足りない。ただしここで縛りがある、俺には普通の人間には干渉できないということだ。そう、普通の人間には。

つまるところ、ならば干渉できる人材探しから始めようということである。求人広告を出すわけにもいかないわけで、結局のところ自分でフィールドワークするしかないというのが面倒ではあるのだが、いかんせん選択の余地が無いので仕方が無い。

ならばどこに行くかが重要になるが、そう、今朝俺は自分で伏線を張っていたではないか。

――夜は墓場で運動会、と。

あれは妖怪だった気がしなくも無いのだが、妖怪も幽霊も人を驚かして喜んでいるような訳のわからん集団という意味ではさして変わらないだろう、多分。

というわけで墓場に向かおう。今俺が集中力を高めるために座禅している住宅街の近くには確か霊園があったはずだ。時間的にきっとまだ百メートル走とかその辺のあっても無くても差し支えの無い競技をやっていることだろう。

というわけで墓場へ向かう。こんなにアクティブに墓場に向かうのは、お供え物を頂戴しようとしている輩以外では俺くらいなものだろう。

途中何人かとすれ違ったので、懲りずにバルサミコスドジョウすくいを披露してみたが、誰一人として反応することは無かった。八回目くらいにしてついに虚無感に襲われ始めた。……だがもしかするとこれは俺のスキルが足りないせいかもしれない。くそっ、こんな日が来るのならドジョウすくいスキルを磨いておくべきだった……! 俺、痛恨のミス……!

十三回目のドジョウすくいが終わるころ、ようやく霊園に到着した。規則正しく並ぶ墓石。墓場という場とは対照的な色とりどりの供え物の花。時間が時間というのもあって辺りに人影は無い。

そして、妖怪やら幽霊やらの影も形も無い――まぁ元々あの手の連中には影形なぞありはしないがここでは存在的な意味で。

しかし、定説どおり運動会していてもらわないと非常に困る。これでは振出ではないか。むしろ行き先が無くなったという意味では、さらにスタートラインから三メートルくらい後退してしまった心持すらするくらいだ。

……とりあえずここから去ろう。こういう死を連想させるような場所というのは例の経験則的に、特に意味も無いのに留まっていると大概危険な目にあうんだよな。墓場をねぐらにしている敵キャラに殺られるとか。

と。


「珍しい、幽霊になって落ち着いているなんてね」


読みどおり、早くも危なげなイベントが起こった。

声がしたほうへと恐る恐る振り返ってみれば少女が一人、少し離れたところでこちらを品定めするような眼差しを瞳に湛えて立っている――否、厳密に言えば若干浮いている。

整った顔立ち。白装束。それとコントラストを成す長い黒髪。一見すれば芸術のようとでも形容できそうではあるが、なぜか手に握られている木製のオールと思わしき物がすべてをぶち壊している。

さて、こういう陰気な場所に現れるキャラというのは総じて場の空気を読んでくる。すなわち話を暗い方向へと導こうとする傾向がある。まったくもって空気を読むというのは人間関係においてのみに留めておいてほしいものだ。

とにかくこの状況はよろしくない。できれば逃げたいところだがここでの選択肢は――


1――思い切って特攻

2――とりあえず逃げて様子を見る

3――ドジョウすくい


素人はここで一見無難そうな1,2の選択肢に逃げがちだが、玄人思考の俺はそんなヘマはしない。特攻というのは大方死亡で終わるし、逃げるというのも安全策に見えて実は追い討ちで死亡なんていうのはざらにある。そう、だからここは――

「バルサミコス! バルサミコス!」

これだ、これこそ正解に違いない。あまりの異常者ぶりに直視すらできまい。相手の戦意を奪いつつかつ隙を見せないこの一手、これこそ攻防一体の最善手――!

「落ち着け変態」

鈍い音と痛み。ドジョウすくいに全力を注ぎすぎた結果見ていなかったが、どうやら例の木製オールで殴られたらしい。ちなみに少女は、こちらの心が痛むくらいの哀れみの視線を送っている。ある意味予想通りだが、同時に想定外でもある――ともに悪い意味で。

「まったく。目の前に少女が現れたんだから、せめて声をかけるくらいしなさいよ」

「そのオールはどうかと思う。主にルックス的に」

「黙りなさい!」

なんか言えと言ったからとりあえず素直な感想を言ってみただけだというのに何たる仕打ちか。喋れ、そして黙れ。なんてどこぞのガキ大将なぞもはや姿が見えなくなるほどにはるか超越した理不尽さだ。

「私だって好きで持っているわけじゃないんだから。……と、そんな話はどうでもいいとして、ね」

落ち着いていたかと思えば突然怒り、そして次の瞬間にはまた落ち着いている少女。やたらとアップダウンが激しいが……まさかその手のものに手を出しているわけではあるまいな?

