5話 拠点になりました
僕は地竜とツキノワを連れて、伯爵に案内を頼み街の中を歩いて行く。すれ違う全ての人に奇妙な目線を向けられる、注目されるのもしょうがない。この街の領主である伯爵と一緒に歩いているのだから。
「どうして、あの最弱が伯爵様と歩いているのかしら」
「さ、さぁ?私だって知らないわ」
「あいつ、伯爵様に取り入ったのか?」
「それはねぇだろ、なんて言ったってあの【魔物使い】だし」
「もしかして、伯爵様の身内だったりして」
「いやいや、それこそねぇだろ。有り得ないって」
ヒソヒソと耳打ちするような声が聞こえてくる。僕の特技じゃないけど、人の声を敏感に聴き取る事ができる。正直言うと聞きたくないけど、無意識にも聞こえてくるのだ。
スタスタと歩いて行く伯爵の顔は鬼面のように怒りが……。だが僕の言う事を尊重してくれているようで何も言い返さない。
「ねぇ、ちょっと……あの、すいません」
「何かしら」
「目立ちませんか?これ」
「し、仕方ないじゃない。私以外の者にやらせたら余計面倒な事になると思うわよ?」
でも、と言おうと口を開きかけた途端に伯爵に睨まれ慌てて口を閉じる。目を細めている為か眼光が鋭く、凄まじい圧力がある。僕は口を開くのを止めて、物件に着くまで黙っていた。
色んな人に見られ、色々な噂が飛び交うだろう。なんて考えていると一軒の屋敷に着く。立地は城門に近く、ギルドにもある程度近いとてもいい条件、それにツキノワも入れそうな玄関で僕は気に入った。
「ここよ、一応中も案内するわ」
「ど、どうも……」
「貴方たちは玄関で待機していなさい」
「「はっ!」」
付いてきなさいと睨まれたので、取り敢えずツキノワを置いて中に入る。
なんで入れないかって? そりゃあまだ体を洗ってないからね、人の家を汚しちゃ悪いし。
「地竜はどうする?」
『我もツキノワと待っておる。こやつの方が付き合いが長いのに我が先に入るなどあってはならん』
「分かった、すぐ戻ってくるから」
『うむ』
「グルアア……」
2体にはちゃんと名を付けよう、うん。僕はしみじみ思いながら家の中に入る。
玄関から続く長い廊下の先は居間のようだ。豪華なシャンデリアが天井から吊られている、隣接しているキッチンは綺麗に整理整頓されていてすぐにでも使える状態になっている。コンロは3口、棚には皿まで用意してある。
廊下の途中にも3室。水洗式のトイレ、それに風呂、そしてツキノワが2体入りそうな物置があった。
2階は寝室が主な用途になっているらしく2室しかない。その2室もダブルベットが4つくらい置ける大きさで僕には十分すぎる物件だった。
一通り回って1階の居間に戻り、テーブルを挟んだように座って話をする。
「どうだったかしら?」
「僕には十分すぎるよ、ほんとにいいの?」
「いいのよ、私が表立って出来るのはこれぐらいしかないし…………それに……」
「それに……?」
もったいぶるように言葉を引き延ばすので僕は早く言うように促す。伯母は少し躊躇ったが、意を決して言う。
「正直に言うと、私は貴方を養子として迎え入れ――――」
「断る」
「ひっ…………」
僕は伯爵の言葉を遮るように言葉を吐き捨てる。僕は無意識にも殺気を放ってしまう、それも生半可な殺気ではない。死線をくぐってきた猛者の殺気である。気絶しないだけ十分凄い事なのである。
僕はすぐに殺気の放出を止める。流石にやり過ぎただろうか……。
「ごめん、なさい……貴方にとって貴族は憎むべき象徴だものね…………」
「…………僕の方こそごめん、少しやり過ぎた」
ポロポロと大粒の涙を溢し始める伯母を見て僕は謝る。伯母はまだ30を回ったばかり、それに20代の時に旦那を失っていて、子供はいない。いつもキリっとしている伯母、それは寂しさの裏返しだったようだ。
「勿論、伯母上の提案は嬉しい事だよ」
「だったら――――」
「でも僕にはやる事がある、貴方には領主としての仕事がある通り僕にはやらなくちゃいけない事があるんだ」
