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あれ、なんか聞き覚えのある国名だなと思ったのは世界史の勉強中のこと。王の子として二男三女の長女として産まれながらも正妃ではなく側室の子であったからさぁ大変。そのくせ前世の記憶とやらがあったのでそこらの子よりは賢くすわ神童かと周囲に持ち上げられ、苛烈な継承権争いに身を投じることになった。
厳しい勉強の中で近隣諸国に聞き覚えというか見覚えのある名前を見つけたのは4歳のとき。最初は以前習っただろうかと小首を傾げていたのだが、その国について調べてみれば見覚えのある名前が王族や貴族に幾つか。なんとなく興味を惹かれて更に調べてみればビビビッと来る学園を発見した。
「恋は秘密の花園で」
乙女ゲー厶である。
ああああ、そんなゲーム確かにあった懐かしい!と幼い私は思わず身悶えた。内容はど定番なものだったけど、とにかく絵柄が好みだったのだ。あああ、まさかここが乙女ゲー厶の世界だったとは!生で見たい!生でキャラを愛でたい!だが悲しいかな舞台は隣の更に隣の国である。ゲームには殆ど関係ない。モブだ。紛うことなきモブだ。大国の王女なのに純然たるモブでしかない。なんてこった。
せめて留学……!
それが無理なら一目でいいお忍びで行ってみたいな隣の隣!地味に遠い!
なんとか行く方法はないかと勉学に励みながら必死に考えていたのだが、私が9歳になったころから継承権争いが本格的に始まってしまった。まず兄が病で倒れ、弟が不幸な事故で命は助かったが身体に障害が残ってリタイアし、末妹が誘拐され身を穢されてしまった為に家臣へ下げ渡されることが決まり、残り二人となったところで母が毒殺された。勿論、私の元にも山の如く刺客は来ている。ちょっと私の人生波乱万丈過ぎィ。
今のところは最有力候補となったが、正妃が妊娠したらしいのでこれからどうなるかは分からない。他の兄妹には悪いが私も無事なうちにリタイアしたい。末妹なんて、11歳で穢されたんだけど。性格酷かったけど憐れすぎるわ。心が壊れた姿は見るに堪えない。
犯人が分かっているならどうにか出来ないこともないけど、敵は一人ではないのだ。両目を失ってリタイアした弟や心を壊した妹をそれでもなお担ごうとする貴族や、残る2つ下の妹の派閥。そして勿論正妃がこれから産むであろう子を推す人々。特に殺られる前に殺れとばかりに2つ下の妹と正妃の所はやばい。お互いに潰しあってくれないかなと思わないでもないのだけどそう上手くはいかないだろう。
そんなこんな忙しすぎて乙女ゲー厶どころでは全くない。今年で私は16歳。乙女ゲー厶が始まる歳だ。っていうか他国に送り込んだ間諜からの報告では今日が学園入学式らしいからまさに本日乙女ゲー厶スタートだ。間諜に何やらせてんだとか突っ込んではいけない。少しでも癒やしがほしい。あー、きゃっきゃっうふふいいなぁ。こちとら今日も今日とて送り込まれた刺客とぐさぐさうふふ(物理)だよ。
剣術訓練に紛れ込ませるとか内部の犯行過ぎて犯人探しも億劫である。お姫様なのにそこらの騎士より強くなってしまった。これは嫁の貰い手がない。くそぅ。着々と女王への道が開かれてしまう。正直、根は小心者な元日本人なんだ。国とか背負えないよ……。教育の一環で弱音は吐き出せないけども、胃に穴はあきそう。
体中血に濡れてしまったので、一度湯を浴びに部屋に戻った。昼間からお風呂とは何とも贅沢だなぁと常に張り詰めた意識を少しだけ緩める。乙女ゲー厶の舞台ではないが大国なだけあって至るところが豪奢でありながら最新鋭だ。
猫脚のバスタブに、乳白色のお湯には薔薇の花弁が贅沢に浮かべられている。母はこの薔薇に毒が塗られていたのだけど……。流石に二度食らう程チェックは甘くない。そもそもこの薔薇は母に与えられた薔薇園の薔薇だ。母がとびきり愛していたあの花園に、二度と愚か者は足を踏み入れさせはしない。…まぁ、私別に母と仲が良かったわけではないし、元から毒薔薇の花園とか言われてるけど。笑えないわー。
