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私がこの国にやってきて約半年。
ついに乙女ゲー厶的には最後の1年が始まる。が、もはや興味はないので卒業したら進路はどうしたものかと考えながら図書館で本を読んでいると近付いてくる気配を感じた。特に学園に知り合いはいないので気にすることなく本を読んでいたのだがエミリアが強張った声で私の名前を呼んだので不審に思いながらも笑顔を浮かべて本から顔をあげた。
「少しよろしくて?」
「…………」
よろしくない。
全然よろしくないよ!
笑みを浮かべたまま固まる私を、真っ直ぐに見下ろしてくる小柄な少女に心の中で思わず悲鳴をあげた。
ふわふわした銀髪に猫のような金色の瞳。宝石をふんだんに使っておりながらも決して下品ではないドレス。少し離れた所にはメイドと護衛が控えており、彼女自身は一人きりで私の前に立っている。留学中の隣国の王太子殿下を追って今年留学してきた彼の妹君であらせられるシルヴィア=シュテル=シューヴァルグラウン様である。
うん、よろしくないね!
だが、黙ったままでいるわけにはいかず慌てて立ち上がって頭を下げる。
「貴女様が私に頭を下げる必要はございません。休戦中とは言え」
敵国同士なのですから、という言葉は音にはしなかった。けれど、唇は確かにそう動いた。ば、バレてるー。彼女とは面識がない。国に居た頃も、隣国を通ったときも、そしてこの学園でも。それなのに、迷うこともなく私の正体について言い当てたということは初めから分かった上で会いに来たな。
いつから、どこまでバレているのか考えたくない。
「心配せずとも人払いはしております」
敵国の者の言葉を真に受けるほど真っ直ぐな心はしていない。片手をあげて、エミリアともう一人に指示を出す。空気が揺れて、すぐに確認を取るとシルヴィア姫は用心深いんですのねと呟いた。不快に思っている様子はない。非公式なのでお互いに名乗りあうことはなく、さっさと用件を済ませることにした。
「失礼。それで何のご用だろうか」
「あら、それが本来の貴女ですのね」
淑女らしくはないが、手っ取り早く舐められない為にはこの話し方が都合が良い。非常に残念ながら軍に混ざり戦場に行くこともあったからね……なんでや、2つ下の妹は戦闘訓練すら受けていないというのに!女王への道から逃れられない!!
いや、まだ諦めないけど。少しばかり遠い目をしてしまった私に気付くことなく、シルヴィア姫は足先から頭の天辺まで値踏みするように眺めた。慣れてるとは言え、相手が乙女ゲー厶のライバルキャラだと思うとちょっとドキッとしてしまう。
「用というか、あなたに忠告ですわ」
「忠告、」
「無駄な抵抗はおよしになりなさいな」
んんん?
「それは、まさか我が国に負けろと言っているわけではないな」
咄嗟に語気が荒くなったにも関わらずシルヴィア姫は優雅に笑みを浮かべただけではっきりとした答えは避けた。が、本気というなら私は今ここで彼女を斬り捨てても構わない。幾ら王位が欲しくないとはいえ、愛国心がないわけではないのだ。無闇に争うくらいなら白旗を上げるのもやぶさかでは無いだろう。だが敗戦国はどうしたって損をするものだし、そもそも我が国の軍が簡単に隣国に負けると思われているのならば心外だ。万が一にもこんな平和ボケした国と手を組んだぐらいで我が国を容易く抑え込めると思っているなら今すぐ国に戻って戦の準備をする。
跡継ぎでもない姫如きがこの私に対して随分な口を聞くものだ。一瞬乱れた心はすぐさま落ち着け、だがもうお前と話すことはないとばかりに席へと座り直した。
「不快だ。お帰り頂け」
「畏まりました」
エミリアが私とシルヴィア姫の間に立ちはだかり、退室を促す。無礼な態度に僅かにあちらの護衛が反応したが、姫は黙って踵を返した。彼女達の気配が遠退いてからもう一人の影を呼び出す。
「ディッル」
「ここに」
「次代を呼んでこい」
「畏まりました」
すぐに消えた気配に、思わずはぁと溜め息を零すとエミリアがそっと紅茶を注いだティーカップを置いた。図書館内は飲食禁止だが、今の私には知ったことではない。荒んだ心には甘いものが一番だ。お茶菓子は薔薇を練り込んだチョコレートで。
「……ロレンツォが恋しい」
ぽつりと零した名前に、エミリアの指先がぴくりと揺れた。咎めるほどではないので気にせず紅茶を一口。
我が国の誇る暗部総取締役ロレンツォ。
残念ながら王にしか仕えないので、私がここへ連れてくることは勿論呼び出すことも出来ない。暗部は皆ロレンツォに憧れ、ロレンツォを目指す。ちなみに総取締役の名前が代々ロレンツォなので、彼の本名は知らない。容姿はまさにナイスミドルで、彼に出来ない任務はない。その上、痒い所に手が届く仕事ぶりはまさに頼れるロレンツォ。父王に借りたことはあったがロレンツォ超便利過ぎて……。ロレンツォ居ると暗部のやる気もぐんぐんアップするからまさにロレンツォ。ちなみに次代は既に決定しておりエミリアがロレンツォを継ぐことは出来ない。残念。
