230 エメラルドの王冠
何事もなく10日が過ぎる。……と言いたいところだけど、やはり処女航海だけのことはある。
無重力下での作業訓練が始まったから、ドロシーの注意放送を聞いても何度か壁や天井にぶつかる始末だ。
一度ベッドで寝ている時には、急に重力が発生したから床に落ちて目が覚めた。
ベッドのシーツにマジックテープが付いていた理由をそれで理解したんだから、まあ、結果良しということなんだろう。
「もう少しで狩場に到着するわよ。ドローンを先行させたわ」
昼食を取ろうと展望ラウンジに入った俺を、カテリナさんが呼び止めて教えてくれた。
「確かに今日で10日目ですね。無人機で鉱石を探すんですか?」
「広域探査ということになるわ。反跳中性子測定装置は小惑星から100mほどに近付かないと判定できないの。無人機には磁気センサーを搭載してるのよ」
カテリナさんなりに考えているみたいだな。
足元に置いてある小さなバッグからストロー付きのドリンクをテーブルに出してくれた。テーブルの上に半密閉式灰皿が置いてあるから、ここでタバコを楽しんでいたんだろう。
渡されたドリンクを一口飲んでみたら、中身はワインだった。宇宙でもワインを楽しめるならたくさん買い込んでおかねばなるまい。
「ところで、フレイヤ達を知りませんか?」
「あの子達なら、口の中で遊んでるわよ。たっぷり遊んで、無重力下での作業を覚えて貰わないとね」
カテリナさんが開いた仮想スクリーンを覗いてみると、ジャンプスーツと同じ色の宇宙服を着た連中がダミーの岩塊に取り付いていた。
直径30mの小惑星でもリバイアサンは飲み込めると聞いてはいたけど、やはりリバイアサンの大きさは半端じゃないな。
「まあ、そんなわけだから昼食は何時もより2時間遅れると放送があったはずなんだけど?」
「さっきまで寝てましたから聞き逃したようです」
「なら、時間はたっぷりあるんじゃない?」
カテリナさんの笑みが俺に向けられたんだけど、その目はネコの目にそっくりだ。
せっかく起きたんだけど、再び部屋へと戻ることになった。
ベッドに横になった俺達の体が空中に漂い出す。また、無重力状態になったけど、ドロシーからの放送は無かったんじゃないか?
「放送無しで無重力にすることも必要よ」
「それもそうですけど……。知ってたんじゃありませんか?」
答えは、微笑みとキスだった。
俺達は抱き合いながら、空中に漂う。これも中々新鮮な感じだ。
再び重力が戻って、俺達は床にゆっくりと落ちることになった。最初の頃は、急に重力が戻されたから床に体を打ったんだけど、無警告に重力を切るなら切る時もゆっくりとやってほしいな。
重力が戻ったからシャワーが使える。2人で入って軽く汗を流す。
「無重力下でのお風呂も考えないといけないわね」
「重力制御ができるんですから、部分的に小さな重力を作れば良いんじゃないですか?」
「その発想が、リオ君の良いところなのよねぇ。また、サービスしてあげないと……」
そうかなぁ? 誰でも思いつくんじゃないかな。
それに、サービスしてくれる思いがあるなら、そっとしといて欲しいところだ。
「そろそろ昼食よ。どれぐらい訓練ができたか楽しみだわ」
「訓練時間が少ないのが心配ですけど、危険性は無いんですか?」
「危険はどこにでもあるわ。でも、リスク管理ができるものなら対処できるわ」
パンジーの動力系、半重力推進装置、生命維持装置は2重化してあるし、緊急避難室に入れば3日間は暮らせる。微小隕石の衝突からは、半重力装置を応用した反発装置が衝突角度を逸らせることが可能だと教えてくれた。
「その他にも必要なものがあるかもしれないけど、最初はこれで十分だと思う。そうそう、念の為に最初の出動はパンジー、オルカ、ドルファンの搭乗員は全て宇宙服を着装させることにしているわ」
「俺も、アリスと一緒に待機しときます」
やはり、最初は心配だ。
どんな不測の事態が起きるとも限らない。アリスならば恒星間でさえ旅することができるんだから、緊急対応としては十分すぎるだろう。
カテリナさんとソファーでタバコを楽しんでいると、フレイヤ達がワイワイ言いながら展望ラウンジに入って来た。俺達の周りにソファーの椅子を並べると、ライムさん達がサンドイッチを運んできた。
宇宙での食事は余り凝ったものが出ないようだ。朝と昼は簡単な食事だけど、夕食は展望ラウンジの後方に設けられた食堂で、少し手の込んだ料理が出てくる。特殊なフィルターを設けているらしく、食堂で飲むワインはグラスに入ったワインだった。
「どう? かなり動けるようになったかしら」
「宇宙服が少し邪魔になるくらいかな。圧縮空気で体勢を変えられるのがおもしろいのよね」
「でも、10回使えるだけなのが問題かもしれません。予備を持ってはいるのですが」
「とりあえず使えることが分かれば十分だわ。貴方達はパンジーの中で作業するんだから使う機会はないんじゃないかしら」
圧縮空気を拳銃のような装置で発射すると、反作用で姿勢を変えることができるということらしい。
手足を動かすことで、その反作用も利用できるとは思うけど、姿勢制御用装置があるならそれに越したことはないはずだ。
食事が終わると、そのまま食堂に残ってワインを飲みながらトランプに興じる。この世界にもあったんだな。
遊び方は、ババ抜きに似た遊びだから、数人で楽しめるのも良いところだ。
「それで、明日には始められるの?」
「そうねぇ。ドロシー、見付けたかしら?」
ドミニクの問いに、カテリナさんがドロシーに確認を取っている。
無人探査機のデータは全てドロシーが一括管理してるのかな?
