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1年と半年掛かって隣の更に隣の国へと無事に入国出来た。追手を巻くのも苦労したし、休戦中とはいえ隣国を通り抜けるのにも苦労した。何より偽りの身分を手に入れて乙女ゲームの舞台であるシズリジア王国の魔法学園に入学するのが一番苦労した。だが全ては報われた!!
寮の部屋で無言のままガッツポーズである。
護衛兼メイドのエミリアが呆れた溜め息を吐き出したが気にすまい。関係ないけど、乙女ゲームのヒロインと同じ名前である。勿論赤の他人だが。
乙女ゲー厶が始まって既に1年と半年が経過しているが、物語は3年間続くのであと半分ある。やったね。果たしてヒロインは誰ルートなんだろうか。1年己を磨き、1年掛けてルートを決定し、最後の1年でエンドを決める。今はルートが決まるところか。
「ディア様、聞いていますか?」
「聞いてなかった。なに?」
「昨夜も申しましたがくれぐれも目立ちませんよう」
「分かってる分かってる。でも、顔は知られてないと思うんだけど」
「何が起きるか分かりませんから」
心配性だなぁと思いはするが声には出さない。隣の隣の国の姫がこんな所までやってきて学園に入学しているとは中々思わないだろう。だからもし私の絵姿をこの国の、特に王族が見ていたとしても、髪型を変えて仕草に気をつければ気付かれる可能性はほぼないと思う。が、半年前に同じく留学してきているはずの隣国の王子はなぁ…会った記憶はないが、万が一の可能性はある。休戦中とはいえ、国境が重なりあう隣国だ。王族のチェックは基本中の基本で、無事に隣国を抜けているからと安心は出来ない。
余談だが隣国の王子。隠しキャラです。
くそ、私もそっちの王族だったらモブじゃなかったかもしれないのに!確か隣国の王子ルートでは妹君がライバルキャラだった記憶がないでもないが。でも多分うちほど苛烈な継承権争いはないと思う。
父王が崩御なされたと発表されて1年と少しが経つ。
表向き事故死とされているが、私が犯人にされたことは周辺諸国ならば知っているだろう。それが事実かそうでないかは問題ではなく暫定跡継ぎは2つ下の妹に決定したと。正妃の妊娠は子が産まれて3つになるまでは秘されるのが我が国での習わしなので、城外にはまだ漏れていないはずだ。勘付いているところはあるかもしれないが。
1年ほど喪に服していたので攻められることはあっても、我が国がどこかに戦争を仕掛けることはなかった。が、これからどうなることやら。特に隣国との関係がちょっと危うい。隣国の王子の留学も我が国に対抗する為に、この国と同盟を結ぶことが目的だったはずだ。
そんな所に居る私。
厄介以外の何者でもない。知ってる。
だから多分もし気付いても見なかったふりしてくれるんじゃないかなぁとちょっと期待している。だって火種を見つけちゃったら同盟どころではないだろう。まぁ、隣国の支援を引き換えに和平を結んで、本国に返り咲くことも出来なくはないかもしれないが、私は乙女ゲー厶を見るんだ!!命のやり取りはもうお腹いっぱいだ!!
なんて決意を新たに学園へ通い始めたのだが。
「ストレス………ッ!!」
乙女ゲー厶きゃっきゃっうふふじゃなかった。
転生ヒロイン逆はービッチ物語だった。萎える。カフェテラスで本を片手に紅茶を味わう優雅な一時にきゃっきゃっきゃっきゃっ甲高い声が響いて頭痛が。わざとらしい声が……凄く……耳に障る……。いや、私も立場上本国できゃーきゃー言われてたんだけど所詮同性だからそこまで煩くなかったし教育行き届いていたからさほど迷惑に思うほどでもなかったんだよ。民の声はまた別です。
「お嬢様、お戻りになられますか?」
「…そう、ね。そうしようかしら」
裏庭でエミリアと模擬戦でもしたほうが気が晴れそう。開いていた本をぱたんと閉じて立ち上がると飲みかけのティーセットをエミリアが素早く片付けた。あ、お菓子だけは持ち帰って欲しい。ストレスには甘い食べ物が必須である。
一度図書館に寄ろうと廊下を歩いているとたまたま通り掛かった教師に雑用を頼まれてしまった。まぁ、私この国での地位なんて持ってないようなものだし、外面良く過ごしているつもりなのでにこやかに笑っておく。ちなみに実際に雑用するのはエミリアだ。
「ディア様の外面が良いばかりに……」
「エミリアの正体を知ったらあの教師卒倒しますわね」
「その台詞そっくりそのままお返し致します」
他国の王族に、その王家の暗部。しかも現役バリバリ。メイド服の下は武器の宝庫だ。この娘ただでさえ重度の武器フェチだからね。暗部内では歩く武器庫と呼ばれているらしい。聞いたときは取り繕うことも忘れて素で爆笑した。まぁ、だからこそ私の護衛として付けられているのだけど。流石に私が武器を隠し持つには限度がある。
「…ディア様」
ふとエミリアの声質が変わった。
ふんわり笑みを浮かべたまま分かっていると囁き返す。秘技王族スマイル。少し先の廊下をぞろぞろとお供を連れてど真ん中先頭を歩いて来るど派手美女。やだー乙女ゲームの悪役令嬢様じゃないですかやだー。ちなみにこちらは転生悪役令嬢ではないらしい。普通に性格悪い。まぁ、ヒロインとはどっちもどっちだな。