まぁ別にそれは俺にとっては些細なことだ。それよりも重要なのは、どうもこの少女は危険人物ではなさそうだということだ。干渉できない俺に干渉できている時点で、非日常的な要因であることに違いは無いだろうが。

「……ん。あんた、変わった幽霊だとは思ってたけど、まだ死んでないんだね」

そうか、やはり俺は幽霊だったか。だが待て、死んでもいないのに幽霊になるなんていうことはあるのだろうか。それとも俺は幽霊とは一線を引く存在なのか? いや、さっき思いっきり幽霊だって言い切られたしなぁ……。まったくもって状況がつかめない。

「ほら、幽体離脱ってやつよ。普通の人間はそうそう肉体と魂が乖離することは無いんだけどね、普通の人間は」

よほど俺が“わけがわかりません”と言わんばかりの顔をしていたのか、聞いてもいないのに少女は勝手に喋ってくれた。さりげなくというかかなり露骨に酷いことを言われた気もするが、ここはあえて気にしない。

「まったく、乖離霊が本体から離れて何遊んでんのよ。早く戻らないと――殺すよ?」

さて、認識改修。明らかに危険だこの人。

しかし話を聞いたことでようやく今回の事件の打開策が見えてきた。要は抜け出てしまっただけなのだから元に戻ればいい。なんと簡単なことだろう。話の流れ的にとりあえず謝ってから回れ右すればこのイベントも終了だ。

――あれ?

「……どこだ?」

思わずつぶやいてしまった。

「……何が?」

「……俺の体」

そう、いままで完全に失念していたが、死んだにせよ幽体離脱にせよ俺の本体がどこかにあるはずだ――事故で跡形も無く消し飛んでいるとかいうことがない限り。

しかしそんなものに心当たりがあるはずも無く。

「まさか、あんた……」

少女が顔を凍りつかせている。だが残念ながらおそらくそのまさかだ。

俺はどうやら、肉体と魂がはぐれてしまったらしい。



「私は“箱舟の天使”。まぁ有体に言えば死神ってところね。霊魂を集めて天国に送るのが私たちの仕事」

とりあえずどこぞにロストした俺の体を探そうという話になった矢先の彼女の言葉。天使と死神じゃあ真逆だろうというツッコミをしたら殴られた。心底こいつの装備が鎌じゃなくて良かったと思う。でなければすでに二回死亡だ。

ちなみにこの少女、名前は無いそうで現在大変困っている。俺としてはかの有名な赤髪赤眼の名前と同じ要領で、持ち物――この場合はオール――から文字って名前をつけようと思い、木製のオールの名前を聞いてみたのだが、その返答が、


「オールナイトニッポン」


こんな想定の範囲を軽く七メートルくらいは跳躍してしまっているものだったのでなかったことにした。

閑話休題。

今現在、天子――便宜上俺がつけた名前、天使と天子でちょっとしたダジャレになっている――とともに街の探索を行っている。しかしながら行方不明の体を捜すといっても、俺に心当たりが無い以上はまたしても宛の無い旅だ。

「そうか、わかったわ」

ふとオールナイトニッポン……じゃなかった、天子が何かを思いついたらしい。

「よく言うじゃない、犯人は現場に戻る、ってね」

期待はしていなかったが思ったよりも数段階酷い思い付きだった。絶対コイツ何もわかってない。というより俺の肉体は犯人扱いなのか? それ以前にどうして幽体離脱した体がそこいらを移動している的な発想ができるのだろうか。無いだろう……常識的に考えて。しかし突っ込んだところで殴られて終わりなので、あえて何か言うことはあるまい。

