観察対象:猫とドーナツ
カラコロと棒付きキャンディーを歯にぶつけながら、様子を眺めていた。
さながら、細身の猫に、大型犬が絡んでいる様子だ。
因みに私は猫派か犬派かなら猫派である。
高校三年生男子に見合っただけの身長の男は、神経質そうな細フレームの眼鏡を掛けていた。
決して良いとは言えない目付きは、三白眼と呼ばれるもので、それが更に細められ鬱陶しそうに近くの人間を睨む。
高校三年生男子の平均身長を超えた男は、色素の薄い髪に良く似合う軽薄そうな笑みを浮かべている。
睨まれても気にしないのか、そもそも睨まれていることすら分からないのか、存外高い笑い声を上げた。
さて、この両名が猫と犬である。
当然前者が猫であり、後者が犬。
目下私の観察対象はこの二名で、今日も今日とて昨日と変わり映えしない口論を続けていた。
――まあ、口論と言うよりも猫の方が嫌がっているのに、大型犬がちょっかいを出し続けているだけだが。
「東野くんも相変わらずだねぇ」
きゃらきゃらと楽しそうに笑う友人に、そうだね、と短く返す。
大型犬は東野といい、猫の方は西ノ宮だ。
周りはさも仲が良いと笑うが、どう見ても一方的な矢印しか向いていないだろう。
ゆっくり瞬きをしていると、一瞬、西ノ宮と目が合ったような気がした。
***
空が赤く染まっている中、メモ帳を開いたり閉じたりしながらの帰路、今日も猫と犬は相容れなかった、と一人完結していると見覚えのある姿を発見する。
うちの学校の学ランだ。
高校にもなって学ランとは味気のないことだ、と思ったのも一年生までで今となっては別にどうでも良い。
私が着るわけでもあるまいし。
「……西ノ宮、くん」
小走りで駆け寄り、ぽん、と軽く肩を叩く。
すると、大袈裟にも「う、おっ!」と肩を跳ねさせ、飛び退くように振り返った。
私は肩を叩いた手をそのまま宙に浮かべて固まる。
沈黙を埋めるようにガサリと音を立てたのは、西ノ宮の持つ紙袋だ。
そしてその紙袋を持たない右手には、ドーナツが一つ握られている。
驚いた拍子に力を入れてしまったらしく、若干形が歪み、間に入っていたクリームが飛び出していた。
「……北大路」
「えっと、何か、ごめんね」
きゅう、と細められた目に口元が引き攣り、ぎこちなく首を傾ける。
眉間にシワを寄せた西ノ宮は、深い溜息を吐き、私に紙袋を傾けた。
中からは甘い良い匂いがする。
頭の上に疑問符を浮かばせながらも覗き込めば、中身は成程、甘い良い匂いもするはずのドーナツが三つほど鎮座していた。
しかし何故、と眉を寄せたら私に「食べてくれ」と言う西ノ宮。
勿論、遠慮はせずに私の手は紙袋へと突っ込まれた。
***
「西ノ宮、くんって、甘い物苦手じゃなかった?」
紙袋から取り出した、粉砂糖が振りかけられたドーナツを齧りながら問う。
ふわりとした食感と共に、中に詰められていたクリームが口いっぱいに広がる。
美味い、美味しい、美味。
家の方向が同じということで、徒歩通学の私達は並んで歩く。
わざわざ私に歩幅を合わせてくれている西ノ宮は、またしても眉間にシワを寄せる。
細いフレーム眼鏡に三白眼と眉間のシワで、神経質そうな顔が更に神経質そうだ。
短く切りそろえられた黒髪が、夕風にサラサラと揺れる。
猫っぽい割に髪質は猫っ毛ではないらしい。
「……良く知ってるな」
「バレンタインチョコも断ってたでしょう」
二年生から三年生へ上がる際にクラス替えは行われなかったので、私と西ノ宮は二年間同じクラスなのだ。
思い返すは今年始めの方の二月十四日、クラスの女子がクラスの男子に義理チョコを配った際に、西ノ宮は今と同じように眉間にシワを寄せて受け取りを拒否した。
確かに神経質そうな顔をしているものの、表情筋も硬そうだが、所謂イケメンの部類に入る西ノ宮。
義理に乗じて本命を渡そうと考えていた女子は少なからずいたわけで、一部女子がお通夜状態だったのを覚えている。
「……最近、気付いたら甘い物を食べてるんだ」
「へぇ。趣味変わった?」
「そんな短い期間で変わるわけないだろ。無意識に食ってるんだよ……」
ドーナツを齧っている割には、げっそりと頬がコケて見える西ノ宮。
一口が小さく、咀嚼回数も多い。
確かに苦手そうな食べ方だ。
未見のシワも消える気配を見せない。
私はパクパクとドーナツを口に放り込みながら、原因は簡単じゃないかな、と内心思う。
どう考えても猫と大型犬の攻防だ。
毎休み時間毎休み時間、大型犬はわざわざ自分の席から離れて猫の元へ行く。
何の用事もないのに、だ。
昼休みに至っては、自分が購買に用事があるから、と購買に用事のない猫を引っ張って連れていく。
あれを見た時には、哀れ、と合掌した。
ドーナツの最後の一口を飲み込み、粉砂糖まみれになった指を舌で舐める。
見上げた西ノ宮の口元にもクリームが付いており、私はそのまま指を伸ばして拭う。
「なっ」変な声を上げて立ち止まった西ノ宮に、私はクリームを舐めながら「ストレスだよ」と一言。
意味を問うように揺れる目を、眼鏡の薄ガラス越しに見た。
「それ、ただのストレスだよ。東野に絡まれてる、ストレス」
そう言って私は西ノ宮の手から紙袋を奪う。
まだ二個入っているドーナツは、どうせ西ノ宮の腹には埋まらない。
帰宅後処分に困り悩む姿を想像すれば、何となく可愛らしく思う。
「これ、貰っても?」
「……あ、ああ」
三白眼が四白眼という言葉に、書き換えが必要なほど目を見開いている西ノ宮。
ここが分かれ道だから、と二つある内の片方の道へ向かおうとして「あ」思い出したように声が漏れた。
また、西ノ宮が肩を跳ねさせるが、私は問答無用で西ノ宮の前まで戻る。
右手に握られたままのドーナツは、プレーンの部分とチョコレートがかけられた部分の二箇所あった。
未だチョコレートの部分に噛み跡はない。
私は紙袋片手に、大きく口を開きチョコレート部分を一口で奪う。
「あ」今度は西ノ宮が声を上げた。
もぐもぐごくん、と口と喉を動かした私は今度こそ「また明日」帰路を行く。
「猫にチョコレートを与えてはいけません、ってね」
紙袋から取り出したドーナツを齧る私は、更なるストレスを西ノ宮に与えていることを知らない。