毅然とした絶対に揺らがない確固とした眼を伯母に向ける。そんな僕の眼を見た伯母は、はぁ、と深い溜め息をついてから口を開ける。
「それもそうね、だからあの時貴方は私の制止も聞かずに飛び出していったんだもの」
過去を振り返る様に遠い眼をして目尻に涙を浮かべる。後悔からの涙だろうか、それとも情に弱いのかどちらかは分からない。
それでも僕には分かる事があった。――伯母は信用に値する、と。
「でも、この街にいる間はこの家を使って? 勿論出て行くときは私に返却してもいいわ」
「うん、それだけでもありがたいよ、あんなことしたのに」
「あんなの反抗期の子供みたいなものよ、貴方はまだ18なんだから」
急に僕の隣まで移動してきたかと思うと僕の頭を両手で包み込み、伯母は自分の胸に抱くように抱き締める。いきなりの事に僕は反抗も出来ず、呆然としてしまう。しかしそれでも伯母の体温がとても心地良かった。
「3年もよく頑張ったわね、でも今は泣いてもいいのよ。全部吐き出しちゃいなさい」
諭すような慈愛に満ちた声を僕の耳元で囁くように言う。この瞬間、僕はふと過去が走馬灯のように浮かぶ。無意識にも涙が零れそうになるが、僕は我慢する。
あの時誓ったんだ。俺は泣かない。強い男になると。
時間にして30秒ほどだろうか、僕には1時間近くに感じた。僕は伯母に全部を預けるように微動だにしなかったが、伯母の身体はずっと震えていた。
「ほったらかしにしてごめんね、何もできなくてごめんね」とずっと小さい声で呟いていたのだ。
「じゃあ何かあったら私の屋敷まで来て? 迷惑を掛けるかもしれないけど、使用人や護衛にもよーく言っておくから」
「いやいや、そこまでしなくてもいいけど……まあご厚意に預かるね」
「ええ、じゃあまた。冒険者ギルドに報告は明日でいいと言っておいたから」
「何から何までありがとう、またね」
僕は一通り心の内を明けた事で心なしかとても気分がいい。伯母もその様で疲れた顔が輝いた笑顔を浮かべている。
伯母を玄関まで送り、その足でツキノワと地竜の方へ行く。
「ごめんごめん、遅くなったね」
『構わん、貴様の顔色も少し良くなったようだしな』
「そうかな?」
『うむ、なあ? ツキノワよ』
「グルアアァ!」
やはり、いつも傍にいる者は分かってしまうらしい。それはとても嬉しいのだけど。
「取り敢えず、生活魔法で君たちの身体を洗うから」
「グラアアッ!」
『何? こやつの魔法は心地がいいだと?』
「え? ツキノワがそう言ってるの?」
『うむ、我にもそれをやるのだ』
「いいよ、順番ね」
信頼を寄せているツキノワがそんな事を思っているとは思わず、僕はかつてないほどの喜びに身体を震わせるが、待たせてはいけないと、まずは家の広い庭へと向かう。庭は紹介されなかったが結構な広さがあり、屋敷の居間と同じくらいありそうだ。
移動した僕はさっそくツキノワに魔法を掛ける。
「【温水】」
僕は体内魔力を消費してまずツキノワに魔力で生成した温水をシャワーのようにして浴びせる。今日は森の中を歩き回ったので、いつもより念入りにゴシゴシと洗ってやる。汚れが酷いのか創ったお湯が濁って地面に落ちている。
大体洗い終わったので再びさっきとは違った魔法を掛ける。
「【乾燥】」
魔力で温かい空気を創り、それを風のように流す。強めに設定したので強風になるがツキノワの体毛は剛毛
なので丁度良く、わずか30秒ほどで全身が乾いた。
「じゃあ、次は地竜ね」
『うむ、頼むぞ』
さっきと同じようにして地竜にも魔法を掛けてやった。地竜は小竜のまま洗った、大きくなったら屋敷が潰れるし。
地竜にはツキノワの倍の時間を掛けてゆっくり洗ってあげた。
どうやら好評のようで、
『これは……湖で水浴びをするよりも良いな』との事だった。
「じゃあ屋敷の中に入るよ」
『うむ』
「グラァ!」
僕たちは夕日を浴びながら新しいホームに入って行くのだった。