「そうとなれば実行あるのみ、あなたが目覚めた場所に行くわよ」

目覚めた場所――俺の家か、なんとなく認めたくは無いが、確かに俺が見ても何も思い至ること無かったところでも、天子が見ればいくらかヒントは得られるかもしれないな。

というわけで気乗りはしないが我が家へと移動だ。

と、ここでひとつ思った。

「そういえば、お前のほかに箱舟の天使ってやつはいないのか?」

もしいるのだとしたらぜひとも協力を仰ぎたいところである。いわゆる人海戦術というやつだ。何事も人員が多ければそれに比例して作業というのは早く終わるものだ。……というよりこの奇想天外な発想の持ち主と二人での行動に不安を覚えざるを得ないといったほうがより正しくはあるが。

「いるにはいるけどね、ここらには私しかいないわ。……よくありがちな話で、死神が一人の魂にやたらとかまったりするっていう話があるけど、死神だって一応神様なのよ? 神様なんてそんなに数いるわけじゃないんだから、そんなに悠長なことやってやれないのよ。天使もそれと一緒ってわけ」

なるほど。しかし人員不足とは。就職に困ったらあちらの世界へ行くのもありかもしれない。

「そんなわけで、私たちはある程度一定量の魂をまとめて箱舟に乗せてあちら側に送るのよ。で、天使によって担当地区みたいなのがあって、この辺は私、と」

事情は把握した。しかしながらそうすると結局は二人で探さなければいけないのか。これはなかなか難易度の高い仕事になるかもしれないな、いろいろな意味で。

「……ん、ということはそのオールは箱舟とやらを操るためにあるわけか」

 箱舟とオール――そういうセットとして考えればこの激しく様にならない感じの装備品にも納得がいく。それにしたってもっと他に何かあっただろうとは思うが。

「そうよ、だからこれは必需品なわけ。何も伊達や酔狂で持っているわけじゃないのよ」

そうか、ならどうしてそんな重要なものがあんなトチ狂った名前なんだろうな……。そりゃあ中二病的なやたら決めにいった名前もどうかとは思うが、さすがにあれは酷すぎる。俺なら勝手に改名する、確実に。もしかしたら天使の世界というところではこちらとは美的センスが逆方向のベクトルなのかもしれないな。

とやかくしているうちに我が家へと到着した。幽体の特権、壁の貫通能力を遺憾なく発揮し、朝から何一つかわっていないリビングを経由し、俺の部屋へと至る。

「やっぱりないわね、本体」

こいつはもしかして本気で魂の抜けた体がひとりでに元の場所に戻ってくるとでも思っていたのだろうか――いや、それはあるまい、有り得てはいけない。切実に。

しかし希望を捨ててはいけない、天使にのみ感知できる何かがあるかもしれないのだから。

「それに特に何も無いわね」

……もはやコイツに何かを期待するのが間違いなのかもしれないと思いはじめた自分がいる。

となればひとつの疑問点に自ら挑むことで突破口を開くしかない。そう、今のこのおかしな状況――。

「おかしい、こんな時間帯に家に誰もいないなんて」

そう、いまや日は完全に落ちきっている。にもかかわらず俺の両親は不在ときたものだ。会社勤めの父親は残業とかいくらでも考えようはあるが、専業主婦な母親がいないというのはやはり異常だ。これは何かあったと考えるのが筋だ。

「うーん……となるとその両親が鍵を握っていそうね。ちょっと魂の探索をしてみるわ」

「……ん、ちょっと待て。そんな探知能力があるなら直に俺の体を捜したほうが早くないか?」

 まったく、そんなものがあるのならば早く言ってほしいものだ。出し惜しみとは人の悪い――人じゃないけど。

「はぁ……私が探知できるのは魂という情報だけよ。それも私の担当地区の人間だけ。あんたの魂は今ここにあるんだから、探知したって無意味でしょ?」

なるほど。しかしなんと中途半端な能力か。追加パッチでも出ればいいのに。

「見つけた――隣町にいるわね」

隣町? こんな時間帯にいったい何の用事があるというのだろうか。

「ここにいても仕方が無いわ、とにかく行ってみましょう」

というわけで俺と天子はこのイベントを終了すべく、フラグの匂いプンプンな隣町へと向かうこととなった。



やはり霊体というのは実に便利なものである。回り道で行かねばならないところをふわふわと直線的に行くものだから、普段は時間も体力も要する過程を両者ともに消費することなく隣町へと到着した。

「ここよ。あなたの両親がいるのは」

天子に連れてこられたのは清潔さを窺わせる白い建物、その上部には赤い十字を冠している――要するに病院だ。時間のせいもあって出入りする人も電気のついている部屋も少なく、どこか寂しげな感がある。