『既に11個目を見付けました。かなり重度の高いレアメタル小惑星が2つとニッケルの塊のような小惑星が5つ。残り4つは混合型です。それと、小さな岩塊ですが、原石分析装置に反応がありました。ドローン3が追跡中です』
「確保は可能ということ?」
『1時間は掛からないと推測します』
食堂にいた連中全員が ニタリと顔をほころばせる。
早速見付けたということは、案外たくさんあるのかもしれないな。
「レイドラ、ギルドの3人に連絡しといて。確か、搬入口のエアロックの傍に彼らのラボがあったはずだよ」
「1時間後に原石らしきものの鑑定を依頼します」
奥でドミニク達と一緒にワインを飲んでいたレイドラが席を立って、食堂から出て行った。
果たして本物なんだろうか? それに岩塊と言っていたドロシーの言葉も気になる。
『直径およそ45cm。重量20kgと推定します。ドローン3の観測データを見る限り、本物でしょう』
アリスが脳内で話をしてくれた。
とんだ副産物になりそうだな。鉱石の売値よりも儲けが出るんじゃないか。
だいぶ飲んだところで、皆が自室へと引き上げ始めた。俺の腕を取ったのは、ドミニクトクリスの2人だ。今夜はドミニク達と一緒に過ごすことになりそうだ。
俺の腕に寄り添ったドミニクの携帯端末が小さなメロディ―を奏でる。
一瞬迷惑そうな表情をしたドミニクだったが、直ぐに真顔に戻ったところはさすがに団長だと思っていると、だんだんドミニクの表情が驚きに変わっていく。
「本当ね? 一応、ギルドに確約することは避けた方が良さそうね。次もあるかもしれないから、その時は再度お願いしたいわ」
「何か、不味いことでもあったの?」
「不味くはないんだけど……。先ほどギルドの分析が終わったそうよ。最上級のエメラルド原石。そのまま削ればエメラルドの王冠が作れると言ってるらしいわ。購入の優先権を主張してるみたいだけど、そこまでの義理があるとも思えない。ちょっと困ってしまうわ」
やはり原石だったか。それにしても1個で王冠が作れるとはねぇ……。指輪ならいくつ作っるんだろう?
「とりあえず考えるのは後でも良いわ。あれが最初ではないはずよ」
クリスの言葉に、再び俺の寝室に向かって歩き始めた。
さすがに、今夜は急に無重力にはならないだろうな。寝室に入ると直ぐに衣服を脱ぎ去りベッドに潜った。夜は長いんだからしばらくは3人で楽しもう。
翌日、俺が目を覚ますと隣には誰もいない。
既に展望リビングに向かったのかな? 顔を洗って衣服を整えると、足早に展望リビングに向かう。
「あら? 遅かったわね。役割分担のブリーフィングは終わったから、リオ君はしばらくここで待機しててもだいじょうぶよ。不測の事態になったら、アリスと救助に向かって」
「それなら、俺もカーゴ区域にいた方が良いんじゃないですか?」
「カーゴ区域へなら直ぐに行けるからだいじょうぶよ」
笑みを浮かべたカテリナさんに、カンザスのギミックを思い出した。
あの移動装置をリバイアサンにも設けたということか?
「それじゃあ、始めて頂戴。全体の指揮は先ほど言ったようにレイドラが執るわ。補佐にクリス。その間のリバイアサンの指揮はドミニクよ」
クリスが補佐とは意外だった。だけどここは宇宙空間だ地上のような平面で動く駒なら問題は無いが、3次元空間での状況把握はレイドラの方が良いということなんだろう。
バタバタとフレイヤ達が配置に着くため展望リビングを後にする。
さて、ちゃんと運んでこれるんだろうか?
仮想スクリーンを開きながら、朝食のトーストを頂く。一口サイズだから食べやすいし、ストローが付いたコーヒーにもだいぶ慣れていた。
「最初はレアメタルの小惑星よ。直径約22m。質量は300tを越えてるわ」
「ライデンのマンガン団塊に近いと良いんですが……」
「純度は、こっちの方が高そうよ。レアメタルの種類と比率はオルカが教えてくれるわ」
いよいよ鉱石採掘がはじまる。
緊張しないで、練習した通り動いてくれれば失敗だってないはずだ。
緊張が続くからついついタバコに手が伸びる。カテリナさん並になるのは案外時間が掛からなそうだ。