まぁ、次代も既に暗部の中で崇拝を集めているらしいが。ロレンツォを継ぐと決定した時点で名前を捨てている為、呼び名がないことがちょっとばかり不便だ。
同時進行はお手の物なので、くだらない思考を巡らせながらも読み終えた本をパタリと閉じて新しい本を手に取る。
ロレンツォが恋しいのは仕方ない。
だってあの姫が私に気付いたというなら兄である隣国の王太子であり隠し攻略キャラが気付いていないわけない。今まで接触が無かったので知らないふりしていてくれたらしいが、妹君が私に会いに来たことはすぐ彼の耳にも入るだろう。憂鬱過ぎる。
そこで漸く今更過ぎることに気付いた。
「どうかしましたかお嬢様」
「…エミリア。隣国の留学生について貴方が知っていることは?」
明確な言葉は言わなかったが、先程の少女ではなく兄のことだと察したエミリアは少し考えてから一般常識の範囲内ですがと前置きをした。
「ファイリス=シュテル=シューヴァルグラウン第二王子。第一王子が側室様の御子で、第二王子であるファイリス王子が正妃様のご長男になります。先程のシルヴィア姫とは同腹の兄妹でございます。性格は穏やかで、民にも非常に人気があるようですね」
だよね、知ってる。
通称ファイ様。属性は天然キラキラ王子。ちょっぴり腹黒いところがちら見えするのはお約束だ。
ただし乙女ゲー厶の中では既に王太子殿下だった。
正室の子であるが故に兄を押し退けて王太子となってしまった彼の心を癒やすことがファイ様ルートの大まかなストーリーだ。だというのに今現在、彼が王太子に指名されたという話は聞かない。てっきり乙女ゲー厶の通りだろうと思い込んでしまっていた。不覚。
本来ファイ様ルートは一度全ての攻略対象を落とさなければ開放されない。その上でまた1年己を磨き、他の攻略対象者には目もくれずに学園の何処かにランダムで現れる彼を見つけることで漸くルートに入れる鬼畜仕様だ。出ないときは本当に出ないファイ様である。漸くルートに入ったとしても油断出来ない。2年目はほぼファイ様を探せゲームなのだ。その代わりに出るわ出るわ既存の攻略キャラ。今はお前等の出番じゃねぇと何度机を叩いたことか。そうしてコツコツとファイ様を探せゲームをやって最終学年。あの妹姫の登場だ。
ブラコンが過ぎる彼女は愛する兄を追い掛けてこの学園にやってくる。だがしかし、1年我慢して漸く再会した兄の周りに魔力量しか取り柄のない平民女が彷徨いているのだ。大国の姫として育てられたはずの彼女はここが同盟を結ぼうとしている他国であるにも関わらず、猛烈な怒りでもってヒロインを排除しようとする。
まぁ、次期王妃が同盟国とはいえ他国の魔力量しか取り柄のない平民だなんて普通なら許されるはずもない。乙女ゲー厶だからこそ紆余曲折を経て膨大な魔力量で優秀な魔法使いへと成長したヒロインならばと最終的には許されるのだ。
ただしあの転生ヒロインは授業サボりまくっているので優秀な魔法使いルートからは外れている。そもそも乙女ゲームに逆はールートは存在しなかったし、ファイ様は一途でなければ攻略不可能なのであの娘には到底無理だろう。現にヒロインと一緒に居るところは見たことがない。というかファイ様本人を見たことがない。流石ファイ様隠し攻略キャラに相応しい隠れっぷりだ。
前世の私の推しではあったが、この世界で彼と絡む予定は一切合切全くもって露ほども存在しない。勿論、妹君とも無かったのだが……改めて何故わざわざ私に会いに来たのか。彼女には国の行く末について口出しをする権利はないだろうし。何より初対面だ。
「………」
なんか一瞬嫌な予感がした。
「ディア様、次代が参りました」
「ここに」
「次代、隣国について今すぐ詳しいことを調べろ。特に今現在の王族の動向を。……それからロレンツォに連絡を取れ」
「畏まりました」
極限に薄められていた気配がまたすぐに消え去る。
エミリアが無意識に詰めていた息を吐き出したのを確認して小さく笑ってしまった。今代のロレンツォに心酔しているエミリアは未だに次代を認められないのである。私の様子に罰が悪そうな顔をしているのが更に笑いを誘うことにまだ気付けないらしい。
「…軍の動向ではないのですか?」
「そちらは将軍が気を配っているだろう。むしろ我が国が進軍する可能性の方が高いのが痛いところだ」
まだ2つ下の妹、グレイシアには軍を動かすことは出来ないはずだが…万が一がないとは限らない。苛烈な継承権争いから分かる通り基本的に我が国民は争い大歓迎なのだ。強いものが勝ち、強いからこそ仕えるに値する。だからこそ女より男のほうが優位に立ちやすく、何故か軍に所属していた私の方がグレイシアよりも彼等の信頼を勝ち得ている。心底欲しくは無かったのだが。本当に、欲しくは無かったのだが。
「まぁ、軍についてはロレンツォが何とかするだろう」
流石頼れるロレンツォ。あのゴリマッチョな将軍を素手で倒したという伝説を持っているだけはある。もはやロレンツォが国王でもいいんじゃなかろうか。……ロレンツォの唯一の弱点が陛下に心酔し過ぎていることじゃなければなぁ!我が父ながらあの男のどこが良いのか分からない。