しかし何故病院なぞに? まさか俺のみならず両親にも何かあったということか? となると家族全員で何かの事件に巻き込まれたということなのか――。

「とにかく入りましょう、あなたの両親はこの建物の二階にいるみたい」

確かにこの場にいても意味は無い。少々不安を覚えざるをえないが、事態打開に向け一歩を踏み出すとしよう。

天子が先陣をきって行くのを俺が後から追う。二階の壁を通り抜け病院の廊下へ。外と同じく行き交う人の姿は無く、明かりが白い内装を照らすのみである。なんとなく不気味な静まり返り方だ。

と、角を曲がったところで。


廊下を歩く俺と鉢合わせた。


「――え?」

見間違えるはずも無い。それは紛れも無く、毎日鏡で目にする俺自身だ。しかし何故? 俺は魂が抜けた状態でもふらふら歩き回っていられるような新人類だったとでもいうのか? ということは天子の見解もあながち間違っていなかったということなのか?

「おや、見つかっちまったか」

顔をしかめながら毒づく目の前の俺。喋っちゃったよ俺。まさか俺は魂を複数有する異能者なのか? とにかく疑問が生まれてはあやふやなまま新たな疑問に潰されていく。

「せっかく手にした体なんだ。……悪いがお二人にはお引取り願うよ」

 そういうと目の前の俺は何の前触れも無く床に倒れた。自分の体が鈍い音を立てながら崩れ落ちるものだがら、思わず痛いなんて思ってしまった。と、俺が錯覚に過ぎない痛みを感じていると、俺の体から生えてくるように少女が現れた。

 綺麗な顔。短めの銀髪。そして黒服。いかにも死神といった風ないでたち、エルゼとは対を成しているといえる。しかしながら手に握られたオールが、天子とその少女が同種の存在、“箱舟の天使”であることを告げている。

「さあ、消えてもらうよ」

 黒天子(今命名)はそれだけ言うとこちらに向かって突進してきた。一方の白天子(今改名)は黒天子が振り下ろしてくるオールを冷静に捌く。白天子は相手のオールを流しきるやいなや逆袈裟にオールを振り下ろすが、黒天使はその動きを読んでいたのか、その一撃を大きく後ろに跳んでかわした。

「ひとつ聞くわ。どうしてこんなことを?」

 距離が開いたところで白天子が口を開いた。声色に若干の憤りを感じさせる。

「簡単な話さ。せっかく魂の抜けただけの生きた空の器があるんだよ? こいつを放っておく手は無いだろう?」

 対して黒天子は白天子の憤りなど我関せずといったような飄々とした態度で返す。そんな態度が頭にきたのか、白天子はさらに語調を強めて続ける。

「私が聞いているのはそういうことじゃないわ。どうして天使の責務を放置するようなことをしているのか、ということよ」

「やれやれ、くだらないな。それこそ簡単だよ。あたしは、ただ責務とかから自由になりたいだけさ。それには人間の体を乗っ取る他無い。そうすれば他の天使から干渉されることもなくなるしね。あたしたち天使という存在も、結局は魂と同じような情報だからね。魂が抜けていてかつ生きている肉体さえあれば、そこに自分という情報を滑り込ませることでその人間として存在することは十分に可能だ。しかしそんな都合の良い物、そうそうありはしない――そう、だからこれは、一世一代のチャンスなんだ。……邪魔はさせないよ」

 そして黒天子は再び白天子へと飛び掛る。今度は横薙ぎ。しかしながら白天子はこれまた落ち着いて受け止める。

 黒天子は今度は引くことはせず、受け止められたことによる反動を巧みに利用し、次の一撃へと繋げる。一方の白天子は今度は受けることはせず、自ら積極的に攻撃に転じる。結果、オールとオールが宙で激突する。そしてさらに両者その衝撃を攻撃へと変換し、次々と相手へと繰り出す。その繰り返し。……いかんせんオールでの戦いというのが緊迫感を半減させている感はあるが、ものすごい高次元な戦いであることが見て取れる。俺も他人事ではないはずなのだが、手の出しようが無いので放置だ。

 ――いや、俺にもできることがある。今日俺はそれを幾度も学んだじゃないか!