ちなみにこの世界、時代的には中世ヨーロッパに近いが、日本人に馴染みのあるものも多い。移動手段はまだ発達していないが、魔法が存在しているおかげで暮らしは大分楽だ。私の生命線でもある。ファンタジーひゃっほいと進んで勉強してて良かったー。おかげで私はまだ生きている。
血を落とし終えたので、浴槽の縁に座って熱くなり過ぎた身体を少しだけ冷ますことにした。サイドテーブルに用意させた果実水を匂いを確認し、舌で僅かに舐め取って毒がないかチェックする。悲しいかな、習慣である。安全を確認してから喉を潤して、ふと少しだけ曇った浴室の鏡に映った己の全身をチェックした。
薔薇に例えられる深紅の瞳。普段は緩やかに波打つ金髪はお湯に濡れてぺたりと肌に張り付いてる。ぼんきゅっぼんな魅惑的なボディは風呂上がりなこともあって色気増し増しだ。ちょっと傷は多いが、何度見ても惚れ惚れするような美しさである。だがモブ。悲しいかなモブ。どうしてお嫁にいけないのモブ……。
やめよう、心が痛い。
お風呂から上がり、ドレスに着替えてマナーの授業へ。基本的に分刻みで予定が入っているので毎日毎日本当に忙しい。先程はぶち当たったが私は動き回ることで刺客を避けており、2つ下の妹は殆ど己のテリトリーから出ないことで刺客を避けているようだ。その分することは限られており剣術などの勉強はしていないらしい。まぁ、姫が習うものじゃないし、あっちの母親が強い護衛を雇っているらしいから問題はないのだろう。ちなみに正妃は完全に部屋から出てこない。なので基本的に彼女達に会うことはない。
が、
「ミストリディアか」
「ご機嫌麗しゅう御座います、陛下」
父とは時々出会ってしまうんだなこれが。
「良い、顔をあげろ。…随分、凛々しい顔つきになったものだな。母にそっくりだ」
毒婦と呼ばれた母に似ていると言われてもそれ褒めてないよね?……改めて毒婦と名高い母が毒薔薇の花園と呼ばれた己の薔薇で毒殺されるとは皮肉以外の何物でもない。一応笑顔で礼を述べるけども。こんな廊下で話すことなど特にない親子関係なので、早く父から話を切り上げてくれないかなぁと表情には出さずに考えていると、ふと彼が外を見た。
ひゅっと飛んできた槍が一寸の狂いなく額を撃ち抜く。
「…………………は、」
赤色が散って、次いで悲鳴。
盛大に溢れた血が私のドレスを濡らしていく。先程着替えたばかりだというのに、呆気に取られる私を他所に誰かが名前を叫んだ。
私の、名前を。
「………………は、」
もう一度間抜けな声が漏れて、それが漸く自分のものだと遅れて気付いた。兵が私に剣を向けようとする。私の名前が叫ばれている。陛下が床に倒れている。赤い血が足元を濡らしていく。誰かが私の名前を叫んでいる。
「陛下を殺した反逆者を捕らえろっ!!!」
私の名前が、叫ばれている。
「っちょ、まーーーっ!!!」
思わず口をついて出そうになったまじかよ!を飲み込んで向けられた剣を隠し持っていた短刀で軌道を逸して避けた。ドレスを翻して視界を奪い、素早くしゃがんで近くにいた兵の足を蹴りで掬う。バランスを崩した兵から剣を奪って周りを牽制して、連れていた護衛が背後の道を切り開く声を聞いた。
突然の展開に言いたいことは沢山ある。
が、思考する時間すら惜しい。分かることは少なくて、出来ることはもっと少ない。
「ここは我々が防ぎますっ!姫殿下はお早くっ!」
「分かっている!!」
とにかくこの状況はまずい。
状況的に明らかに嵌められている。誰にってそんなの一人しかいない。
「っ恨みますよ!父上……!!」
こうなったら隣の更に隣まで逃げてやるからなっ!!