すっと道の端に除けて、彼女達が通り過ぎるのを待つ。頭を下げたままちらりと目線だけで盗み見るのは勿論先頭のヴィヴィアナ=ベルトシーディス公爵令嬢だ。ザ悪役令嬢な金髪ドリルヘアーに少し吊り気味の青い瞳に加え、ここ数日遠目でも分かるほど苛立たしそうな雰囲気を醸し出している。ヒロインが気に食わないんですね、分かります。
何事もなく悪役令嬢が通り過ぎて内心ほっと息をついたのも束の間。大行列が停止して、誰かがこちらに近付いてきた。無論、悪役令嬢ではない。
「あなた、ロゼリア商会の方でしたわよね」
「はい」
「ヴィヴィアナ様があなたの所が取り扱っている薔薇のクッキーをご所望よ。有り難く献上なさい」
「了解致しました。後ほど寮へお届けさせて頂きます」
よろしい、と笑って悪役令嬢の取り巻きが戻っていく。ちなみに列は既に歩みを再開していたのでちょっと駆け足だ。最後尾が通り過ぎて漸くほっと息を吐き出す。背後から盛大な舌打ちが聞こえたけど。
「クッキーに毒でも入れます?」
「やめなさい」
「あああ、さっきの教師より腹が立つ!」
地団駄でも踏みそうな勢いだ。
でもまぁ、仕方ないといえば仕方ない。この国での私の身分は売れっ子商会の娘なのだから。ぶっちゃけ貴族ですらないけど、売れっ子なだけあってお金だけはある。元々死んだふりでもして継承権争いからリタイアしたらのんびり暮らしていく為の財源として作っておいた商会だったのだが、予想を上回る売れっ子具合になってしまって正直困っている。属国ではあるが他国の海洋国家に本拠地を置いているので私と結びつけるものは早々ないとは思うが……身近に薔薇があるので多少薔薇を使った製品が多いのがちょっとした不安要素ではある。いや、ほら…勿体無いじゃない?薔薇園の薔薇。
彼の毒薔薇園の薔薇だと知ったら皆卒倒するだろうけども。
「そういうわけで、エミリア。お義父さまに連絡しておいてもらえる?」
「毒入りですね」
「毒無しよ」
「…………では暫くお側を離れます」
「えぇ、図書館で待ってるから」
ちょっと間があったが、実際に毒なんて入れるわけがないので苦笑しながらエミリアを見送った。勿論、お義父さまとは名ばかりの他人だし、私の護衛は影にもう一人ついている。ついでに頼まれた雑用も済ませてくるだろうから多少時間が掛かるだろうとのんびり図書館に向かうことにした。とは言え、廊下の窓からちらちら見えるほどにはもう目と鼻の先ではあるのだが。
シズリジア王国にあるこの魔法学園の図書館は大国の姫である私から見ても随分立派なものだと思う。長らく戦火に見舞われることがなかった穏やかな国だからだろうなと少し捻くれた見方をしてしまうのは期待していたヒロインがアレだったからだろうか。
好きだった乙女ゲー厶が再現されているならいざ知らず、そうでないなら私にとってここはただの平和ボケした国でしかない。もし我が国がここと隣国であったのなら当の昔に滅んでいただろう。乙女ゲー厶が始まる余地すらない。
既に何度も通っているため特に迷うこともなく書棚を幾つか通り過ぎて、奥の方に位置する古代魔法の項目で足を止めた。あまりにも古いものになると古代語で書かれているため訳してから読まなければいけない。だからかこの付近は人が少ない。勉強していて良かったなぁ、と過去の己を心の中で褒めながら適当な本を物色していると棚の向こうに誰かの気配を感じた。
「薔薇は本日も麗しく」
「世辞はいい」
ばっさり切ると苦笑の気配がしたがどうでもいい。基本この男は笑っている。静かな図書館にも負けないほど落とした声で軽い謝罪をして、彼は独り言のように幾つかの情報を吐露し出した。
何を隠そう乙女ゲー厶の為に私がこの国に送り込んだ間諜である。以前送り込んで現在は男爵となっている我が国の間諜一族に孤児だったヘンリーを養子として引き取らせたのだが、ヒロインがアレだったので若干後悔している。乙女ゲー厶関係以外の情報も探らせているから全くの無駄というわけではないが、使える子なので隣国に送り込んだほうが役に立っただろう。おのれ、転生ヒロイン……。
「それから、これはあまり関係ないのですが」
「?」
「我等が薔薇はこの国の男共にとても人気ですよ」
「その報告はいらん」
確かに嫁には行きたいが、我ながらこの国の男共には荷が重いだろう。私自身、そこまで安売りする気にはならない。残念、と笑いをたっぷり含んだ声音は最初から答えを分かっていたに違いない。
「勿論、その男共にあなたは入っていませんよね?」
「敬愛という意味であるならば。それ以外は恐れ多すぎますよ」
「勿論です。ただいま戻りましたディア様」
近付いてきた気配は察していたので、特に驚くこともなく会話に混ざってきたエミリアを迎える。別にエミリアがヘンリーのことを嫌っているわけではない。暗部に所属しているからか、仕える身で主人に恋慕の情を抱くことを良しとしないのだ。反対に主人が配下──主に暗部などの汚い仕事をさせている者──に想いを寄せ過ぎることも良しとしない。徹底的に主の道具となる、暗部であることに対するある種の誇りだろう。
私としても王族である限り恋愛結婚だなんて夢は見ていない。
後の継承権争いのことを考えても、子どもを産む気にも到底なれはしない。まぁ、恋をしていない私がそんなことを言っても説得力なんてものはないだろうから敢えて言葉にはしないけれど。今のところ配下と恋に落ちる予定もないのでこういったエミリアの態度には呆れた溜め息を零して流すことにしている。
うぅ、婚期が伸びてしまう………。