「バルサミコス! バルサミコスッ!」

 今日一日練習に練習を重ねたドジョウすくいがこのためにあったとは。当の本人ですら気がつかなかったぜ。

「……」

 しかしながら当然というか、もはやお約束的になっているが、天使二人は無視だ。見向きもしない。それどころか視線をよこすことさえない。この戦闘狂どもめ。ドジョウに巻きつかれて死ねばいい。とりあえずあまりに切なくなってきたので傍観者に立ち戻ることにした。

 というか天使、何でこんなに戦闘に長けてるんだろうか。天使の世界というのは案外殺伐としているのかもしれない。

 と、そんなことを愚考していると、両者つばぜり合いの体制となった――つば無いけれども。

「お前さんも天使ならあるだろう? こんな責務投げ出して自由になりたいと思うことくらい」

 黒天子は力を緩めることなく、むしろ力を強めながら相手の動揺を誘うように言った。しかし、

「ごあいにくさまね」

 しかし白天子は一切動じることなく、力強く言う。


「私はいつでも、自由にやっているわ」


 それに、と白天子は続ける。

「あなただって今、すごく自由じゃない。こんなことしてられるくらいなんだからさ」

「な……」

 黒天子が少々動揺した刹那、白天子は競り合いの体勢から全力を注いでオールを振りぬく。結果として黒天子のオールが床に思い切り叩きつけられることとなる。

 そして一閃。

 オールによる目にも留まらぬ速さの斬激が黒天子の腹部に直撃、黒天子はその場にうずくまるように倒れた。

「まったく、自由になりたければサボればいいだけじゃない。こんな簡単なこともできないなんて、ね」

 死を司るような存在にあるまじき発言ではあったが……確かにそうかもしれないな。やりたくないときにはやらなければいい。そして、やりたくなったらやればいい。何事にしても自分に無理をさせるのは良くないということか。

 とにかく。

 こうして今回の事件は幕を閉じることになった。



 後日。

「なるほどね、幽体離脱して動かなくなったあんたの体を見てびっくりした両親が、あんたの体だけを病院に運んでいってしまったのが今回の原因ってわけか。迷惑な両親ね」

「いやいやいや、動かなくなった息子を見て放置する両親のほうが大いに問題だろうよ」

「そうかしら?」

「疑いの余地があるのか!?」

 いつも通りにいつも通りな俺の部屋――あの日と同じくある一点を除いて。

「なあ、なんでまだお前の姿が見えるんだ?」

 あの後、俺は空の俺の体に入ることで元に戻った。ただこののように、なぜか“箱舟の天使”の姿が視認できてしまっているのだ。なぜだ、俺はもう元に戻ったのだから、こんな奇怪な現象を目にすることはもう無いのではなかったのか?

 俺のそんな切実な疑問を天子はなんだそんなこと、などと言って切り捨て言う。

「一度認識してしまった以上、それをなかったことにすることはできない。ただそれだけのことよ」

 絶望的だ、例の経験則的に、この手の輩と関わっていると至極当然のごとくこの手の輩に関する事件にどんどん巻き込まれていくんだよな。例えば、

「やあ、様子を見に来たよ。また離脱したりしていないのかい?」

 などといって今回の事件での悪役が再びやってきたりして……って、よく見れば目の前には見覚えのある黒装束があるではないか。

「本当に来ちゃったよ……何の用だよ……」

 悪い予想というのは総じてよく当たるものだが、何もここまでクリティカルにヒットすることも無いだろうに。うん、今後はポジティブに生きることにしよう。そうすれば悪い予想なんてしないのだから、あたりようもあるまい。

 と、黒天子はさきほどの白天子同様そんなこともわからないのかと、とこちらを非難したのち言う。

「一度離脱した人間というのはやはり離脱しやすいものだからな。こうして張っていればいつかまた乗り移る隙もあるだろうと思ってな。……そう、あたしは自由に生きることにしたのさ」

 とても迷惑な方向に自由度を発揮してくれたものだ。ていうか隣の地区にいるけど、ちゃんと仕事はするんだろうな? 自由も必要だが、いきすぎはただの怠惰だぞ? 結果街に幽霊が溢れ始めたりなんかしたら大惨事だ。想像もしたくない。

「それにしても来客だというのに茶も出さんのかこの家は」

「明らかに招かざる客じゃねぇか!」

「私もお腹がすいたわ。なにかないの?」

「まず少しは遠慮しろよ! ていうか普通のもの食えるのか? それ以前に帰れよ! お前ら自由過ぎるよ! 仕事しろよ!」

 大変残念ながら、俺の日常を逸した生活は、まだ当分続きそうである……。

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