Side.隣国のお姫様
「…………きらわれた」
きらわれたわ、と同じ言葉をもう一度。
私についてきてくれていたメイドがすぐそばでおいたわしい…と涙ぐんでいるがそう思うならあのとき止めて欲しかった。
そんなつもりなんかじゃなかったのだ。
今更遅いけれど所詮政には関わらない姫である私にはエィンレイシア国を相手にしていたつもりはなく、薔薇姫様個人のお話をしていたつもりだったのに。
「どうしよう、」
怒らせるつもりはなかったのに。
「おにいさまにおこられてしまうわ…」
震える声はどうしても拙い言葉になってしまうけれど今は自室だから取り繕う必要はない。ここに居るメイドと護衛が私を裏切ることはないもの。お兄様に関わらなければだけど。既にこの件は報告されてしまっているだろう。ただでさえ、あの薔薇姫様に嫌われてショックなのにこの上お兄様に怒られたら耐えられない。時を戻してやり直したい。
「ちがうのよ、ちゃんと…ちゃんとおねがいするつもりだったの…」
楽しみに、それはもう楽しみにこの国に来て、どんな挨拶をしようか、何を着て会いに行こうか、何を話そうか。沢山沢山考えて、メイドの皆にも相談して、何度も練習して、漸く会いに行ったのに。
近隣諸国では知らないものは居ない。女だてらに魔法剣技に優れて、殿方に負けることなく戦場に立つ。その姿はまさしく戦場に咲き誇る深紅の薔薇。武勇名高いエィンレイシア国が誇る薔薇姫様は年頃の女の子の憧れの的だ。それは休戦中とはいえ敵国である我が国でだって例外ではなく、同じく王族である私は彼女の絵姿を集めるほどに夢中だった。
それに何より彼女はお兄様が恋した唯一のお人。幼い時に訪れたエィンレイシアの薔薇園で幼くも可憐な姿に一目で恋に落ち、後に戦場で再会して敵国の姫とはいえやはりこの想いは捨て切れないと王への道を登り出させるほどにお兄様の心を占めるお方。
大好きなお兄様が大好きな薔薇姫様と結婚するなんて夢のようだと心が浮き立っていたのに、かの国の王位争いが苛烈を極めたせいで一時は彼女の行方を失ってしまった。あのときのお兄様は何時もの姿からは想像出来ないほどに恐ろしいものだった。お兄様は怒ると尋常ではないくらい恐ろしいのだ。
我が国に潜伏していると報告を受けたときには逃してはならないとちょっと過激なほど包囲網を張ったのに、薔薇姫様は難無く通り抜けシズリジア王国に向かってしまった。万が一の為に先回りしていたことが不幸中の幸いである。流石お兄様、薔薇姫様のことになると抜かりがない。
だからこそ、勝手に薔薇姫様に会いに行って怒らせたなんて知られたらどうなることか。あんなに練習したのに、本物を前にしたら言葉が上手く紡げなかったのだ。
絵姿より可憐で、お兄様のお話に聞くより凛々しい方だった。…怒らせてしまったけど。
違うのだ。
戦争の話ではなく早くお兄様のお嫁様になって欲しいって。そう伝えたかっただけなのに。舞い上がって格好つけて失敗した。誤解を解くことさえ出来ず情けなくも泣くのを堪えるのが精一杯で。もはや話すに値しないと冷たい横顔にすごすごと帰ることしか出来なかった。
思い出してぽろぽろと涙が溢れる。
「……きらわれたわ、」
もう何度目になるのか分からない言葉を吐き出した。自分で言っているのに、その度に心が打ち砕かれるような痛みを感じる。だってだってと誰にともなく言い訳していると、メイドから兄の来訪が告げられた。心の臓がすっと冷えると同時に、逃げる間もなく兄がやってきた。
「やってくれたねシルヴィア」
「あ、…ふぁ、ふぁい、にい、さま…」
いつも穏やかな笑みを浮かべているファイ兄様は恐ろしいほど無表情だ。冷たい色をしたハニーブラウンの瞳が、座ったまま動くことの出来ない私を見下ろす。
「だからお前は来るなと言ったんだよ」
「ご、ごめん、なさい…」
「無理矢理押し掛けた挙げ句にこの失態だ。一応聞いてあげる。どうするつもり?」
「ご、ごめ……っ」
「どうするつもりかと聞いているんだよ」
こわい。
ちらりとファイ兄様を見上げると相変わらずの無表情で、ぽたぽた涙を落としながらまたすぐに俯いた。けれど、そんなことで許してくれるわけがない。ぐっと顎に指を添えて無理矢理顔を上げさせられた。
「すぐ泣くな。言い淀むな。弱味を見せるな。あと簡単に謝るな。」
「…う、うぅ……」
「呻くな」
駄目出しが沢山……。
普段なら家族だからと許してくれるのに、ここぞとばかりに注意された。外ならちゃんとするもの、と思うけど言い返す勇気がなくて、また小さく唸ってしまってファイ兄様に怒られる。うぅ……!
そのまま3時間ほど説教が続いていたが、ふと入ってきたファイ兄様の部下が耳元で何かを報告したことで漸く地獄は終わった。な、長かった……。
ほぅと息を吐き出してファイ兄様をちらりと見ると漸く無表情タイムが終わっていた。しかし口端を持ち上げて作られた笑みにひっと声が漏れる。
「ふぁ、ファイ兄様……?」
どうなさいましたの、と恐る恐る尋ねると笑っているのに笑っていないファイ兄様が更に笑みを深めて私の頬を撫でた。
「シルヴィアの失態を忘れられる程度には良い情報が入ったよ」
「そ、そうですの……?」
「うん。あのエィンレイシア国の城に真正面から乗り込むなんて流石アイザック兄上だね」
ぴくりと私の身体が揺れたけれど、ファイ兄様は気にも止めない。休戦中とはいえ敵国に乗り込むなんて。
「そ、それで良い情報って………?」
優しく頬を撫でていた手が止まる。
先程までのお説教なんて比ではない。それはそれは恐ろしいほどに底冷えした瞳が私を真っ直ぐに射抜いた。逸したいのに、体が固まって動けない。
「エィンレイシアの国王陛下は生きてるよ」
ひゅっと誰かが息を飲み込む音が酷く遠くで聞こえた。